みんな壊れてるのに、普通のフリをしている
みんな壊れてるのに、普通のフリをしている
深夜になると、なぜかSNSを開いてしまう。
別に見たいものがあるわけじゃない。
ただ、静かすぎる部屋に一人でいると、自分の人生だけ取り残されている気がするからだと思う。
タイムラインには、誰かの旅行、恋愛、就活の報告が流れてくる。
「人生楽しんでます」みたいな顔をした写真が、無限に更新されていく。
でも、あれを見ていると時々わからなくなる。
本当にみんな幸せなのか。
それとも、“幸せそうに見える練習”が上手くなっただけなのか。
最近、「自分らしく生きよう」という言葉をよく見る。
だけど、その“自分らしさ”って、結局アルゴリズムが選んだ服を着て、同じカフェに行って、同じ曲を聴いているだけだったりする。
おすすめ欄は、便利だ。
便利すぎる。
何を食べるか、何を見るか、誰を好きになるかまで、全部少しずつ誘導されている。
なのに現代人は、それを「自由」だと思っている。
たぶん本当に怖いのは、監視されていることじゃない。
監視されていることに慣れてしまったことだ。
SNSを見ていると、「強い人」だけが生き残っていく。
言葉が鋭い人。
自信がある人。
他人を切り捨てられる人。
逆に、優しい人は静かに消えていく。
傷つきやすい人は投稿しなくなるし、真面目な人ほど“ちゃんとしなきゃ”と思って疲弊していく。
それでもみんな、普通の顔をして大学に行き、働き、笑っている。
たまに思う。
この社会は、「壊れていない人」を求めているんじゃなくて、“壊れているのを隠せる人”を求めているだけなんじゃないかって。
将来の夢を聞かれても、正直もうよくわからない。
夢を持てと言われるけど、未来はずっと不景気で、AIは人間の仕事を奪うと言われ、努力しても報われない話ばかり流れてくる。
希望より、「自己責任」という言葉の方が強い時代だ。
だから最近は、何かを本気で信じている人を見ると少し怖い。
昔は、大人になれば自然に幸せになれると思っていた。
でも実際は、大人になるほど“幸せそうに見せる技術”だけが上達していく。
高そうなカフェ。
加工された写真。
浅い言葉。
「丁寧な暮らし」。
全部、“崩れそうな人生”を隠すための壁紙に見える時がある。
もちろん、自分もその一部だ。
冷笑しているフリをしながら、本当は誰かに理解されたいと思っている。
社会をバカにしているようで、結局その社会から嫌われるのが怖い。
たぶん現代人はみんな、孤独を誤魔化すのが上手くなっただけなんだと思う。
画面を閉じた瞬間、静かな部屋に戻る。
そこで初めて、自分の人生の音が聞こえる。
そしてまた、怖くなってSNSを開く。
