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巨人の投手ガリクソンは、糖尿病の子どもたちのヒーローである

巨人のピッチャーにガリクソンという選手がいました。

一型の糖尿病の患者で、インスリンをうちながら活躍をしました。

巨人に所属したのはわずか二年間でしたが、21勝をあげています。

米国メジャーリーグに復帰した1991年には、デトロイト・タイガースで20勝9敗という成績を上げました。

アメリカンリーグ最多勝を受賞しています。

ガリクソン選手は、巨人の投手として得た報酬の一部を溜めて、アメリカに帰国するときに、自分と同じような糖尿病の子どもたちのケアに使ってほしいと寄付をしたのです。

このお金は、「ガリクソン基金」と名付けられ、小児期に発症する糖尿病の子ども達のために使われました。

子どもの頃に発症することの多い一型糖尿病は、インスリンを産生する細胞がやられることから、インスリンを注射するしか治療法がありません。

一日数回も痛い注射を自分の足やお腹にうたないといけないので、子どもにとっては大変なことなのです。

そこで、糖尿病の子どもたちを集めて、サマーキャンプを行い、医師の指導により先輩患者のお兄さんお姉さんがインシュリンの打ち方を教えたりするのです。

同じ病気のお兄さんお姉さんのアドバイスで、治療を受け入れるようになります。

こうした取組にガリクソン基金は使われていました。

高田馬場駅のガード下の手塚治虫さんの絵

阪神タイガースに、岩田稔投手がいました。

大阪出身で、名門の大阪桐蔭高校から関西大に進み、2005年に阪神に入団しました。

高校二年生のときに、一型糖尿病が発症しました。

一日三回食事のたびにインスリンの注射をしないといけなくなったのです。

主治医から告知されたときには「もう野球はできないのか」と落ち込みました。

しかし主治医から、巨人にガリクソンという投手がいて、同じ病気でしたがメジャーリーグでも活躍した、という話をきかされます。

入院中にガリクソンの本を読み、「自分もできる!」と諦めずにプロを目指したのです。

2021年に引退するまで、通算15年間阪神タイガースの投手として活躍し、60勝82敗の成績を残しました。

2009年からは、自分が登板した一軍の公式戦で一勝するたびに、10万円を糖尿病研究のために寄付する活動を始めています。

シーズン中には、糖尿病を患う少年達を阪神甲子園球場での試合や交流会に招きました。

引退した年には、これまでの活動が評価され、日本糖尿病協会から「ガリクソン賞」を授与されています。

岩田選手にとっては、目標にしていた賞で、大変うれしかったそうです。

岩田選手の主治医が、ガリクソンのことをよく知っていてよかった。

ブラック・ジャックのような主治医の一言で、人生は変わります。

もし違う先生だったら、野球を続けることはできなかったかもしれません。

私も、ガリクソンのことを知って、世界が広がりました。

病気を持った人が活躍すると、同じ病気を持つ人が後に続きます。

そういう人がヒーローと呼ばれることになります。

ヒーローが出てくる歌は、元気が出ます!

甲斐バンドのHERO(ヒーローになる時、それは今)、安室奈美恵さんのHeroでしょうか。

甲斐バンドは、高校生のときに宮崎市民会館のコンサートに行きました。

「嵐の季節」がよかったです!

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