田舎暮らし〜親代わりの大家さんと過ごした日々と別れ
この町に引っ越してきたのは、2013年だった。
引っ越した日は5月なのに雪が降っていて、大家さんが置いてくれたコタツと小さなファンヒーターに、当時小2の長女を筆頭に4人の子どもと私で凍えながらあたった。
夫はあとから合流することになっていた。
寒さで心も冷える。
心細くて寂しくて子どもたちは泣いていて、皆で抱き合うようにして眠った。
内見に来た3月は、猛吹雪、大雪であった。
日本有数の豪雪地で、話には聞いていたけれど、ここに住むのかと覚悟を新たにしたのだった。
そんな中、大家さんは私たちの越してくるのを顔をほころばせてとても喜んでくれて、それから3カ月の間に水回りと床下のリフォームをして家をきれいにしてくれていた。
大家さんは母とあまり年が違わない、いつもニコニコした、顔のまあるい女性だった。子どもたちもすぐになじんだ。
8畳の居間、続きの6畳間、廊下を挟んで台所と4畳半の和室。2階に6畳和室がふた間。
日の当たる縁側。
あとから、子どもが走り回れる木製のベランダもつけてくれた。
庭には大家さんの故郷から運んだという桜の木があって、毎年空いっぱいに花を咲かせる。
大家さんは私とたまたま同郷であった。
5月に引っ越すと、雪解けを待ってベランダを作り始めていた大工さんにお茶を出しにきて、毎日縁側でいろいろ話をして過ごした。
お料理好き、おもてなし好きの大家さんは、料理を作りすぎちゃったのと、はにかみながら勝手口によく料理を持ってきてくれた。
もらいすぎちゃったからどうぞ、と果物やお菓子も。
夏になると、大家さんは自分で育てているきゅうりやトマト、豆類、ズッキーニと、それから人からお裾分けされたという野菜を毎日抱えてきた。
「イチゴ、いる?ボール持ってきてね」と呼ばれると畑に案内されて、そこに生っているたくさんのイチゴを自由に摘んでちょうだい、と言う。
「子どもたち、好きでしょう?うちの男の人たちイチゴ食べないのよ。もったいないから、採ってくれると助かるの」
庭にできるコゴミもいくらでもどうぞというので、マヨネーズをかけて、それは2歳の次女のおやつになった。
次女は、春はお皿いっぱいのコゴミとツクシのおひたしで大きくなった。
時には「失敗しちゃったけどあげるね」と、本当に失敗したベチャベチャのお赤飯をいただいたりして、そんな飾り気のない気さくな大家さんとは、引っ越してすぐに打ち解けたのだった。
そしてよく、隣の自宅に呼んでくれてお茶をいただいた。
この地域の人たちはちょっと立ち寄った人を家にあげるのが普通のことで、寄ってって、と言ってはお茶をふるまう。
呼ばれた人も、喜んであがっていく。
相手が電気屋さんでも工務店の人でも関係ない。
東京にいた私にはその慣習が新鮮で、たいそう驚いた。
この大家さんはその中でも特に来客の多い人だったと思うけれど、どんな人でも、どんな時でもニコニコ人をあげてお茶を出すので、時にはお客同士が「どうも初めまして」ということもあって、自然と人と人がつながっていく、そんな場でもあった。
子どもたちが居間を走るから「こら」とたしなめても「いいんだよ、いいんだよ。子どもは元気なものなんだから!」とやっぱりニコニコしている。
そのおおらかさにずいぶん救われた。
引っ越して2カ月、7月のはじめのことだった。
少し風邪気味だった1歳半の次女が、夜、荒い息をしているのに気がついた。
慌てておでこに手をやると大変な高熱だった。
苦しそうだったので抱きかかえているうちに、突然荒い息が止まった。
え、、
口元に手をやっても、息が当たらない。
呼びかけても反応がなく、顔がどんどん白くなっていく。
私は叫び声をあげて夫を起こした。
「次女が息をしていない!呼びかけても反応がないの!」
すぐに救急車を呼ぶように夫に言った。
夜中12時頃だったか、近所に響く救急車の音に近隣の人も起きてきて、お向かいのご夫婦はうちにきて「子どもたちを見ているから2人で病院についていきなさい」と言い、大家さんは「車出すから、だんなさんは一緒に車に乗りなさい」と、自分の車を持ってきた。
救急車が来る前に、次女は穏やかに息をし始めた。
救急外来で検査をすると、
「軽い肺炎にかかっていて酸素濃度が低かった」
「一泊入院して朝の外来で問題がなければ退院していいです」
との話をされた。
息をしていなかったのは、おそらく熱性けいれんの一種だったのだろうと診断された。
熱性けいれんは長女のときに私は経験していて、そのときは身体を突っ張って目をむいていた。
次女は身体を突っ張ることもなく、同じ熱性けいれんとは思わなかったのだ。
息が止まってぐったりするタイプの熱性けいれんもあるのだと知った。
入院には私が付き添うことにして夫は大家さんと帰宅したのだけど、その間3時間ほど、大家さんはずっと病院の駐車場で待っていてくれたのだった。
引っ越して間がないときの救急車騒ぎで、この地域の、温かさを超えた熱さに、全身が震えるほど心打たれた。
それからもこのふたつの家の皆さんはわがことのようにうちの家族を目にかけてくれて、何かといえば助けてくれた。
大家さんの嫁いだ娘さんの子がうちの次女と同い年でもあったので、帰省の度に2人は遊び、ときには互いの家でお風呂に入ったりご飯を食べたりした。
