CTは脳外科における「ゲームチェンジャー」である
12月8日は、ビートルズの元メンバーであるジョン・レノンの命日です。
1980年12月8日にファンに銃撃されて死亡しました。
当時、私は高校生でした。
朝、学校に行くと、黒板になんか英語が書かれてありました。
人の名前のようで、ジョンと読めました。
友人に「ジョンって誰?」
と聞いて怒られた苦い思い出があります。
椎葉村の山の中でクワガタやカブトムシを採って育ちましたので、
音楽のビートルズとは無縁でした。
むしろ、
日本人の「ずうとるび」というグループが出した「みかん色の恋」の方がなじみがありました。
ずうとるびのリーダーは、
「笑点」のざぶとんを配る山田君です。

高校を卒業して、いろんな人と付き合ううちに、ビートルズを知らないことは、
致命的なことだと気がつきました。
シャーロック・ホームズを知らずに、推理小説を語ることはできません。
その後、人並みにビートルズを聴いて、
いろんな方々に
影響を与えていることを知りました。
武田鉄矢さんは、
母に捧げるバラードは、
ビートルズの「マザー」という曲に影響を受けた
と言っておられました。
そもそも、ビートルとはカブトムシのこと。
昆虫好きの私が、
このことに気がつかなかったことは
万死に値します。
さらに、
ウルトラマンの科学特捜隊が乗るジェット機の
名前はビートルです。
これとの関連性を見逃していた高校生の自分に、タイムマシンがあればその時代に戻って
回し蹴りを喰らわしたいです。
ちなみに椎葉村では、
カブトムシのことを「オンダラ」と言います。

ビートルズの音楽が
世界のヒットチャートを席巻していたときに、
レコード会社は相当に儲けました。
EMIという会社は、
その豊富な資金を
CTの開発につぎ込んだのです。
CTの開発者は、
ハウンズフィールドという英国の技術者です。
小さい頃から機械いじりが好きで、
いろいろな機械を分解しては、
また組み立てることを繰り返していました。
第二次世界大戦の直前に、
英国空軍に入隊します。
理解のある上官のおかげで、
工科学校に進み、
電子工学とレーダー開発を学びました。
1951年に
EMI社の中央研究所に入社します。
ここでは
兵器システムとレーザーを研究しました。
1960年には、コンピューター・テクノロジーに関心が移り、画像処理の分野に注目しました。
旋盤ベッド上でCTスキャナーを組み立てて、
3D画像を得ようとしました。
画像処理には相当の時間がかかりました。
1969年に、
放射線科の医師アンブローズの協力を得て、
人の脳の画像を撮りました。
当初、
アンブローズ医師は
乗り気ではありませんでしたが、
数週間後にできあがった脳の画像を
医師として初めて見て、仰天したそうです。

私は、1980年代に
医学部で脳外科の講義を受けています。
脳外科の医師たちは、
頭蓋内の病変部位が見えるCTの登場は
脳外科に革命を起こした、
と言っていました。
教科書は、全部書き換えられました。
いわば、
CTは脳外科における「ゲームチェンジャー」
だったと言えます。
私が研修医をしていた病院では、
脳外科医は電話一本で
いつでもCT撮影が可能な特権がありました。
他科の医師は、
事前にオーダー票を出して、
後日に撮影日が伝えられる
というシステムでした。
今考えると、当時はCTと脳外科は一体でした。
そもそもCTの撮影速度が遅く、
動かない臓器である「脳」を撮影できるのが
やっとだったのです。
その後技術開発が進んで、
CTは撮影速度が急速に上がり、
他の臓器でも撮影ができるようになり、
脳外科の特権的地位は崩壊しました。
ビートルズがいなければ、
CTはあの時代に登場することは
ありませんでした。
開発者のハウンズフィールドは、
ノーベル医学賞を受賞しました。
現在のCTの撮影の単位に、
その名前が残されています。

ジョン・レノンが亡くなったのは40歳です。
ジョンの言葉で
今でも覚えているものがあります。
「ベートーベンは好きか?」
とインタビューで聴かれました。
その答えです。
「もちろん好きさ。特にその詩がね」
超かっこいい。
いつかまねしたいです。

