石ノ森章太郎さんが漫画家をめざしたきっかけは皮膚病だった
「石ノ森章太郎の青春」(小学館文庫)を読みました。
作者は、もちろん漫画家の石ノ森章太郎さん。
買ったのは、宮崎県庁の近くの古本屋さんです。
何度か、店の前を通ったことがあるのですが、今まで入ったことがありませんでした。
勇気を持って入ったところ、漫画大賞を受賞した児島青さんの「本なら売るほど」が1巻から3巻まで展示されておりました。
それを見て、落ち着きました。
ちくま文庫から出ている、長井勝一さんの「ガロ」編集長、も買いました。
さらに、Geminiに、ハベレオ通信は今後何を書けばいいかと聞いたら、宮崎県出身の安井息軒を書けとのご神託を受けたばかりだったので、黑江一郎さんの「安井息軒」(日向文庫)を買いました。
さらにさらに、西米良村出身の菊池武夫男爵の伝記である「菊池武夫伝」がありました。
しかし値段が書いてなかったので、おいくらですかと聞いたところ、1000円ということでしたので即買いました。
昨年に父と二人で西米良村のリ・ボーンという旅館に泊まって、菊池武夫記念館に行ったら休みでした。
残念だとおもっていたので、この本にめぐりあって良かったです。
かように、エキサイティングな古本屋でした。
また行きますよー。

さて、家に帰って石ノ森章太郎さんの本を読んで、なるほどと感心しました。
石ノ森章太郎さんが漫画家をめざしたきっかけが書かれていました。
それは、病気が原因だったのです。
皮膚病の一種の「湿疹」という病気でした。
幼児期から少年時代のおわりまで、この病気に悩まされ続けていたと書いてありました。
石ノ森章太郎さんの姉も小児喘息で二人してアレルギー疾患でした。
美しかった姉は若くして亡くなりましたが、石ノ森章太郎さんは、生き延びることができました。
高校を卒業して東京に出て行った頃から体質が変化したせいか、土地がかわったせいなのか判りませんが、治りはじめて、痕跡すらなくなりましたが、子どもの頃はひどかったそうです。
毎日が地獄だったと言っております。
湿疹は、季節の変わりめ、とくに寒さにむかうときにひどくなりました。
激しい痒みがおこります。
がまんしようにもできないはげしい痒みが、つぎからつぎと全身に広がりました。
たまりかねてひっかくと、たちまち患部はただれ、くずれ‥‥痛みが加わりました。
そのために爪は、いつも短くきらされていました。
寝るときには、指のついていない手ぶくろをさせられました。
眠っているあいだにも、自然にかいてしまうからでした。
身体中にクスリをぬられ、包帯をまかれました。
まるで「ミイラ男の息子」のようでした。
情けない、他人には見られたくない姿でした。
しかもぬり薬は、タールのような黒い軟膏だったのです。
季節がかわり、患部がなおって包帯をはずしても、肌にはごけ茶色のしみがついていました。
しみは長いあいだ消えませんでした。
半ズボンははきたくない。
そのためなるべく家にいたのです。
ぜん息のために家にいることの多かった姉と一緒に過ごす時間が多くなりました。
そのときの遊びのひとつが、絵をかいたり、おはなしをつくったり、それをまとめて雑誌にしたり、でした。
石ノ森章太郎さんにとって、湿疹は、精神的外傷、つまりトラウマであり、劣等感(コンプレックス)で、恥の部分でした。
こういう病気を経験したからこそ、部屋の中でひとりシコシコと絵を描くことになりました。
漫画家という職業を選ぶきっかけになったのかもしれないと言っています。
劣等感が人をつくる。
劣等感におしつぶされまい、というがんばりが、その人の成長につながる。
自分を書くということは、恥をかくことである。
これらの言葉は、そのとおりだ、と石ノ森章太郎さんは言っています。

石ノ森章太郎さんは、湿疹を治すために、さまざまな治療を試みました。
ドクダミという薬草を煎じて飲みました。
猛烈なにがい味でした。
仙台の大学病院では、青白くまぶしい紫外線照射治療を受けました。
鳴子温泉に何度も行き、イオウの臭いの湯につかりました。

石ノ森章太郎さんは、3歳年上の小児喘息の姉の介護もしました。
ぜん息の発作は時間を選びません。
「ごめんネ、章太郎」
苦しい息の下から、姉は、手を握った石ノ森章太郎さんに、いつもこういってわびていたそうです。
苦しむ姉はきらいでした。
医者が来て、注射をして、発作がおさまると、姉はつかれて眠りにつきました。
章太郎さんは、また姉が好きになります。
美しい姉は、弟の誇りでした。
ある日、一人の行商人が、幼かった頃の姉を見て、この娘は美しすぎる、美人薄命‥‥と、世事にしては心ない言葉をはいたそうです。
母はずっと、この言葉を気にしていました。
そして、そのとおりになりました。
23年生きて‥‥、亡くなります。

石ノ森章太郎さんは、高校を卒業して、両親に黙って漫画家になるために上京します。
住む場所は、漫画家の梁山泊であるトキワ荘の寺田ヒロオさんに手紙を書きました。
姉だけにはしゃべっていました。
駅には、姉が見送りに来ていました。
気を付けてね。ハイ、これ、なにかのたしにしてちょうだい
せん別でした。
それからこれは、母さんからよ。
これは叔母ちゃんから‥‥。
お前のことが心配だから、みんな反対してたのよ。だから、しっかりね。
すまないという気持ちがわいた。
だが、もう、ひきかえせない。
汽車がうごきだした。
姉の白い手と顔が、闇の中に遠ざかる……。

人生で一番たいせつなモノはなんだろう。
石ノ森先生はこう答えています。
金でもない、地位や名誉でもない。
健康だ、と。
空気のように、ふだんは気づかないが、病気になると、はじめてその大事さに気づく。
やはり、公衆衛生は大事ですね。
最後に解説を読んで驚きました。
すがやみつる先生が書いておられました。
繋がっていると感じました。
