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広辞苑が愛読書な長男のこと〜「舟を編む」に思う

三浦しをんさんの「舟を編む」がドラマ化して、寝落ちしていないときは観ている。松田龍平の映画が随分良くて、辞書作りの現場に行きたいくらいだった。

言語にかかわる話のドラマ化は、ワクワクする。石原さとみ主演「校閲ガール河野悦子」も良かった。

我が家には、岩波書店「広辞苑」が2冊ある。
三省堂「広辞林」もある。他にも、2冊ずつの国語辞典、漢和辞典、古語辞典、英和辞典。それに百科事典の一部と日本語大辞典。

広辞苑は、第三版と第七版。

第三版は、実家から来たもの。第七版は、長男の12歳の誕生日プレゼント。出たばかりのときに新聞に大きく広告が出て、息子に聞いたら目を輝かせて、欲しいと言った。

以来、広辞苑は長男の愛読書となり、小口(パラパラめくる部分)は真っ黒になっている。
調べる速度は誰よりも早く、その言葉だけでなく、周囲に並ぶ別の語句の意味も教えてくれる。

今週の「舟を編む」は、電子データで言葉の意味を調べるような人の多い現代において、紙の辞書をあえて出す利点を、辞書の編纂にかかわる人で考えていて見ごたえがあった。

検索サイトでいろいろ調べることも増えた息子だけれど、広辞苑は、現代日本語のみならず、英語、古語、漢語、科学分野、数学、政治分野、偉人、地理歴史、各国の神話、宗教などあらゆるものが同じページにのっていて、眺めているだけで面白いらしい。

広辞苑第三版には、ソ連も東ベルリン西ベルリンもあり、世界がいまと異なっている。
言葉もいま使われない言葉や差別語として使用禁止になっているものも、堂々とのっている。

だから、第七版との比較も楽しいようだ。
毎日、新しい語句を見つけては喜んでいる。とんだ辞書マニアだ。

この長男の感性は、幼い時から独特だった。

ちょっと思い出すだけでも
「人はみな、死ぬのだから(弟が死んでも)悲しくはない」(5歳)
「世は、小さきものであるべし」(11歳)」
「(なぜ、人が生きているのかとの弟からの問いに)人が、涙でおぼれないようにするためだよ」(7歳)
など、こちらが考え込んでしまうようなことをよく言った。

絵を描けば、目がたくさんあるこの世にいない生き物を描き(小学校の先生をやっている友達によれば、人からの視線が絵に表れているとの分析)、その緻密さに圧倒された。


夫の母から、夫が2歳の誕生日から急に頑固になったと聞いて笑っていたのが、長男1歳半のとき。

長男2歳のある日。
突然「出かけようか」との呼びかけに、息子は断固動かなくなった。夫と同じだ。

てこでも動かないとはよく言ったもので、自分の意に沿わないことは、押しても引いても甘い言葉にも厳しい言葉にも、一切動くことはなかった。

三輪車に乗っていても、足を止めれば動かないと知って、「帰ろうか」と押そうとすると足を動かなくして意思表示した。

このころは「頑固な子ねぇ」で済んだけれど。
食事も、気に入らない食材は一切口にせず、あらゆる面に頑固を発揮した。

言うことを聞かせたい母の私と、絶対に意思を貫く息子。とうとう4歳のとき「ママ、きらい」と初めて言葉で意思表示したのであった。

初めて、穏やか(に見える)な息子から投げかけられた「きらい」はちょっとショックで、考えを改めざるを得なかった。

長男が「自閉症スペクトラム」かなと病院で診断を受けたのは6歳のとき。

赤ちゃんの時から頭を撫でられたくなかったこと、偏食が強いこと、こうと決めたらてこでも動かないこと、自分のテリトリーがあり、他人がそこに入ると噛んででも抵抗して幼稚園ではトラブル続きだったこと、漢字含め文字に強い執着があること、幼い時から絵における空間把握が優れていたこと、言葉にして表現するのが苦手なこと、リズムや体を動かすのが極端に苦手なこと…

いろいろ、自閉症スペクトラムの特性に当てはまった。

小学校入学式の翌日には「学校やめる」と言い出し、なんとか2年生の2学期までは行ったけども、そのあとは長い不登校期間に入った。
1年生のときは、泣き叫ぶ息子を先生に羽交い締めで車に乗せられ連れて行かれたこともあった。毎朝、柱にしがみついて登校を嫌がっていた。

