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災害救助法の適用を判断することは、難しい

災害救助法は、適用基準を満たす応急救助を必要な時期に適用する特別法、という性格があります。

この災害救助法を適用するかどうかの判断は、都道府県知事がしますが、なかなか難しいのです。

私は富山県にいたときに、災害救助法の適用について貴重な経験をしたので、少々長いのですが、ご紹介させていただきます。

日本海に面した富山湾には、昔から「寄り回り波」という高波が発生することがあります。

日本海の北部から富山湾にやってきた波が、海岸近くで急に高くなって、沿岸部に被害を与えるのです。

平成20年2月に発生した寄り回り波によって、死者2名、重軽傷者16名、家屋被害が454棟の被害がありました。

特に入善町の被害が多くありました。

災害救助法の適用があるかどうかは、国の基準が示されております。

被害を受けた市町村の人口に応じた住家損失世帯数などの基準があり、最大の被害を受けた入善町の人口に照らすと、被害が少ない状況でした。

ただ、国が示す基準の中には「多数の者が生命・身体への危害を受け又は受けるおそれが生じた場合」という、どうとでも解釈できるものがありました。

このあいまいな基準をつかって、災害救助法の適用ができるかどうかで、迷っておりました。

実は、このとき富山県の職員は、災害救助法の適用の判断をしたことがありませんでした。

昭和38年2月の豪雪で、災害救助法が適用されたことがありましたが、そのときの職員は皆退職していて、誰も知らなかったのです。

その後富山県は、災害救助法の適用を受けるような、大きな災害を受けたことがありませんでした。

昼ご飯を、県庁の近くの餃子屋で食べて戻ったところ、ある新聞社の記者が部長室にやってきました。

「部長は餃子屋におられましたね。実は私もいたのですよ」

初めて会ったのに、馴れ馴れしく話しかけてきました。

「ところで、今回の寄り回り波ですが、災害救助法の適用はどうするのですか?

うーん。難しいね。担当課でいろいろと調べているけど」

正直に答えました。

翌日、記事を見て驚きました。

「県、災害救助法適用断念」という見出しの記事が出たのです。

この記事を見た、他の新聞社の記者が取材に来ました。

「今、調べているところであって、断念したわけではない。この記事は勇み足だ」と答えました。

知事から、直接に電話がありました。

断念したのか?

「このような重要な案件を、知事に相談もせずに判断することはありません。今、いろいろと調べているところで、今後の対応につきましては、ご相談させていただきます」

「そうか。わかった」

知事からは、特に叱られることもありませんでした。

担当課長と相談しました。

災害救助法が適用される市町村にはメリットはありますが、デメリットはありません。

災害救助法が適用された市町村では、避難所の設置や給水などの災害救助に係る費用負担がなくなり、県と国が負担することになります。

ざっくりいえば、被害を受けた市町村は、費用負担を心配することなく救助活動ができるのです。

毎年の台風で被害を受ける県のように災害救助法の適用に慣れている県と、全く適用したことがない県がありました。

慣れていない県は、災害救助法の被災家屋数の基準だけで判断してしまい、適用を見送ることがあります。

厚労省からは「県の判断でできる」とお墨付きをいただきました。

当時は、厚労省が災害救助法の所管官庁でした。

さっそく知事に報告しました。

被害の特に大きかった入善町に災害救助法を適用することとし、知事に会見で発表していただくことにしました。

土曜日でしたが、知事会見を午後にセットしました。

富山県では実に、45年ぶりの災害救助法の適用でした。

取材に来た各社の記者たちは、県が早急に災害救助法を適用したことを評価してくれました。

ところが、おさまらないのは、「断念」と報道した全国紙でした。

知事会見が終了した後に、二人の記者が興奮して部長室にやってきて、宣告しました。

「大変なことになりましたね。どうして方針転換したのですか。ただでは済みませんよ」

翌日の日曜の各社の新聞記事は、「県、災害救助法適用」でした。

しかしあの全国紙だけは、「断念、一転適用」という見出しでした。

なぜ「断念」から一転して「災害救助法適用」になったのか、という記事を連日掲載しました。

入善町の町長さんから、私に電話がありました。

「全国紙から、何回も取材されて困っている。災害救助法が適用されて、入善町が困ることはなにもない、富山県の判断に感謝していると答えている」

厚労省の社会援護局の総務課長から電話がありました。

「富山支局の記者が、災害救助法の適用について、長電話をかけてくるので大変困っている。一体何が富山県であったのか。職員が仕事ができないと嘆いている。局長が怒っており、富山県に説明に来させろと言っている」

