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大型のフェリーが横付けできる港が宮崎県に3カ所ある

横浜港に「氷川丸」があります。

戦時中は、病院船として運用されていました。

現在、日本には病院船はありませんが、米軍は2隻の病院船を持っています。

医政担当の審議官だったときに、米国海軍の病院船マーシーが日本に寄港し、東京湾に来たので見学をしたことがあります。

ベッド数は約1000床で、ICU やMRI、CTなどがあり、その充実した装備に驚きました。

輸血用の血液は、全部O型でした。

有事の際は、いちいち血液型の確認をする暇はないので、O型の血液のみ確保しているという説明がありました。

米軍の合理性に感心しました。

実は、120年前の日本には、20隻の病院船がありました。

病院船の内訳は、日本軍が18隻、日本赤十字社が2隻です。

日露戦争では、これらの病院船で、戦場となった大陸から約33万人の負傷者を日本に運んで治療をしています。

一方、ロシア軍は、シベリア鉄道でウラル山脈の西まで負傷者を運んで治療をしました。

満州の戦場の外では、壮大な地球規模の「船」対「鉄道」の負傷者後送作戦が展開されていたのです。

日露戦争は、史上初めて、感染症による死亡より、戦いそのものの傷による死亡が上回った戦いだと言われています。

いわば、衛生の戦いでした。

勝利した日本軍の軍医システムや衛生体制は、当時世界一の水準と言われました。

米国と英国は、日本軍の衛生システムを調べて、自国の軍の衛生改革に着手しました。

その後の第一次世界大戦では、国をあげた総力戦となっていました。

戦争の舞台となった諸国では、輸血、麻酔、X線、ワクチンなどの医療衛生技術が格段に進化しました。

欧州の戦いに参加していない日本は、この技術革新を的確にフォローすることができませんでした。

遅れをとった日本は、さらに規模を大きくした第二次世界大戦へ突入することになります。

歴史は、技術の優位性は長くは続かないことを教えてくれます。

ちなみに、台湾侵攻などで沖縄が有事になった際には、多くの負傷者を運ぶ必要があります。

そのときは、病院船になったフェリーが運ぶことになるでしょう。

沖縄から最も近い本土である九州を見ると、興味深いことに気がつきます。

大型のフェリーが横付けできる港が宮崎県に3カ所あるのです。

南から日南市の油津港、宮崎市の宮崎港、日向市の細島港です。

これらの港の近くには、偶然にも日南病院、宮崎病院、延岡病院という県立の病院があります。

報道によると、大規模災害時用に医療機器などを備えた「病院船」の整備に向けた船舶活用医療推進本部の初会合を首相官邸で開き、2025年度中の運用開始を目指す方針を示しています。

首相が年内をめどに整備推進計画案を策定するように関係閣僚に指示をした、とありました。

当面は、民間フェリーを病院として活用することを想定し、将来的には国による病院船の保有を目指す方針だとしています。

大規模災害用として病院船を運用することになると、太平洋側と日本海側の最低2隻は必要でしょう。

病院船に乗る医療スタッフは、非災害時においては研修訓練が不可欠です。

その研修訓練の場として、医師不足の二次医療圏にある医療機関で行うと、ウインウインの関係でいいかもしれません。

例えば、細島港に病院船フェリーの母港にして、車で1時間以内の距離にある延岡日向の救急病院で研修訓練を行うとか。

VUCAの時代は、何が起こるか判りません。

予測できないことをどのように対処していくのか、柔軟な想像力が試される時代になってきています。

人生には三つの坂があります。

上り坂、下り坂、そして「まさか」です。

令和5年1月1日の能登半島地震を予知した人は一人もいません。

災害はまさかです。

まさかのときに備えて、いろいろと考えておくことは大事です。

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