超超ブラック企業の紡績界に、武藤山治はただ一人鷲のように舞い降りた
ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、社会保険三部作をつくりました。
これは、まったくのオリジナルではありません。
ドイツでは鉄鋼や軍需産業として有名なクルップ社が、既に、疾病者に対する疾病金庫、年金金庫などを独自に運営していました。
ビスマルクは、それを他の企業に普及するように拡張する政策をとったのです。
ざっくり言えば、パクったのです。
それをけしからんと
SNSで拡散してはいけません。
日本人もパクりました。
ドイツの疾病金庫は、日本の内務省の役人がドイツに渡り研究を重ねて、
1922(大正11)年の健康保険法の成立につながっています。
これは、現在にいたる健康保険法ですので、炎上させないでください。
誇り高きイギリス人も、ドイツに渡り研究して、パクっています。
イギリスでは、その後、保険ではなく税財源による国民健康サービス(NHS)に発展していきます。

日本の武藤山治は、社会保障の発祥地のドイツに留学して、クルップ社の福祉的な取り組みを学びました。
日本に帰国した武藤は、鐘紡(現カネボウ)でさっそくドイツ流の社会保障政策を導入します。
共済組合タイプの健康保険、年金保険を取り入れたのです。
この頃の日本の紡績会社のビジネスモデルは、若い女性を低賃金で長時間労働を行わせて酷使し、脱走をしないように監獄のような寄宿舎で囲い込みを行って、稼いでいました。
現在の労働基準法に寄宿舎の規則があるのは、その頃のなごりです。
さらに紡績会社は同盟会をつくって、加盟会社間で、女工の引抜防止協定を結んでおりました。
たとえが悪いのですが、今のプロ球界もそうです。

紡績界は、健康体で工場に入ってきてから、9か月のちには骨と皮になって出された女工の20パーセントは結核で、そのまま亡くなりました。
そのような超超ブラック企業の紡績界に、武藤はただ一人、鷲のように舞い降りました。
低賃金の冷酷主義的経営に対して、高賃金の温情主義的経営で切り込みました。
武藤の温情主義は、従業員のやる気を引き出しました。
それはそうでしょう。誰でも給料が上がればやる気がでます。
こうして鐘紡は、ほかの紡績会社をはるかにしのぐ好成績をあげました。
紡績会社同盟会は、アウトロー(?)の鐘紡に対して、引抜防止協定への加盟を要求してきました。
武藤は断固としてこれを拒否し、他の紡績工場の監獄的寄宿舎から脱走してきた女工たちを働かせました。
給料が高い会社に移るのは、当然のことでしょう。
ちなみに、日本のプロ野球からアメリカ大リーグに移るのも、給料が高いからです。
この流れは、もはや誰にも止められません。

しかし、これに怒った紡績会社同盟会は、ヤクザをつかって鐘紡の営業を妨害しました。
武藤もさるもの、ヤクザをつかってこれに対抗しました。
まるで漫画のような話です。
「鬼滅の刃 紡績工場編」を書こうかと思いました。
武藤は、後に国会議員となり、その後にジャーナリストに転じますが、最後に暗殺されました。
社会保険の歴史を調べてみると、キャラ立ちする人物がいて面白いです。
