我々は傷を縫い合わせるが、日本人は傷口に膠を塗った紙を貼る
天草に行きました。
天草四郎ミュージアムや大江教会、天草ロザリオ館などを見学してきました。
天草の隠れキリシタンの歴史に触れました。
天草四郎ミュージアムで、鶴田倉造さんの「天草島原の乱とその前後」という本を買いました。
上天草市が発行した市の歴史書です。大矢野町編3とありました。
「日欧文化の葛藤」というタイトルの章に、公衆衛生的にも興味深い記述がありましたので、紹介します。
宣教師が来航して、わが国に西洋文化が流れ込むと種々の混乱や誤解も起こる。
少し後のことではあるが、宇土で「南蛮人は生き肝(きも)を取って生き血を飲んでいる」との噂が広まっている。
これは彼らが行った外科手術や、赤葡萄酒を飲む習慣を誤解したものである(中略)
天正13年(1585)、フロイスは島原半島の加津江で」日欧文化比較論」という優れた本を書いているが、これは両文化の相違を実によくまとめている。
本来はヨーロッパの宣教師に日本文化を理解させるために書かれたものであるが、われわれにとっても大変参考になる。
フロイスはその後、河浦や本戸(本渡)、柄本などにも来ている。
「日欧文化比較論」の中からいくつかを紹介しておこう。

我々の間では顔の刀傷は醜いこととされている。しかし日本人はそれを誇りにしている。
ヨーロッパでは女は歯を白くすることに手を尽くす。日本の女は鉄と酢を使って歯を黒くする。
我々は食べ物を手で食べる。日本人は小さい時から二本の箸を使って食べる。
我々の間では酒を飲んで前後不覚になることは大きな恥である。しかし彼らはそれを誇りとし、「殿、いかがなされた」と問えば、「酔っ払った」と平気で答える。
我々は腐った魚の臓器は食べない。彼らはそれを珍味といって喜んで食べる。
我々は馬に乗って戦う彼らは馬に乗っていても馬からおりて戦う。
我々の間では反逆は非難される。日本では平気で反逆が行われる。
我々は傷を縫い合わせる。彼らは傷口に膠(にかわ)を塗った紙を貼る(膏薬)。
我々は左から右に字を書く。彼らは上から下に大きな字を書く。
我々は手紙は折り畳んで渡す。彼らはそれを巻いて渡す。
我々の家は石と石灰でつくられる。彼らの家は木と竹と紙・藁・粘土などでつくられる。
我々は金銀宝石を宝とする。彼らは古い釜やひび割れた陶器を宝物としている(茶器)。
我々は馬糞を菜畑に入れ、人糞を捨てる。彼らは馬糞を捨て、人糞を菜畑に入れている。
我々の水夫はだまって座って櫓をこぐ。日本では立っていて、しかも常に歌を歌う。
我々の間では蠅を殺すことは不潔とされる。日本では王侯貴族でも羽をむしって投げ捨てる。
我々の言葉は明瞭であることを尊ぶ。日本では不明瞭な言葉がよいとされる。
我々は礼節の時は落ち着いた厳粛な顔で行う。彼らは偽りの笑顔で行う。

両者の相違はこのように風俗習慣だけでなく、考え方や価値観などにも及んでいた。
キリシタンは従来の寺社を破却したし、わが国ではキリスト教を邪宗として禁止し、人道無視の迫害を強行したことなどは、その結果と考えられる。
いわば相互の無理解と偏狭さによる一種の葛藤、すなわち現代に言うカルチャーショックである。

フロイスの着眼点は、面白いです。
顔の傷が誇りとなるというのは、天下御免の向う傷の「旗本退屈男」、「愛と誠」の大賀誠を思い出しました。
お歯黒の記述も面白いです。お歯黒は、公衆衛生的に言えば、虫歯の予防にもなったようです。魏志倭人伝には、「歯黒国」の記述があります。
治療法の違いもなかなか興味があります。傷を縫合することは南蛮医学が得意とするところで、宣教師としてやってきて、大分に病院を開いたアルメイダは外科医でした。
人糞を肥料にするところや、蠅の扱いには、笑ってしまいました。
手紙の記述は驚きです。たしかに巻紙ですね。日本には巻物が多いです。
天草の歴史にハマってしまったので、ハベレオ通信では天草について、続けて書こうと思います。乞うご期待。
