世界初の空母対空母の戦いは、昭和17年5月に行われた珊瑚海海戦である
世界初の空母対空母の戦いは、
昭和17年5月3日~8日に行われた
珊瑚海海戦です。
日本海軍と米国・オーストラリア連合国海軍は、お互い、艦隊の姿を見ずに戦いました。
結果は、日本は軽空母「祥鳳」が撃沈、「翔鶴」が大破となり、
連合軍は、空母「レキシントン」撃沈、「ヨークタウン」中破となり、
引き分け的な感じとなりました。
大破した「翔鶴」は修理のために日本に戻り、
1か月後のミッドウエイ海戦には
出撃できませんでした。
中破した「ヨークタウン」も修理のために
ハワイに戻りました。
修理に1月かかると言われ
ニミッツ提督は激怒します。
「3日で修理を終わらせろっ!」
という命令が出され、
ハワイの基地では、3日3晩の徹夜作業で、
応急的な修理を終えました。
ボロボロのヨークタウンは、
ミッドウエイ海戦に参加します。
しかしこの起死回生のヨークタウンの搭乗機が、日本の空母「蒼龍」を撃沈したのです。
珊瑚海海戦を
ミッドウエイ海戦の前哨戦として捉えると、
ミッドウエイ海戦で空母4隻を失う
大敗の原因となりました。

珊瑚海海戦では、
夕方近くにお互いが
「敵艦隊を発見した」
という報告を受けました。
報告を聞いた米海軍のフレッチャー少将は、
パイロットが夜戦の訓練を受けていないこと、
今発艦すると
帰路で空母までたどり着けなくなることから、
翌朝を待って
艦隊攻撃をしかける決心をしました。
一方の日本海軍の原忠一少将は、
夕暮れの4時15分に発進させました。
爆弾を積んだ爆撃機12機と、
魚雷を積んだ雷撃機15機が
飛び立ちました。
結果は、米軍の空母を見つけることができずに、爆弾と魚雷を捨てて帰還することになりました。
途中に米軍機に撃墜され、
10機は空母に戻ることができませんでした。
日本軍の飛行機は、
自分の空母と勘違いをして、
米国の空母に着艦しようとした機もありました。
損失機の搭乗員は、
一人も救助されませんでした。
互角のように見えた珊瑚海海戦ですが、
日本は飛行機の搭乗員が90名戦死しました。
一方の米国は35人でした。
こうした差が出たのは、
米軍は、撃墜された飛行機のパイロットの救助に力を入れていたからです。
パイロットの養成には、時間と予算がかかり、
ベテランのパイロットを失うことは、
今後の作戦展開に大変に不利だったのです。
日本軍は、
パイロットの損失の重大さに
気がついていなかったと、
多くの歴史家から指摘されています。
この戦訓からは、
夕方の4時以降に仕事を命じることは、
極力しないようにした方がいいと思います。
いや、トップは、
パイロットの安全衛生や疲労の状況、
訓練の練度を総合的に考えて
判断することが重要です。

米国のワシントンDCにある、
スミソニアン航空宇宙博物館では、
史上初の空母対空母の戦いの珊瑚海海戦や、
ミッドウエイ海戦が
パネルで説明されていました。
私が始めて米国に行った日は、
6月5日でした。
ワシントンポスト紙を買ったところ、
「ミッドウエイ勝利の日」
ということで、
特集記事がたくさん載っていました。
6月5日が何の日かアメリカ人は知っています。日本人は誰も知らないと思います。

防衛省にいたときに公開された
映画「ミッドウエイ」には、
珊瑚海海戦とミッドウエイ海戦が
描かれています。
この日米海軍の史上初の戦いを、
ドイツ人の監督が相当リスペクトしている
ことが伝わってきて、おすすめです。
また、戦後の日本の発展を支えた経営者は、
戦争から多くのことを学んでいます。
医学と戦争の関わりについて解説したマガジンです。恐縮です。有料です。
