衛生学は実践されなければその目的を達し得ないことから、森鴎外は衛生学を経済学に例えた
森林太郎(鴎外)は、文久2(1862)年に津和野藩の御殿医森家の長男として生まれました。
東京大学医学部を卒業し、陸軍に入り軍医となります。
明治17(1884)年から、ドイツで衛生学や軍の衛生制度を学びます。
明治22(1889)年に帰国した森林太郎は、上司から簡単な衛生学の教科書の作成を命じられました。
林太郎はおよそ1月で教科書「陸軍衛生教程」を書き上げました。
これが、日本人による日本人のための最初の衛生学の本でした。
その後、ライバルとなる小池正直と共著の「衛生新論」(明治30年)、「衛生学大意」(明治40年)といった衛生学の教科書を出版しています。
これらは、森鴎外の衛生学書三部作と言われています。
「陸軍衛生教程」、「衛生新論」は、軍医向けのもので、「衛生学大意」は、口語文で判りやすく一般向けに書かれたものです。

衛生学大意にある文章です。
衛生学と云ふものは、(中略)一言で云へば、人の健康を図る経済学のようなものです。
体の外に在る物を体の中に入れ、又は中の物を外へ出すに当って、其の釣合を取て、健康と言ふ態度が損なはれないやうに、務める法を研究するのです。
衛生学は実践されなければ、その目的を達し得ません。
鴎外は、そのためには衛生学が、一般市民に浸透することが必要だとし、自ら医学雑誌を発刊するなどして、多くの啓蒙論文を発表しています。
衛生学を「経済学」に例えるとは驚きです。
私も様々な公衆衛生学の本を見ましたが、経済学で例えたのをみたのは初めてです。
森鴎外は食事によるかっけ予防を最後まで認めなかった、というマイナスイメージがあります。
しかし、教科書をつくって衛生思想の普及に生涯をかけて努力した点で、評価できると思います。
それにしても1か月で教科書をつくるとは、ただ者ではありません。

百日咳が流行しております。
国立感染症研究所と国立国際医療研究センターが一緒になって4月1日付けで発足した国立健康危機管理研究機構も百日咳について、注意を呼びかけております。
百日咳は、百日咳菌によって起こる急性の気道感染症です。
潜伏期は、通常5日~10日ですが、最大3週間程度とされています。
かぜに似た症状で始まりますが、次第に咳が著しくなり、百日咳特有の咳が出始めます。
咳の特徴は2つあります。
①スタッカート 顔を真っ赤にしてコンコンと激しく咳をする
②レプリーゼ 咳をしたあとに、ヒューッと音を立てて大きく息を吸う発作です
嘔吐も伴い、目の周りの浮腫や、顔面に点状出血が見られることがあります。
乳児は重症となり、特に新生児は無気肺となって死ぬことがあります。
咳だけでなく、肺炎、脳症、中耳炎を合併することがあります。
夜に咳が起こり、長引く咳で痙攣することがある。
患児と両親は睡眠不足に陥ることがあります。
典型的な症状が出ない場合もあり、診断が難しい場合があります。
ランプ法による遺伝子検査が保険適用となっています。
患者の呼気にさらされると、免疫を持っていない子どもの殆どが発病することから、予防接種による予防が重要です。
ワクチンを開発したのは、米国の二人の女性細菌学者です。

釣りキチ三平で有名な漫画家の矢口高雄さんは、幼い頃に、弟を百日咳で亡くしています。
このときの様子を、文章と漫画で描いています。
「僕の先生は山と川」(講談社文庫)にあります。
これを見るだけで、百日咳の恐ろしさと、ペニシリン、予防接種、国民健康保険の重要さが一発でわかります。
真夜中に弟をだっこしながら、母親が「この咳め、いったいいつまで続くというのか……」とつぶやきく姿には涙が出ます。
幼い弟は、咳との戦いに力尽きて、明け方ちかくに死んでいきます。
漫画家の描写力は半端ないです。
医学と漫画は親和性があります。
昔から画家は、解剖学を勉強しています。
私は学生時代に、「美術解剖学」という本を買って、よく読んでおりました。
いろんな病者が描かれた絵が掲載されており、医学の勉強にもなりました。
中野京子さんの「怖い絵」がベストセラーになりましたが、この本を見て「やられた!」と思いました。
私も怖い絵を集めて、本をつくろうと密かに思っておりましたが……。
医学の基本はスケッチではないかと思っております。
漫画のジャンルに医学があるのは当然のような気がします。
漫画の神様が、医学界から生まれたのは、偶然ではないと思っております。
宮崎に帰るときに大量の本を処分したので、矢口高雄さんの漫画は手元にありませんが、今は凄いですね。
アマゾンで注文したら、翌日自宅に届きました。

大学の後輩で、アパートが隣だった男がおります。
医師になって漫画家になり、富山県で開催された新聞社主催のセミナーを受講したらなんと後輩が講師で登場してきました。
驚いて、セミナー終了後に会いに行きました。
「医師で漫画は、手塚治虫以来だと言われました!」と後輩は、明るくはりきっておりました。
しかし、その後、漫画雑誌に連載するという話はいっこうに届きませんでした。
漫画界でデビューして生き残るというのは、本当に難しいものだと思いました。
そうして考えると、東村アキコ先生は、すごいことです。
