妻に言われた。「遅い子育てだね」
羽田空港6時25分発。
今日は鹿児島への出張。
そんな日は家を出るのが朝5時になる。
普通に考えれば、息子の弁当作りなんて、休んでもいいのかもしれない。
コンビニの弁当を買ってもいい。
息子は困らないし、誰も文句は言わない。
それでも私は朝4時に起きて弁当作りをする。
炊飯器を開ける。
卵を焼く。
おかずを詰める。
そして、弁当箱のふたをきちんと閉める。
どんなに忙しくても、親父の役割はやりたい。
それにはちょっとした理由がある。
そんな気持ちで続けてきた朝の習慣が、もう10年近くになる。
最初の弁当は、見事なまでに茶色かった。
ソーセージ。
冷凍食品。
昨日の残り物。
少し焦げた卵焼き。
弁当箱の中に緑はなく、赤もない。
完成してふたを閉める瞬間、
「あ、また全部茶色だ」
と気がつく。
今なら笑える。
でも、その頃の私は笑う余裕なんてなかった。
ただただ必死だった。
東京と福島を行ったり来たり。
私たち家族は29年間、そんな暮らしを続けている。
今は妻と娘が福島。
私と息子が東京。
世の中では二拠点生活と言うのかもしれない。
でも私たちの場合は、もっと生活臭のある「分散家族」だ。
その暮らしが始まったのは、娘が小学校へ入学する頃だった。
娘は体調が安定しない日々が続いていた。
体調が良い日もあれば悪い日もある。
病院との付き合いも続いていた。
そんなある日だった。
娘との会話の中で、ぽつりと言った。
「おばあちゃんのいる福島に住みたい」
今でも不思議だ。
なぜその日のことを鮮明に覚えているのに、その前後の会話はほとんど覚えていない。
娘はまだ小さかった。
でも、その言葉には迷いがなかった。
福島には祖父母がいる。
元気で気さくな親戚のおばちゃんおじちゃんたちもいる。
広くはないが庭のある家もある。
四季おりおりの季節感もある。
澄んだ空気もある。
ゆっくり流れる時間もある。
娘は、きっとそういうもの全部を、無意識に感じていたのだと思う。
私は即決した。
あまり深く考えずに、すぐ行動に移した。
今振り返っても、あれはベストな判断だったと思う。
もちろん寂しくなかったわけではない。
でも、その頃の私は東京を離れられなかった。
当時の私には、どうしてもやり遂げたい仕事があった。
家族か仕事か。
そんな単純な話ではなかった。
家族も大切だった。
仕事も大切だった。
だからこそ悩んだ。
そして悩んだ末に、家族は福島、私は東京という暮らし「分散家族」を選んだ。
分散家族。
言葉にすると簡単だ。
しかし実際は簡単ではない。
一番つらかったのは、家族の体調が悪い時だった。
娘の体調が安定しない。
妻も疲れている。
そんな話を電話で聞く。
心配になる。
でも、その場に一緒にいない。
何もしてあげられない。
励ましたい。
代わってあげたい。
少しでも妻の負担を軽くしてあげたい。
そう思うのに何もできない。
父親としても。
夫としても。
自分の無力さを感じる瞬間が度々あった。
福島から東京へ戻る夜。
私は駅のホームに立っていた。
静かな夜だった。
遠くで犬の鳴き声が聞こえる。
風が草木を揺らし、不思議と波の様な音がする。
同時に土の匂いがする。
東京では感じられない空気だった。
夜のホームには数人しかいない。
静けさだけが、カラダ全体を包むように広がっている。
あと数分で電車が来る。
また東京へ戻る。
また仕事の日々が始まる。
家族はここに残っている。
私だけ一人で帰る。
あの時間、瞬間が一番つらかった。
それでも私は、この暮らしを後悔していない。
29年経った今もそう思う。
距離はあった。
でも家族とのコミュニケーションは続いている。
むしろ、お互いを思いやる気持ちは強くなった気さえする。
10年前。
息子が進学で東京へやって来た。
父と息子の二人暮らしが始まった。
私は息子に聞いた。
「何かやってほしいことはあるかい?」
息子は少し考えて言った。
「弁当があればいいかな」
深い意味はなかったと思う。
便利だから。
きっとそれだけだ。
でも私は不安と共に少しうれしかった。
父親として何かできる。
そんな気がした。
息子は多くを語らない。
でも、私のことをよく見ている。
そんな性格だ。
毎朝、弁当を渡す。
すると、
「ありがとう」
とボソッと言う。
毎回だ。
たった五文字。
でも、その五文字がうれしかった。
会話が増えたわけではない。
でも親子の間に流れる空気が少し変わった。
話しかける理由ができた。
気にかける理由ができた。
父親でいる理由ができた。
毎夜、戻ってくる空の弁当箱。
それを見る瞬間が一番うれしい。
残さず食べてくれた。
それだけで十分だった。
ある日、妻が言った。
「お弁当作りは遅い子育てだね。お疲れさま」
思わず笑った。
でもなぜか、とても救われた様な気がした。
確かにそうかもしれない。
私は仕事ばかりしていた仕事バカである。
子育ては妻に任せてきた。
父親として十分だったとはまったく思っていない。
だから、今なのだろう。
少し遅れてやってきた父親の時間。
それが弁当作りだった。
もし弁当を作っていなかったらどうだっただろう。
親子関係はもう少し希薄だったかもしれない。
父と子という縦の関係だけで終わっていたかもしれない。
弁当は料理ではなかった。
息子、そして家族とのつながりだった。
父親として役に立ちたい気持ちを伝える箱だった。
最初の弁当は全部茶色かった。
でも、あの茶色い弁当には、不器用な父親の気持ちがたっぷり詰まっていた。
もし今、10年前の自分に会えるなら言いたい。
「トマトとブロッコリーを使え」
と。
きっと見た目は良くなる。元気な弁当になる。
でも、本当に大切だったのは彩りではなかった。
続けることだった。
息子のため。
家族のため。
そして自分のためでもある。
私は今日も弁当を作る。
弁当を作りながら、
父親であり続けようとしている。
そして明日の朝もまた、
弁当箱のふたをしっかりと閉めるのだと思う。
▶ Amazon Kindle
『父の弁当。』 父親は、少し遅れて家族になる (花雄 著)
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▶毎朝の弁当写真や、小さな出来事をXでつぶやいています。
「花雄・人生後半戦の弁当作り」 https://x.com/bento60s?s=21&t=Y4hsb9vaJsacVksM8IYfPg
どちらも気軽にのぞいていただけると嬉しいです。
また、どこかで。 花 雄(はなお)より
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