入団して1年でクビを宣告された野村監督は「電車に飛び込む」と球団を脅迫した
プロ野球の野村克也監督の話はためになります。
高校時代の3年間、
公式戦1勝だけの京都府の公立高校から
南海ホークスにテスト生で入団しました。
わずか1年で、クビを宣告されました。
「クビにした日に、南海電車に飛び込む」
と首脳陣を脅迫して、
「野村は本気かもしれない。会社がやばい」
と契約が1年間更新されました。
無名の野村選手は、
入団3年目で
一軍キャッチャーのレギュラー
の座を射止めました。
トータル27年間の現役生活では、
三冠王1回、
MVP5回、
本塁打王9回、
打点王7回、
首位打者1回、
ベストナイン19回
の輝かしい成績を上げています。
プロは天才・怪物たちの世界です。
子供の頃からエースで四番、
投げれば三振の山、
バットを振ればホームラン
そういった野球の猛者が、全国から集結します。
タイガーマスクの「虎の穴」のような世界で、
いかにして技術も経験もない無名の新人が、
頭角を現していったのか?
幸いなことに、
野村監督はたくさんの書籍を残しており、
それらを読むとよくわかります。
野球の話が中心ですが、
公衆衛生や医療の仕事や
これからの人生にも
十分に役立つ教訓やスキルが満載です。
これを読まない手はありません。
ジャイアンツの長嶋茂雄監督は、
「どうしたらヒットを打てますか?」
と聞いたら、
「ビュッと来たらバッと打つ」
と答えたそうです。
うーむ。
どうもラメ色キラキラの天才よりも、
土色の苦労人のアドバイスの方が、
我々凡才にはビシッとくるようです。
野村監督は、長嶋監督のことを
「天才なのに、練習の鬼だった」
と極めて高く評価しています。

宮崎に帰ってきて、
野村監督の本を見つけて読んでみて、
しまったと思いました。
これを若いときに読んでおれば、
もっといい仕事ができたのに
と後悔しております。
野村監督が、
選手時代に身につけた技術はただ一つ。
「メモを取る」ということです。
新人時代から、
その日の試合で気づいたことを
メモしていました。
キャッチャーとしては、
その日受けたピッチャーの投球内容と結果、
そこから導き出せる反省点や改善点。
バッターとしては、
その日対戦したピッチャーの投球内容と結果、
そのピッチャーと次に対戦したときの攻略方法。
ピッチャーのくせを見抜き、
それをメモして、
最終的にはノートに蓄積していきます。
1960年代のプロ野球は、
データ分析はほとんど行われていませんでした。
野村選手は、そこに勝機を見いだして、
毎試合が終わった後、メモを取り続けました。
肉体的にも、
才能的にも優れていない「弱者」でしたが、
打者として好成績を収めることができたのは、
メモを蓄積し、
ノートにまとめた「弱者の戦法」を
大いに活用したから
と言っています。
野村監督は、
メモの効用は、二つあると指摘しています。
①記憶力を高めてくれること
②観察力、思考力を高めてくれること
人は、1日で聞いたことの70%を
忘れてしまう。
メモをして記憶し、常に考えてきたおかげで、
プロで大成することができたと言っています。
メモすることで、
人と差が付いていき、
結果として
人生を切り拓くことになりました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、
生涯に1万枚以上のメモをとって、
アイデアを記録していたそうです。
発明王エジソンが、
生涯に残したメモは、
300万枚にもなるそうです。
さすが、
ちびまるこちゃんが、
エジソンは偉い人と褒めたはずです。
そんなの常識、
と言って「くくく」と笑っている方々、
メモをとりましょう。
メモを取ることは卑怯ではありません
ので、念のため。
メモを取って
胃腸の調子が悪くなる副作用もありません。
魚肉ソーセージはハムではありません。
西城秀樹さんも歌っています。

野村監督は現役生活を終えてから、
しばらくぼーっとしていたそうです。
現役生活と異なり
緊張することもなくなったので、
すっかりメモを取る習慣から
離れてしましました。
それまでまったく無縁だった「講演」という仕事が舞い込んできます。
初めての講演のときに、
演壇に上がって、多くの人の顔を見たとたんに、頭の中が真っ白になったそうです。
事前に何を話すか、テーマや進行については
考えていましたが、
持ち時間1時間30分のところを
30分で全部話してしまいました。
しょうがないので、
残りの1時間は質疑応答で乗り切ったそうです。
恥ずかしくて、
逃げるように会場を後にしました。
もう二度としないと思いました。
沙知代夫人から
「話が来るだけでもいいじゃない。1回くらいの失敗であきらめず、もうちょっとやってみたら」と励まされ、引き受けることにしました。
講演はうまくいかずに、
現役時代には一度もならなかった「円形脱毛症」になりました。
慣れない講演には、
相当なストレスがかかってきたのです。
ハゲた部分を見せて、
人生の師匠である評論家の草柳大蔵さんに
相談しました。
「本を読みなさい。そして野球の話だけしなさい。聴衆は、貴方から聞きたいのは野球の話だけです」
とアドバイスされました。

