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宮崎には日本陸軍の発祥の碑がある

1919(大正8)年、第一次正解対戦後の国際体制を決めるパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を提案しました。

当時の世界では有色人種の誇りをとり戻そうという趨勢があり、日本はアジアの独立国として、多くの国の支持を得ることができました。

しかし、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの反対によってその案は否定されました。

しかし、その会議で日本は国際連盟の常任理事国となり、旧ドイツ帝国領であった南洋諸島(現在のサイパン、パラオ、マーシャル諸島など)が
南洋諸島が日本の委託統治領となりました。

国際連盟の初代事務次長に就いたのは、前の五千円札の肖像になっている新渡渡戸稲造です。

彼が英語で著した「武士道」は、日本人の生き方や考え方を紹介する日本文化の解説書として広く読まれ、世界的な知名度がありました。

新渡戸稲造は、キリスト教信者で、アメリカの大学へ留学し、奥さんもアメリカ人という国際人でした。

それでも当時欧米では、日本人や東洋人はそれだけで差別される時代でした。

新渡戸稲造は、そんなことは百も承知でスイスのジュネーブに住み、国際連盟の仕事にまい進しました。

第一次世界大戦では2500万人が死んだ。それを忘れてはいけない。

各国がそれぞれ人種差別に向かったのでは世界が悪くなるばかりだ。

人種平等を目指してナショナリズムは抑えようと奮闘しました。

その姿勢が世界から支持された時代でした。

日本は第一次世界大戦においては連合国で戦い、ドイツの統治下にあったあサイパン島やトラック島などの南洋諸島を占領していましたので、戦後、やろうと思えばそれらの島を植民地にすることもできました。

しかし、このとき新渡戸稲造は「それでは日本の名がすたる」と考え、委任統治という制度を発明しました。

このまま占領地を日本のものにしたのではなく、「これらの南洋諸島は戦勝国全員のもので、一応、日本が委任を受けて預かる」という仕組みを作りました。

南洋諸島が委任統治領になると、日本政府は南洋庁を設置して、開発や産業振興とともに、公衆衛生や教育を推進しました。

それまでの統治国ドイツは、サイパン島を流刑地にしていたほどで、現地の住民への教育も開発も全く行いませんでした。

日本が行った政策はまるで逆でした。

このとき新渡戸稲造は、一高時代の学友で後に民俗学者として高名になる柳田国男を国際連盟の委任統治委員に就けました。

柳田国男は、農林省の高級官僚として、駆け足で出世した人物でしたが、役人の中では風変りな存在で、「農村にこそ日本人の真実があるのたから、送れていると決めつけてはいけない。開発するにもまず研究が必要だ。」という考えも持ち主でした。

40代で貴族院書記官長を最後に官を辞して、民話などの民族資料の収集をして全国をまわっていました。

日本は欧米流の植民地支配はしないーーこれが柳田国男の考え方でした。

そのため南洋諸島では、それぞれの島にはそんな秩序があって、島民はどんな生活をしているのかまでを調べています。

島の資源は一定だから、勝手に木を切ったりしていると全員が滅びてしまう。

そのため非常にサステナブル(持続可能な)システムがあることや、戦争になるときは、近くの島ではなく、少し通り島との争いになる、といった柳田国男の報告書が残っています。

南洋諸島の統治はこうしたレポートを元に、行われました。

島々に今も残っている言葉に「運動会」があるそうです。

戦後、日本を訪れたトラック島の老人は、「日本人はわれわれに”運動会”を教えてくれた。あんなに面白いことは初めてだった」と感激の面持ちでした。

あるとき「この日、この場所に集まれ」と集合をかけて運動会を開催したのだといいます。

その日になると、大勢の住民のが、丸太の船に帆をかけてトラック島に集まって、かけっこなどの競技をしました。

大小の島々に散らばっている住民たちも、こうしたことから一つにまとまっていたということです。

日本は各種の産業を教えて製品を買い上げました。

搾取はしない。保護もしない。自立せしめる。

それが柳田国男や新渡戸稲造の目指した統治でした。

これは、日本が武士道国家であることからくるものだろうと、日下公人先生は指摘しております。

武士は、源流をたどれば地方のゲリラです。

貴族が所有していた領地を奪って、自らの領地としました。

その自主独立の精神が、仏教や儒教と溶け合い、義・勇・仁・礼・誠を尊び、名誉を重んじる「武士道」となりました。

その精神により、現地の人は矜持を持って自立せよというのが、日本の南洋統治でした。

柳田國男は、日本の民俗学の発祥と言われているので、ドメスティックな人かと思っておりました。

グローバルな人材だったのですね。

後に、アメリカの海兵隊のエリス大佐が、日本てアメリカが衝突するとしたら、南洋諸島が主な舞台となると、調査をしています。

日本は、まったく要塞の構築を進めていなかったので、エリス大佐はほっとします。

エリス大佐は、南洋諸島調査中に行方不明となります。

もしかしたら、日本軍によって消されたのかもしれません。

歴史には、こうしたエピソードがあります。

日本は、米国の海兵隊に負けたようなものです。

アメリカは、日本と南洋諸島で戦うことになると、相当前から研究をしてきましたが、日本は、全くそのようなことを考えたことがありませんでした。

日本陸軍の仮想敵国は、ロシアでした。舞台は満州の平原です。

しかし、実際に戦ったのは、南洋諸島の海兵隊でした。

日本陸軍は、米国海兵隊のことは、ほとんど知りませんでした。

宮崎市に皇軍発祥の地の碑があります。
陸軍大将杉山元の書でした。

今では、誰も知る人のない碑ですが、歴史を感じました。

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