子どもが遊びに行くと、お世話好きの大家さんがいつも相手をしてくれて、私にもコーヒーをふるまってくれた。
そして夜ご飯食べていってと誘ってくれた。
長男が小2で学校に行けなくなると、テレビで聞いた情報や、絵を教える知り合いを紹介してくれたりと親身になってくれた。
「たくさん抱きしめてあげてね。スキンシップが大事なんですって」
あとから、大家さんの成人している息子さんも、似たような特性があるらしいとわかった。
大家さんも子育てしているなかで、いろいろ悩んだのだろう。他人事ではなかったのかもしれない。
遠くに住む母が、時々我が家に遊びに来ては大家さんとも話し、家族ごと受け入れて優しくしてくれる様子に心底安心していた。
しばらく滞在すると、大家さんはこの町の親代わりね、ありがたいね、といつも言って母は去っていった。
大家さんは、冬には我が家の屋根から雪を下ろしてくれることもあった。
危ないからやめて、と言っても、大家さんは「もう少しだから。やっちゃうね」と頑なに譲らず、逆に「危ないから家の中にいて。子どもたちのそばにいてやって」と言うのだった。
それで、そのあとはまた大家さんの家の居間でコタツに入ってお茶をした。
2015年に三女が生まれると心の底から喜んでくれて、暖かな赤ちゃんの服をお祝いにくれた。
赤ちゃんを抱っこして、よく大家さんの家に遊びに行ったものだった。
大家さんは事業をやっていて、朝5時から畑の仕事、10時までに趣味のハワイアンダンスや合唱の練習、事業で売るための工芸品づくりなどをして、そのあとは仕事をし、夕方に帰宅する忙しい生活だった。
本当にパワフルで、人のことをいつでも自分のことのように考えて動いていた。
体のためにいいものはどんどん取り入れて、私にも教えてくれた。
2017 年、私たちは大家さんと話し合って、家を買い取ることにした。
建てた人の思いとリフォームしてくれた大家さんの思いを汲み、骨組みを残したまま、間取りの変更と、無垢材の床板を厚くし、家全体の気密性を高めるリノベーションを行った。
家と土地は大家さんの言い値だったので少し高かったけれど、大家さんの隣のこの地に住み続けたかった。
しばらく別の家に越して完成を待ち、年末に戻ってくると、いの一番に大家さんを招いてお茶をした。
前の家のすりガラスを活用してあちこちにはめ込んだり、風呂など大家さんがリフォームしてくれたものを残したりしたので、こんなにきれいにしてくれてと、大家さんも喜んでいた。
その日は一緒に皿洗いなどをした。
いつも遊びに行けばおもてなしばかりしてくれる大家さんと、ともに台所に立ったのはそれが最初で最後だった。
2018年、お正月をともに過ごした後の、3月のはじめの夕方。
けたたましい救急車のサイレンに慌ててかけつけると、大家さんが運ばれるところだった。
大家さんは1人で家にいて、家事をしていた時に激しい頭痛がした。かつて感じたことのなかった頭痛に異変を感じ、自ら119番通報。
電話で事の経緯も話した。
それらの話を、あとから聞いた。
救急車が到着した時、大家さんは意識を失い倒れていたという。
それから2週間。
大家さんは意識を取り戻さないまま、亡くなった。
あの大家さんが。
この町の我が家のお母さんだったのに。
どれだけのことをしてもらったのか。
なにも返していない。
ずっと、そこにいると思っていたのに。
少し前に、うちの屋根から雪を下ろしていた。
新しい屋根は雪を滑らすので、下ろす必要はそんなになかった。
でも優しい大家さんは、やらずにおれなかったのだ。
雪下ろしも、大家さんのクモ膜下出血の原因の一因かもしれなかった。
大家さんのだんなさんは「うちの家内はね、人のために動く人だったから。屋根の雪下ろしも、止めたってやる人なんだ。そのせいじゃないから。気にしないでね」と力なく笑った。
人が良くて、他人のためにいつも奔走していた。ニコニコと。あまり怒ったりはしなかったけれど、時々、義のために怒ったりはしていた。
みんなが早すぎる死を悼んだ。
「人のためにいつも動きすぎるくらいに動いていたから。だから早く亡くなっちゃった」
私はしばらく、大家さんが亡くなった実感を持てなかった。
亡くなった数カ月後には、大家さんが大事にしていた桜が咲いた。いつものように立派な咲きっぷりだった。
「母も、喜んで見上げているよ、きっと」と、大家さんの娘さんが言った。
そうだと思う。
たぶん、自宅の居間のあの場所に今もいて、来る人来る人にニコニコしているのだろう。
私たちが引っ越してきて、もう12年半になる。
大家さんが亡くなって7年半。
私たちが親も親戚も知り合いもいなかった地で、いまも元気に過ごせているのは大家さんのおかげなのだ。
娘さんたちは遠くで生活しているので、男所帯で寂しくなってしまった。
大家さんは隣家のおひさまみたいな存在だった。
訪れる誰をもニコニコ迎える大家さんの想いは、娘さんたちが引き継いでいて、お盆やお正月はいつも、大家さんを慕っていたたくさんの人が訪れて賑やかになる。
寒くなり始めて、何かというとこたつに呼んでくれた大家さんを思い出したので、書き記したかった。だれかに伝えたかった。
大家さん、山に雪が積もりましたよ。
もうじき里も白くなりますよ。