それまで周囲からその特性ゆえに否定されたりすることが多かった息子。円形脱毛症になったこともある。
傷ついた時間と同じだけ、回復には時間がかかると聞く。

6歳まで否定されることが多かったなら回復までに6年間。8歳で学校に行かなくなったのだから、8+8で16歳までは、本当の回復に至らないかもしれない、と、私は本気で思ったし、気が遠くなりそうではあったけど、それまで待とう、と思った。

結論から言えば、その通りのことが起きた。

学校を休み始めてから12歳まで、ひたすらに絵を描き、仮面ライダーをこよなく愛し、小さな妹や弟と公園に時々行く日々。

仮面ライダーについては、その知識が口から流れて止まることはなかった反面、自分の感情や気持ちを表すことはなく、この子には感情はないのかしらと思うこともあった。

それが12歳を境に、突然せきを切ったように自分の意見、感情、小学生の時の思い、起きた出来事への感想を話し始めたのだ。

ずっと溜め込んでいたものが溢れ出したように見えた。

中学は3年間すべて先生は違ったけれど、それぞれ熱心に家にきて、つなぎとめようとしてくださった。
中学3年生のときに、出会いがあった。
その女性の先生は、Googleスプレッドシートを活用して、息子に気持ちを伝えてくれる先生だった。

なにがそれまでの先生と違ったかといえば、自分の弱さを、若干15歳の子にポロポロと吐露してくれたところだった。

先生とは、強く、逆らえない存在。
幼稚園のときからそう感じていた息子にとって、自分の弱さをこれでもかと出してくる大人、ましてやそんな先生は、これまでひとりもいなかった。

少しずつ心を開く息子。
どこかベクトルはすれ違いながらも、息子は他人に、初めて心の内を話した。
悩みも吐露していた(私も聞いていたことではあった)。

先生は泣きながら、息子に対するいろいろな思いを伝えてくれた。いつでも息子の小さな成長を泣きながら喜んでくれて、この悩みの吐露のときは、なんとかして力になりたい、支えたいとの思いがあふれていた。

この出会いは、息子にとって、とても大きなものだったと思う。
顔を見せないゆえのつながりではあったし、ここまで心の中を打ち明けた先生には、恥ずかしすぎて会えないと、息子も話していた。

でも明らかに、社会に対して少し希望が見えたようだった。
よのなかには、こんな人もいるのだという希望。

息子に変化が起きた。
中学を卒業する前、自分の意志で通信高校進学を選択した。
高校に入ると、自ら、精神科に通うことを提案してきた。それまでは断固行きたがらなかったのに。

それが16歳。

不登校が始まった時に思った回復の年齢で、息子は外に向き始めた。

その「時」が来たのだと思う。なにも◯◯歳になったから動く、ということを言いたいのではない。
ただ、その「時」に人と出会い、自分の新しい扉が開き、外に向かい始めたのだろう。

中学の時に感じていた死にたいという思いは、16歳頃にはなくなり、少しの希望を胸に、悩みながらも力強く生きるようになった。

中学時代、息子は般若心経を読み、聖書を読み、ソフィの世界を読み、ニーチェを読み、三国志を読み、広辞苑や漢和辞典を読んだ。
同時に「刃牙」「ジョジョの奇妙な冒険」「美味しんぼ」「鉄腕アトム」などの漫画も読んだ。
教科書も楽しい「書物」だったので、歴史や体の仕組みなども詳しくなった。

社会にはほとんど出ないから、知識ばかり増えていくのだけど、少なくとも言葉、宗教、ギリシャ神話、哲学に関する知識は家族でも抜きん出ている。自分の頭で科学や物理、英語も考える。

高校になりパソコンを与えたので、以来は検索や動画でも知識を得ていくわけだけれど、それでもわからないことがあれば、すぐ広辞苑を信頼して開くところは変わらない。

誰より言葉を大事にする一方、トゲや怒りを含む言葉には敏感で傷つきやすい。

息子は広辞苑をたよりに、これからもよりよい生き方を模索し続けるのだろう。

「舟を編む」をみながら、ひごろ辞書を使って言葉の海を渡っていく息子のことを思ったのだった。

もう高3で、次の春には高校を卒業する。まだ人と交流するのは怖く、進学や就職はなかなか考えにくいけれど、好きな語学や哲学の勉強や絵を、学校という場でなくとも続けていけると良いと思っている。

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