自衛隊の化学科は、地下鉄サリン事件が起こるまではリストラ寸前だった
今からおよそ30年前の1995(平成7)年3月20日の午前8時15分、東京の日比谷線などの地下鉄内でサリンがまかれました。
オウム真理教の教団への警察の捜査を妨害するために、教団側が警視庁の職員を狙って起こしたものでした。
サリンの入ったビニール袋を傘で突くという方法が、実行されました。
死者は13人、負傷者はおよそ6000人にのぼりました。
地下鉄車両という閉鎖空間で使用されましたが、サリンの純度が低く約35%だったことから死者が少なかったのです。
誰もサリンの毒性について知らなかったことから、救助に当たった地下鉄職員、消防隊員、病院で治療をした医療従事者の多くに、二次被害が生じさせてしまったことが特徴と言われています。
自衛隊は、東京都知事の要請を受け、21名の医官と19名の看護官を治療に当たった病院に災害派遣をしています。
また、都内にある衛生補給処からサリンの解毒剤であるPAMを約2800本提供しました。
最初に原因物質がサリンであると気がついたのは、聖路加病院に派遣された自衛隊の医官です。
青木晃医官は、数日前の自衛隊衛生学校で特殊武器防護の試験を受けており、サリンの症状を誰よりも一番覚えていたのです。
同じ頃に、昨年夏に起こった松本サリン事件で患者を診察したことのある信州大学の松澤教授からも、聖路加病院にサリン患者の治療情報が提供されました。
地下鉄サリン事件の患者は、アトロピンとPAMで治療を受けました。
東海道新幹線の駅がある都市の病院には、病院にあるPAMを提供するよう要請がなされ、新幹線で東京駅まで運ばれて、そこからサリン中毒患者を治療している各病院に運ばれました。
仮死状態にあった100人以上の患者が、PAMの注射によって蘇生したと言われています。

松本サリン事件は、1994年6月27日に起こっています。
オウム真理教の教団が、進行中の裁判を妨害するために裁判官の官舎を狙って、深夜11時に官舎近くの駐車場に停めたワゴン車から、自作の噴霧器でサリンを噴出させました。
夜風のために近くの住宅街に流されて、8名の死者を出しました。
特に、2階や3階の高所に死者が多くでています。
周辺では、飼い犬や小鳥が死に、植物の葉が茶色に変色しました。
池の魚やザリガニが死んでいます。
松本サリン事件の負傷者は約600人で、患者を診た病院では縮瞳などの症状から、有機リン系の農薬中毒だと疑い、アトロピンによる治療を行いました。
このときのサリンの純度は、約70%と高く、大きな被害がありました。
この中毒症状の原因物質を特定したのは、長野県の衛生公害研究所です。
標準物質もない中で、よくぞサリンだと特定したと思います。

自衛隊の大宮にある化学学校には、地下鉄サリン事件の後、世界各国の化学部隊の幹部が視察に来たそうです。
それまで自衛隊の化学科の職種は、風前の灯火のような存在で、リストラの対象とされていました。
ところが、地下鉄サリン事件での活躍や、北朝鮮のミサイルで脚光を浴びて、組織は強化されました。
化学兵器へ対処するべく、日頃から訓練をしていたことが役にたったのです。
VUCAの時代、何が起こるかわかりません。
公衆衛生は、こうしたまさかのときのために必要なサイエンスでありアートでもあります。
公衆衛生を極めることは難しいですが、やりがいのあるものだと思います。
