本にはお金を惜しまない、我が家のこと
子どもが生まれてから、これだけは譲らないという家庭の方針がある。
「本にはお金を惜しまない」
なぜそんな方針があるのか、明確に夫と話したわけではない。
でも2人とも、それが当たり前のように頭に染み込んでいた。
それぞれの生まれ育った環境もあるのかもしれない。
夫は学者の父親の本に埋もれて育ち、私は本好きな親の本に埋もれて育った。
幼い頃、遊びに行ったり誕生日プレゼントを選んだりする場所は、街の本屋さんだった。
それで、我が家。
子どもが漫画を欲しいと言ったら漫画も買う。
三男などは、「コロコロコミック」で相当な言葉を覚え、漢字を覚え、物事を知った。
次女は、人としての生きる道、考え方、他人のことを想像する力を漫画や小説で学んだ。
我が家には、小口が真っ黒になった広辞苑がある。これは長男が欲しがって、12歳の誕生日に買った。
聖書や哲学書なども彼に望まれて買った。
それらはすべて長男の思想のもとになり、血となり肉となって根幹をなして、いま自分の道を歩き始めている。
いまだ何かというと気になることがあれば、まず重い広辞苑を開いてパラパラめくる。
もちろん絵のない物語なども子どもたちは好きだ。あふれかえる漫画を含む本を、子どもたちは何度も何度もすり切れるまで読む。
図書館で本を読み、返す方法もあっただろうけれど、買うからこそ得られる経験もあるとは思っている。
いま、本はとても高い。
「コロコロコミック」など、1冊700円もする。
小さな子がおこづかいを握りしめて買う存在ではなくなった。
絵本は2、3000円が当たり前。
すぐ読まなくなってしまうのにこの値段?!と思いつつも、望まれれば買う。
分厚い装丁の美しい本となると5、6000円するものだってある。
さすがに自分のためにはなかなか買えないけれど。
でも、子どもに、あの紙の質感、文字から得られる感傷、行間の思い、表紙の滑らかな手触りを、覚えていてほしい。
ボロボロになって表紙も取れてなお、愛されいまだに読まれ続けている長女の幼稚園時代の配本、10年以上前のコロコロコミック、家族全員で楽しんで読んでいる作品群。
すべてが宝物に見える。
問題は、本が増えていくと、生活空間が狭くなることだ。
夫はやはり研究者になり、たぶん義父を越える蔵書量で、トイレや玄関にまで本があふれている。
それでもこのトイレの本を子どもたちがいま、手に取ったり、読んだりし始めていて、夫の思想の一部が子どもにも受け継がれているようにも見える。
いつか本に家が潰される前に本の行く先を考えないといけないけれど、もうしばらくは、家族みんなの思考の海として、本は増え続けてもよいかもしれない。
