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さなぎから蝶になるように〜自閉症スペクトラムな息子の歩み

18歳長男が、二の腕あたりまでまっすぐ伸びた髪をくしで梳いている。
前髪もハサミで整え。

「美」に目覚めた。

美と言っても、次男がやっているように眉を整えたり、美容液を塗ったりといった美容というよりも、人として基本的な身だしなみをするようになったというのが正しい。

お風呂が嫌いで、大きな声で言えないけれど、去年まで全く清潔とは言いがたかった。
自閉症スペクトラムのためなのか、水の刺激や裸になるということに大きな抵抗があったらしい。

親としても悩んだけども、彼の頑固なまでの意志で、親の力では風呂に入れるのはかなり難しい部類だった。

精神科で尋ねると、たしかに自閉症スペクトラムの人で風呂が相当苦手な人はそこそこおられるようで、タオルでの清拭などを勧められた。

それがこのところ、好きとまではいかないけど、積極的に入浴するようになった。

意識が外に向き始めたのではないかと私は思っている。
「人からどう思われるか」
「きれいにしているほうがよい」
という「他人からの視線」を意識の中にもつようになったのではないか。

さらに、体力をつけなければ、運動しなければと散歩に出かける頻度も増えた。

息子は一歩玄関から出るとすべての人が敵のように見えて怖いのだと、中学生の時に話していた。

それでも本が好きなので、好きをエネルギーに、歩いて20分のところにある本屋まで出かけて、無言で店員さんとやりとりして本も買ってくる。

店員さんも長らく常連の彼をやさしく見守ってくれて、一言もしゃべらない彼から頷きや首振りで意志を確認して販売してくれる。

彼は社会不安症とともに、「場面緘黙(かんもく)症」もある。
これは、特定の場所に行くと一言もしゃべることのできなくなる精神的な症状の一環で、数百人に1人くらいの割合で発症するらしい。

緘黙症には「場面(部分)緘黙」と「完全緘黙」があり、完全緘黙は、家など安心できる場所でも言葉を発しないとのこと。
息子は、場面緘黙だ。家ではかなり快活にしゃべる。病院でも必要なことは話せる。
かなりの寡黙だけど。

場面緘黙症については、「なっちゃんの声-学校で話せない子どもたちの理解のために」(はやしみこほか/学苑社)が分かりやすい。

そういえば私の小学校にも、ほとんど話さない男の子がいた。

なんで話さないのだろう?と思っていたけど、彼もこれだったのかもしれない。
一部の心を許した友達にしか、彼は笑顔も声も見せなかった。

自分の息子がいろいろ特性を持っているのを知るにつけて、初めて知ったことはたくさんある。
なにも想像ができなかった自分の幼い頃。
知らずに何人も傷つけたかもしれない。

無知は罪である。

話がずれてしまった。


そうして、「運動」や「美」に少しずつ関心が出てきた息子を見て、彼が自分自身を抱きしめ始めているのを感じるのだ。

今までどこか、自分を受け入れられないように見える時があった。
中学生の時は、自分のことを嫌いだと言っていた。いくら私や夫が、息子のすばらしいことを言っても、すべて否定した。

希死念慮もあり、自殺に関するいろいろな話をしてきた。それでも自殺はしない、と言う。

そのころ長男がよく読んでいた聖書には、自殺がよくないと書かれていた。聖書、哲学書、般若心経などが、そのころの彼のよすがだった。

自分の選択で通信制高校に籍を起き、最初はいやいや取り組んでいた課題も、教科書が彼にとって楽しい情報源だとわかるとだんだん前向きに取り組むようになり、3年目のことしは、前のめり気味に課題をこなしている。

自分で自分の人生を動かし始めた、そんなふうに見える。

話はとめどなく溢れてきて、中2の妹がだいたい聞き役なのだけど、2人で互いに(少しおかしな)話を盛り上げて毎日大笑いしている。

自分をありのままに受け入れてくれる人があり、話をすべて聞いてくれる人があり、将来への理想の自分も見えてきて、今は外見も気にして整えるようになっている。

長男の歩みは、一般的な同世代の歩みの中ではそうとうゆっくりだ。
ゆっくりマイペースに、それでもちゃんと前に進んでいる。それが、このところよく見える。

さなぎが蝶になるように。
エネルギーを外に向けて放ち始めている。
私はいま、ものすごく息子から力をもらっている。


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