野村監督は、師匠の助言を受け、
本を読み、心に響く名言をインプットし、
それを、自分の野球人生に重ねながら語る
という方法を考えます。
野球を骨格として、名言を振り付けました。
一言でいえば、
人のふんどしで相撲をとるようなものです。
しかし相撲(野球)は自分の人生そのものです。
ハベレオ通信に、
「知性を縦糸に、感性を横糸に」
という記事がありました。
あれも、人のふんどし作戦と言えます。
野村監督は、寸暇を惜しんで、
本を読み漁ります。
そして気に入った言葉があれば
すぐにメモしました。 ← ここ大事なところです。「メモ」出ました!
こうして他人の名文を身につけた
野村監督の講演は次第に評判となり、
全国からひっきりなしに
講演が舞い込むようになります。
自分の中の引き出しを増やすために、
現役時代以上のメモ魔になり、
日々読書に勤しみました。
さまざまな文献から得た
他人の「名言」や「心に響く言葉」たちは、
講演内容を
より充実したものにしてくれただけではなく、
自分の人間の幅も広げてくれた
と野村監督は述べています。
全国をまわる「講談師」の生活から、
一転して在京球団の監督へのオファーが
舞い込みます。
ヤクルトの球団社長が、
監督要請をしてきたのです。
野村監督とは全く面識はありませでした。
野村監督は、
現役をやめてからすぐに監督になった
ような感じがしますが、
実は10年間は、
講談師とテレビ解説の毎日でした。
野村監督の野球解説や講演内容を知って、
ぜひヤクルトの監督になって
選手たちを指導して欲しい
と言われました。
一度もプレーしたことのないセリーグで、
縁もゆかりもないチームの監督就任。
まさしく青天の霹靂で、
運命がかわった一瞬でした。
野村監督は、
球界にカムバックしてからも、
さまざまな書き物を読み、
気に入った言葉があれば、すぐにメモして、
それをミーティングで選手たちに伝える
ようにしました。
ヒンズー教の教えの中で
気になる一節があったので、
選手に披露したそうです。
意識が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
プロ野球の選手に
ヒンズー教の教えをレクチャーするとは、
恐るべし、野村監督!
つきつめると、
メモは「わらしべ長者」のようなもの
かもしれません。
昔、メモるちゃんというアニメがありました。
いや、あれは、メルモちゃんだったか。
そういえば、
メモリーグラスという名曲がありましたな。
歌っていたのは堀江淳さん。
いかん。またくせが出てしまった。
いずれにしろ、メモは大事です。

終わりに「怒り」について書いておきます。
現役時代にキャッチャーをしていた
野村監督の得意技は「ささやき戦術」でした。
バッターボックスに立っている選手に
話しかけるのです。
投球に対する打者の反応を見て、
野村選手はその都度、
バッターに対してささやきます。
何や、ストレート待ちか?
インコースはまったく打つ気ないのお
言っていることが当たっていようが関係なく、
打者が少しでも気にすれば、
それだけで集中力が乱れます。
もし、当たっていれば、
「野村に俺の考えが読まれている」
と思い、
「打ち方を変えなければ」
と動揺します。
こうなれば、もう野村選手の勝ちです。
動揺よりも、
こうなれば勝てると思わせてくれる反応は、
「怒り」でした。
怒りは、人の思考をストップさせます。
ある選手は、
野村選手のささやきに逆上して
「うるせー、この野郎」
と食ってかかってきました。
野村選手は、しめたと思い、怒ったふりをして「何じゃ、先輩に向かってその口の利き方は?」とやり返しました。
球審が間に入って、乱闘にはなりませんでした。
この打席で、この選手は空振り三振となり、
バットを地面にたたきつけて
悔しがっていたそうです。
「勝負の場で怒りを爆発させるのは、
自滅への第一歩だ」
野村監督は指摘しています。
相手の挑発にのってしまうなどは愚の骨頂。
超一流の選手はみな、どんな状況においても決して平常心を失うことはありません。
その代表的な選手は、
「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた
西鉄ライオンズの稲尾和久投手だそうです。
実働14年で276勝(通算防御率1.98)
という成績を残しています。
2点以上は取られない
凄いピッチャーでした。
稲尾投手の生命線は、
精密機械のような正確無比なコントロール
でした。
いつも精神状態がフラットに保たれているから、成し遂げた成績です。
同じように
精密機械のようなコントロールを
武器にした選手に、
広島東洋カープの北別府学投手がいます。
都城農業高校から
ドラフト1位でカープに入り、
213勝を挙げています。
球速は、最高でも144キロくらい
しか出ませんでした。
カープの先輩たちが投げる球を見て、
とてもかなわん。
三年やってダメだったら田舎に帰ろう
と決意します。
しかし、
多彩な変化球とコントロールに磨きをかけ、
弱小球団だったカープの中で、
最大の勝ち星を稼いだ投手となりました。
いつも冷静で丁寧という言葉は、
どんな仕事においてもいい結果を残すための
キーワードです。
野村監督は、
長嶋監督にもささやき作戦をしたそうです。
いくらささやいても、
そもそも会話が成立しなかったので、
長嶋監督にささやくのは諦めたとのこと。
長嶋監督は超一流です。
高木兼寛の「道は古今を貫く」は、
私が好きな言葉です。
還暦プラス2ですが、
これからも本を読み、メモを取り、
古今の公衆衛生の道を貫いて
人生を変えていこうと思います。
超一流は無理ですが、
超二流なら可能性があるかな。いや超三流かも。
