歌は世につれ、世は歌につれ。公衆衛生は世につれ、世は公衆衛生につれ
7月になりました。
例年と違って寒いです。
今年は冷夏になりそうな気がします。
平成5年は、歴史に残る冷夏の年でした。
私は、青森県むつ保健所に勤務しておりました。
うまれて初めて冷害というのを経験しました。
本当に寒いのです。
7月というのに、吐く息は白くなり、保健所の中ではストーブを焚いておりました。
毎日雨が降りつつき、東から「やませ」という風が一日中吹いていました。7月から8月の間に晴れた日は数日でした。
そのため下北半島では米は一粒も実ることがありませんでした。
秋には、スーパーから米が消え、「米騒動」が起こりました。
米屋さんは、昔からの知り合いにしか売ってくれませんでした。
米不足に陥った政府は、タイ米の緊急輸入をしました。
タイ米を初めて食べた日本人には不評でした。
パラパラして粘り気がないから、米だと認識しませんでした。
私は、東京でタイ料理屋によく行っていたので、全然問題はありませんでした。それでも、日本のネバネバ米が恋しかったです。

厚労省の医政局の審議官として勤務したときの医政局長は岩手県の出身でした。
局長室に掲げられたのは、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」です。
詩は流れるような筆で書かれており、大変りっぱな額に入れられておりました。
これはさそや高名な書道家が書かれたものだろうと思いました。
局長に質問したところ、「女房が書いた」とのこと。
なんと、国語の先生をしていた奥様が書いた故郷の偉人宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。
高校時代の同級生で、同じ生徒会の役員をしていたそうです。
このときに予算案を生徒会総会にかけて、質問に対する答弁をしたことが、後に厚労省に入るきっかけになったとおっしゃっておりました。
もう二度と、最愛の奥様が書かれた書を局長室に飾る人は出てこないと思います。
このご夫婦とカラオケに行ったことがありました。
私が得意のNSPの曲を歌ったところ、局長夫妻から大きな拍手をいただきました。
NSPは、岩手県一関市出身のフォークグループだったのです。
「宮崎出身者がなんで、故郷の偉人NSPのことを知っているんだ!」と喜んでおられました。
意外な共通点があって驚きました。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
入ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモセズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
うーむ。改めて読むと深いです。
「利他」の精神に溢れており、公衆衛生の歌とも言えます。
後ろの方に、「寒さの夏はオロオロ歩き」というところがあります。
夏が寒いのは言い過ぎだろうと思っておりましたが、下北半島のやませを経験してからは、納得しました。

NSPの歌詞に宮沢賢治の影響があるかどうか、Geminiに聞いてみました。
この曲のこのフレーズが賢治のオマージュである」といった明確なエビデンス(証拠)はありません。
しかし、彼らが吸ってきた「岩手の空気、光、寂しさ」という共通のフィルターを通しているからこそ、NSPの歌の中に宮沢賢治の詩世界に通じる「イーハトォブ」の優しさと哀愁を強く感じるのは、ごく自然なことだと言えます。
青森に3年間住んで、NSPの歌がかなり身近になったと感じました。
特に「雨は似合わない」という歌は、北国に過ごさないとわからないと思いました。
水たまりをはねかえし 白いソックスは泥だらけ
君がころべはいいなとね 僕は冗談に言ったっけ
冬だから雨は似合わない
冬だから白と黒の街
冬だから寒いのはしょうがない
冬だから君を思い出す
冬だから雨は似合わない
冬だから君はもういない
歌は世につれ、世は歌につれ。
公衆衛生は世につれ、世は公衆衛生につれ
新しい標語ができました。ちがうか。
