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洋の東西を問わず、子どもの労働を禁止することから労働者保護法は始まった。 洋の東西を問わず、事業者は、児童の健全な成長発達や安全衛生を無視する

東京慈恵会医科大学の公衆衛生学の名誉教授の清水英祐先生の著書「職業がん」(産業医学振興財団)を読みました。

清水先生は、私が役人一年生で、労働省の労働衛生課に勤務を始めた頃に、慈恵医大の教授をされていました。

その後、産業医学や労働衛生に係ることを教えていただいた先生です。

先生がライフワークにされていた職業がんの本を上梓されたと聞いて、読ませていただきました。

世界の職業がんの歴史とエピソードがまとめられており、勉強になります。

ハベレオ通信において、紹介させていただきます。

世界で最初の職業がんに関する報告は、イギリスの外科医のパーシバル・ポットによる、煙突掃除人の陰嚢皮膚がんの例です。

これによりポットは、職業がんの父とも呼ばれます。

職業がんの特徴は、比較的若年で発症すること、曝露して長い潜伏期間があること(10年~30年、石綿は40年)、離職後に発生する可能性があること、があります。

臨床症状、病理組織像、治療方法、予後に関しては、一般がんと比較して「特徴のないことが特徴だ」と言われます。

煙突の起源は12世紀頃のイタリアに遡るといわれています。

イギリスでは、当初は貴族の館などで使用されはじめて、石炭利用の拡大とともに16世紀頃には、一般家庭にも普及しました。

イギリスの石炭の使用は、14世紀から16世紀にかけて著しい勢いで進行します。

18世紀の初め頃の石炭の生産量は、300万トンくらいでした。

人口は600万~700万人で、一人当たり年0.5トンの石炭を使用していることになります。

1666年にロンドン大火が発生しました。製パン店のかまどから発生したといわれています。

これ以降、火災予防のため煙突の掃除をすることになりました。

掃除人は徒弟制でした。煙突の中に詰まるクレオソート堆積物を確認するために、男の子の見習いとして雇い、掃除をさせるようになりました。

そのような男の子のことを、クライミング・ボーイ(よじ登り小僧)と呼びます。

多くは、孤児院にいた子どもやホームレスであり、ときには貧困家庭から人士売買で引き渡された子どももいました。

年齢は6歳から10歳くらいで、今で言えば小学生の低学年です。

クライミングボーイの煙突掃除は過酷な労働でした。

子ども達は長時間労働を強いられました。

今であれば、完璧な児童虐待で、警察に通報されます。

ブラシとスクレーパを持たされ、煙道を這い上がり、這い降りしました。

煙突の大きさは23センチ×26センチです。

狭い空間の煤の中での危険な作業のため、火傷や窒息死することもありました。

また、呼吸器疾患、足首の変形、脊椎のねじれ、目の症状、発育障害、そして青春期になって陰嚢皮膚がんが発症しました。

生活面でも、狭い煙道内の掃除をするためには身体が小柄である必要があり、大きくならないように、与えられる食事は最低限だったといわれています。

煤まみれの子どもたちは、良くても週1回、ひどいときには1年に3回しか浴槽で身体を洗うことはありませんでした。

煙突掃除人、特に年少の少年たちの働く姿は注目されました。

その過酷さから保護法律の制定へと向かいました。

最初の法律は、1788年の「煙突掃除とその徒弟の改良取締法」です。

8歳以下の少年は煙突掃除人の徒弟にはなれないとされました。

1834年の改正法により、徒弟の最低年齢は10歳に引き上げられました。

1840年の改正法では、徒弟少年の最低年齢は16歳に引き上げられます。

その後も何度も法律改正が行われましたが、なかなか守られることがありませんでした。

1875年の煙突掃除人法により、煙突掃除人が事業を行うためには、地区警察から許可を受けることが義務付けられました。

警察に登録して、警察の監督下に置かれることにより、違反者が摘発されて、ようやく少年達に煙突掃除を行わせる慣行はなくなりました。

以後、煙突掃除人の陰嚢皮膚がんが減少しはじめます。

労働者保護法は、煙突掃除の子どもたちを守るために始まったという歴史は大事です。

昔、東欧のオリンピックの女子の体操選手は、成長させないために過度な食事制限がなされていたという話を思い出しました。

日本の工場法も、製糸工場における女児の長時間労働を防止することから始まっています。

洋の東西を問わず、まずは、子どもの労働を禁止することから労働者保護法は始まったといえます。

事業者は、児童の健全な成長発達や安全衛生を無視することも、洋の東西を問わず事実です。

当局の監督などの強制力がなければ、事業者は法を守らないことも洋の東西を問わず真理といえます。

労働法に罰則があり、また当局が監督を行うのは、過去の歴史から来ています。

労働基準法に寄宿舎規則があるのは、その昔に女工が逃げないように牢獄のようにしていた事業者がいたからです。

さまざまな制度がありますが、歴史を知ると、その制度が何のために必要だったのかが分かります。

昔は、労働安全衛生法の安全衛生規則に、たんつぼの規定がありました。

結核に罹患する労働者が多くて、痰を吐く壺を備えるようにという趣旨で設けられた規則です。

結核患者が吐く痰には結核菌があり、これが感染源にならないようにするものですが、さすがに現在は削除されています。

労働基準監督官の人から、昔は「たんつぼ監督官」というのがいたと教えていただきました。

事業者に「たんつぼを置け」という指導ばかりしていたそうです。真偽のほどは不明ですが、結核が国民病だった時代はありえたと思います。

歴史は大事です。


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