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蚊の安全保障は、日米安保条約に似ている

アメリカは建国以来疫病に悩まされており、そのため公衆衛生が発達しました

フィラデルフィアは、1790年から1800年の10年間は、アメリカ合衆国の首都でした。

1793年の8月末から9月にかけて、フィラデルフィアは黄熱病に襲われました。

首都にある政府の諸機関は疎開します。
政治・文化の中心地の機能は停止しました。

フィラデルフィアの人口の一〇分の一が失われ、死体が山積みとなり、人々は恐怖で逃げ出します。

ワシントン大統領も避難しました。
黄熱の原因は、このときには全く判っていなかったのです。

一方、日本の歴史で、首都が疫病となり、人々が逃げだした例はありません。このため、日本人はいまいち公衆衛生には関心がありません

ひとりの軍医がアメリカ合衆国に誕生しました。
1854年に生まれたゴーガスは、最初は軍人を志望しますが、陸軍士官学校の試験に落ちてしまいました。

そのためプランBの、医学部に行って軍医になることを目指しました。

希望どおり米国陸軍の軍医となったゴーガスは、キューバへの異動命令を受けました。

米軍は、1890年代にキューバに駐留していました。
その間に米軍は黄熱病になやまされ、大きな損失を被っていました。

キューバ人の医師フィンレーは、1881年に「黄熱病は蚊が媒介する」という説を出していました。
キューバに赴任したゴーガスは、フィンレーの説を知りますが、全く信用しませんでした。

そこに米国陸軍から派遣された軍医ウォルター・リードを団長とする黄熱調査団がやってきました。
リード団長は、地元の医師フィンレーの説を確かめることにしました。

調査団の班員を含む有志者を対象とした、蚊に刺されて発病するかどうかという人体実験を行いました。
不幸なことに班員の一人の医師は、蚊に刺される実験で、黄熱病を発症して亡くなりました

この歴史に残る人体実験の結果、黄熱は蚊が媒介することが判明しました。

防蚊対策を徹底することによって黄熱病の発生は予防できると、ゴーガスは理解しました。

ゴーガスは、キューバのハバナで防蚊対策を徹底して行って、実際に黄熱病の発生を抑えることに成功しました。

ハバナでの功績によりゴーガスは、パナマ運河の工事における黄熱病対策に従事するように命令されました。

パナマ運河は、スエズ運河の開通に成功したフランス人の実業家レセップスが建設工事を行っていましたが、作業員の多くが黄熱病に罹って工事ができなくなってしまったのです。

フランスが行っていた国家的事業を、引き継いだのが米国でした。

ゴーガスは、徹底した防蚊対策を行います。
蚊(ボウフラ)の発生源となる「水たまり」を無くそうとしました

空き缶、古タイヤ、花瓶はもとより、教会の洗礼用の水盤の水さえも容赦なく捨てさせました。

あらゆる水たまりは、水を抜くか、埋め立てました。

どうしても排水できない水たまりには、石油をまいてボウフラが呼吸できないようにしました。

黄熱病の病人が伏せている病院や家の窓には、ことごとく網戸を設置させました。

強引で尊大で傲慢なゴーガスは、周囲の役人たちからは、徹底的に嫌われました。

誰のいうことも聞かないのです。
上司である米国海軍提督と対立しました。

言うことを聞かない部下のゴーガスに怒った提督は、工事と直接関係のないものにはいっさい予算を出さない、という強硬手段に出ました。

ゴーガスは、上司の提督を飛びこして、ワシントンと直接交渉を行いました。
これで、提督との関係は徹底的にこじれてしまいます。

提督はゴーガスを更迭させることを決意します。
合衆国大統領の決断は、まさかのゴーガス残留でした。

ゴーガスの防蚊対策による効果が現れて、作業員たちに黄熱病の発症は減っていきました。アメリカ本土並になったのです。

パナマ運河は完成しました。

作業者の黄熱病の発生を防いでパナマ運河開通に貢献したゴーガスは、少将に昇進し、米国陸軍の軍医総監となりました。

人体実験で蚊が黄熱病を媒介することを証明したウォルター・リードの名前は、米軍病院の名前に今も残っています

ちなみにこの病院には、トランプ前大統領が新型コロナウイルス感染症に感染したときに入院しました。

歴史的に、アメリカ人は網戸を使って物理的に蚊の侵入を防ぎ、日本人は蚊取り線香を使って化学的な対応をしています

今の日本は、網戸の傘の下で蚊取り線香で蚊をしのいでいますが、こうした「蚊の安全保障」は、日米安保条約に似ているかも。

ゴーガスは日本だったら、和を乱す者として解任されていた可能性が高いでしょうね。

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