コッホに対して怒りを覚えたので、「いとしのエミー」という顕微鏡loveの歌をつくってみた
結核菌を発見したコッホの話です。
コッホは、1908年に夫婦で日本を訪問しております。
日本には、なんと74日間滞在して、日本各地で講演をしています。
日光、鎌倉、京都、奈良、宮島などの観光地も訪れました。
コッホの弟子の北里柴三郎は、この恩師夫妻を全力でアテンドしています。
全日程をJTBの添乗員のように同行しました。
結核菌を発見してノーベル賞を受賞したコッホは、日本の各地で神のように扱われました。
その待遇は国賓クラスだったそうです。
コッホが訪れた地域は、ドイツ国旗を持った人々が出迎えました。
明治天皇にも拝謁しております。

もともとは、コッホはドイツの田舎の開業医でした。
誕生日に妻のエミーさんから、顕微鏡をプレゼントされたことがきっかけとなって、その後の人生を変えることになりました。
コッホは、顕微鏡で炭疽菌を発見し、一躍有名になりました。
その後、細菌学者として成長していきます。
コッホが開発したのは細菌を培養させるための培地です。
日本産の「寒天」を使ったのです。
オランダ領インドネシアに住んだことのある女性が、日本産の寒天を使ってジャムを造っていたのです。
それを見て、ひらめきました!
弟子のペトリが作ったペトリ皿と、寒天をつかった培地は細菌学における画期的なイノベーションで、その後の細菌学を発展させました。
さらに、日本人の弟子である北里柴三郎の活躍が、師匠を有名にしました。
晩年のコッホは、自分を有名にした寒天と北里柴三郎が生まれた日本に来ることができて、本当に良かったと思います。
画家のゴッホは、日本に憧れて浮世絵を模写し、日本に行こうと思いましたが、夢はかないませんでした。
名前は一字違いですが、人生的には大違いです。
こころを病んだゴッホは、右耳を切り落としてしまいました。
死後はコッホと同じくらいに有名になりましたが……。
是非ゴッホには、日本に来て、下関にある赤間神宮の耳なし芳一の墓にも参って欲しかった。
違うか……。

コッホの弟子の北里柴三郎は、もともと軍人か政治家志望で、オランダ語を学んだ方が有利だと熊本医学校に入学してきたのですが、顕微鏡に夢中になって医師になったという経歴があります。
この顕微鏡コンビは、東京都の白金にある北里研究所の神社に祀られています。
その名前は、「コッホ・北里神社」です。
実は、私も医師を希望したのは、顕微鏡を見たからです。
小学校1年生のときに、椎葉村立国保病院の先生から、顕微鏡で血液をのぞかせてもらったことが衝撃的でした。
その後、父から顕微鏡を買ってもらいました。
顕微鏡つながりで、いつか、コッホ・北里神社をお参りしたいと思います。

コッホが日本に連れてきた奥さんは、顕微鏡をプレゼントしてくれたエミーさんではなく、30歳も若い美人の女学生でした。
こらー。エミーさんに謝れ。
コッホに対して怒りを覚えたので、
「いとしのエミー」という顕微鏡loveの歌
をつくりました。
あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを忘れずにいたいよ
もどかしさもあなたにゃ程よくいいね
エミー my love so sweet
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin my mind
さそい涙の顕微鏡
エミー my love so sweet
エミー my love so sweet
すいません。
昨日、椎葉村に帰って、今日は宮崎です。
どうも、今日は疲れているようか気がしております。
写真は、ラミーカミキリです。
ラミー my love so sweet