このときの局長は、乳がん検診とリハビリテーションのサメ局長でした。

私の髪の毛が白くなったのは、この局長の下で働いていたときからです。

総務課長もまた、同じ時期に私と一緒に老健局におられたので、サメ局長の性格をよく知っておりました。

「悪いけど、ことの顛末を局長に説明に来てくれ」

夜11時、富山駅から上野行きの寝台夜行列車に乗り込みました。

翌日早朝に、厚労省の社会援護局に行ったところ、まるで蜂の巣を突いたような騒ぎです。

国会案件で、局長が緊急に対応しなければならなくなったようでした。

局長、総務課長、書記室がドタバタ状態でした。

局長室から出てきたサメ局長が、私を見て言いました。

「説明はいい。災害対策をしっかりやれ!」

総務課長は、「と、いうことで局長は、了解されたようだ。富山からご苦労さま」と、にっこり。

国会のおかげで、助かりました。

全国紙の取材は執拗でした。

富山県議会で厚生部に対して、20問の質問通告があり、夕方に答弁書を議論している最中に、その全国紙の記者が、取材したいと言ってきました。

いったん答弁作成をやめて、取材に応じました。

この記者は、「断念」の記事を書いた記者とは別の人でした。

「災害救助法を断念したのに、一転して適用としたことを、富山県として、どう落とし前を付けるのですか?」

「落とし前? 言っている意味が分からない。災害救助法を適用して困っている県民は一人もいない

「いったん断念したのに、なぜ適用することにしたのか、どうして適用の判断が遅れたのか、厚労省も富山県の対応がまずいと言っている。断念から適用にかわった一連の経緯を、県民に対してきちんと説明する必要があるのではないか?」

「この件について県民からの苦情は全くない。地元の県会議員でさえも災害救助法の適用について何も言ってこない。被害の甚大な入善町の町長からは感謝された。厚労省からはしっかりやれと激励された。一体何が問題なのか判らない。問題もないので、県民に説明する必要もない」

こうしたことを1時間ほどやりとりしました。

「厚労省からしっかりやれと激励された!」というところは、かなり怪しいのですが、まあ事実です。

私が取材を受けている間は、県庁職員が帰れません。

「明日の県議会の答弁作成のために、各課の職員が待機しているので、ここまでして欲しい」と終了させました。

翌日の県議会の本会議では、ある県会議員から合計10問の質問通告を受けておりました。

準備した答弁書を全部、議事堂で読み上げて、座席に戻りました。

そのとき駆け寄ってきた会計課長から、耳打ちされました。

「議員は9問しか質問しておりません。部長は10問答えております。1問は余計でした」

ううう。しまった。

県会議員は、再質問に立ちました。

こ、これは、当然叱られる……。

「厚生部長、私が間違えて読み飛ばした質問にまで答えてくれて、どうもありがとうございました」

議員はお礼を言い、他の議員からのヤジはなく、議長に詰め寄る議員もいません。

私が質問されなかったことに答弁したことについて、県会議長からは、特段の指示もなく、何事もなかったかのように本会議は終了しました。

議会終了後に、議長から呼ばれて改めて注意があると思ったのですが、何もありませんでした。

翌日の全国紙の富山県版を見ました。

「富山県議会での審議は全く低調だ。県のある部長はあろうことか議員が質問していないことまで答弁して、失笑を買った。」

そう書かれてあったのです。

ただ、この日以降からは、全国紙の災害救助法の適用関連の記事はなくなりました。

後日、全国紙の記者から「落とし前の真相」を聞かされました。

県議会で質問をしていないことに答弁した部長の記事は、全国版の社会面で掲載することになっており、私の実名も載せることになっていたそうです。

複数の記者が、支局の幹部に詰め寄りました。

「自分は富山県議会議事堂にいた。議長を含め、議員全員が全く問題にしなかった部長の答弁を、しかも質問した議員本人がお礼まで述べたことを、全国版で実名報道する意図が、全くわからない!」

現場で事件にならないことでも、記事にして報道すれば、リアルな事件となります。

それが、全国版の社会面に実名で晒されたなら、相当な社会的影響があっただろうと想像します。

現在なら、ネットで顔写真や住所まで特定されて、炎上したでしょう。

反対してくれた記者のおかげで、県内版の記事にすることで収まったそうです。

人生いろいろ、記者もいろいろ。

夏に「断念」の記事を書いた記者が、部長室に来ました。

東京本社に異動が決まったので、あいさつに来たとのことでした。

出て行こうとした記者を、私は呼び止めました。

「一つだけ聞きたい。断念を英語では何というの?」

英語に堪能で、富山支局に来る前は外信部に所属して外国にいたという経歴を、他の記者から教えてもらっていました。

さすがは英語の使い手。

「give up」

咄嗟に返事がありました。

「取材を受けたとき、give up とは言っていない。difficult とは言った」

記者は黙っていました。

「なんであのような記事を書いたのか。私に電話で確認すればよかったはずだ。渡した名刺には電話番号がある。誰も困らない災害救助法の適用をあたかも問題があるかのように報道した。私の議会答弁も記事にした。いずれも記事にするような話とは思えない」

記者は、反論しませんでした。

「貴方は報道される怖さを知らない」

記者は無言で立っています。

私は、いつか物書きになる。そのときには、富山湾の寄り回り波のことを必ず書く。餃子屋から帰って、この部屋で貴方から取材を受けたことも書く。世の中には、書かれて黙っている人ばかりではない。そのことをよく覚えておくように」

記者は、無言のまま、一礼をして、出て行きました。

あれからおよそ20年経ちました。
災害救助法の所管は、内閣府に変わりました。

恐縮です。
富山の寄り回り波のことは、記者に大見得を切ったのですが、まだ書いておりません。(汗)


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