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第1回:23歳の素人専務がいきなり「3億円の連帯保証人」になった日|実録・元スーパー社長の破産と教訓

プロフィール:1970年生まれ、私立理系大学(数学)を卒業。家業であるスーパーマーケットの経営を17年経験した後、中小企業診断士として独立し、小売業を中心とした商業支援に携わっています。

23歳の素人が、どのように3億円の借金と戦い、なぜ破綻したのか。銀行との交渉、古参社員との確執、家族経営の難しさ、そして倒産の瞬間。これらを包み隠さず記した「実録・自叙伝」です。バブル崩壊からデフレ時代へと大きく変化した時代に経営してきた体験を、今、新たな時代へと次の大きな変化へ向かう局面で役立つことがあるだろうかと考え、かつての体験を思い出しながら書き上げました。


第1章 1. きっかけ

私の両親は地方で食品スーパーを経営していました。私は子供の頃から、忙しそうにしている父の姿しか見たことがありませんでした。

そのスーパーは、大店法(大規模小売店舗法)の規制にかからない売場150坪の条件を活かし、24時間営業でした。当時は、コンビニエンスストアもない状態で、高度成長の波もあり、事業はどんどん拡大していきました。

※筆者補足
(当時の大店法は、大型スーパーの出店や営業時間を厳しく規制していましたが、売場150坪以下の店舗は規制対象外でした。そのため、深夜営業等で独自の強みを発揮できた時代でした。)

私が大学に入学する頃には、15店舗・年商50億円を超え、その県では業界ナンバー2の規模に成長していました。その頃の私は、会社経営など興味もなく、クラブ活動や、進学先のことしか考えていませんでした。

大学に進学すると、私は盆と正月くらいしか帰省しなくなり、父と話をすることはほとんどなくなりました。

事業は、急拡大させたあおりが出て、不採算店舗もあったようで、店舗は少しずつ減少していました。それでも、いつも自信満々な姿しか見せない父を見て、私は何も気にすることなく過ごしていました。

大学生活も残り1年強となった頃、そろそろ就活の準備でも、と思っていた矢先、家族から父の訃報が入りました。

父は糖尿病でしたが、家族も医者も急にこのようになるとは思っておらず、私は入院していたことも知らされませんでした。

父と最後に話をしたのは、夏休みに帰省したときのことです。珍しく、空港まで送ってやると言われ、こう言われました。

「もし、ワシになにかあったら、お前が商売をやってくれ」

その時は、「まだまだ頑張ってもらわないと困る」と笑い飛ばしていましたが、父は何か感じていたのかもしれません。

母からは、こう言われました。
「あんたが戻ってくれないと、会社がつぶれる」

大学を退学して、跡を継ごうと思いましたが、母や姉に大学は卒業してくれと説得され、卒業まで待つことになりました。会社は、母が社長をすることになりました。

父の一言「お前が商売をやってくれ」がなければ、跡継ぎしなかったかもしれません。

2. 会社に入る、研修に行く

役員の人数合わせのため、学生時代から役員登記はしてありましたが、名前だけの役員でした。

就業経験もない、商学や経済、経営学の専攻でもない。業界知識もなく、現場の仕事なんて全くわかりません。とりあえず、現場に入りましたが、教えてくれる人はいませんでした。

従業員の「社長(母)の息子が帰ってきた、会社もなんとか立ち直してくれる」という勝手な期待は大きくなっていました。
後から知ったのですが、取引先の間では、ワンマン経営だった父が他界し、「あそこの会社はもたないんじゃないか」とうわさも立っていたようです。

入社した私の前に現れたのは、お祝いの品を持った取引先でも、激励に来た従業員でもありませんでした。
それは、真っ黒なスーツに身を包んだ銀行員でした。

彼は挨拶もそこそこに、分厚い書類の束を広げました。

「専務、こちらに判をお願いします。形式的な連帯保証人の差し替えですから」

その時の私は、まだ決算書の一枚すら見ていません。自社がどれだけの借金を抱えているのか、一円の数字も知らされていなかったのです。

私は「これに判を押さなければ会社がつぶれてしまうのだろう」と疑いもせずに重い朱肉をつけ、自分の名前の横に力強く印を押し込みました。

その一本の印影が、私の人生を「3億円の負債」という巨大な鎖で縛り付けたことを知ったのは、その直後のことでした。

決算書を初めて見ました。
単年度の赤字が1億円を超えていました。債務超過になっています。
銀行借入も3億円以上ある。税金や社会保険料の未払も溜まっている。取引先への支払いも延長してもらっている。役員借入も1億円以上ある。

愕然としました。

眠れません。母も従業員も私に期待している。どうしていいのか分からない。当時は熟睡できず、2時間ごとに目が覚めました。具体的な恐怖や不安ではない。漠然としたプレッシャーが頭を支配していました。

間もなく、父の代から懇意にしていただいていた取引先の社長から、県外のスーパーを紹介するから、そこで勉強してきた方がいいと助言いただき、1年間お世話になることになりました。

そこでは、私の事情を心配してくださり、現場の仕事について、一から丁寧に教わることができました。1年間で農産・水産・畜産・グロサリー・店長と現場の仕事を指導していただきました。私の会社を見に来て、足りないところまで教えていただきました。

知識を得るたび、やることが見えてきました。眠れるようになりました。
その取引先とスーパーの両社長には、本当に心から感謝しています。

ここからの私の仕事は、この1年間の研修が基礎となっています。

【中小企業診断士から見た、この時期の振り返り】

🟢 成功点(良かったこと)

  • 素直に外部の教えを乞うたこと
    知識がないことを認め、懇意の取引先や他社スーパーで「1年間の現場研修」を受けたのは大正解でした。現場の一次情報を貪欲に吸収したことが、その後の店舗改善の礎になりました。

🔴 失敗点(悔やまれること)

  • 無知のまま連帯保証人の印鑑を押したこと
    決算書すら見ず、自社の財務状況も把握しないまま、銀行に言われるがまま重い連帯保証を引き受けてしまいました。会社の現状を知らされずに「形式的な差し替えだから」という言葉を鵜呑みにしたのは、最大の失敗でした。

💡 改善点(もし今、同じ状況の経営者を支援するなら)

  • 事業承継時の財務チェックと、経営者保証解除の交渉
    事業を継ぐ(あるいは連帯保証を引き継ぐ)前に、必ず専門家(弁護士や税理士、中小企業診断士等)を交えて自社の財務状況(B/S、借入金残高、保証内容)を客観的に把握すべきです。
    その上で、本当に事業を継続すべきか、あるいは「相続放棄」や「事業清算」を選ぶべきかを冷徹に判断するステップが不可欠でした。
    また、現在であれば「経営者保証に関するガイドライン」が整備されています。 安易に連帯保証を引き継ぐのではなく、金融機関に対して保証を外せないか(あるいは限定的な保証に留められないか)の検討・交渉を絶対に行うべきだと強く助言します。

第2回からは、若き素人専務がいかにして古参社員とぶつかり、現場の数値を劇的に改善させていったのか。そして「家族経営の難しさ」のリアルを記します。

▼続きはこちら(第2回)
1店舗に集約する「ダウンサイジング」を、なぜ私は撤回してしまったのか? 古参社員の猛反発の中、全員の前で土下座して広告費を削減した狂気の現場改革。そして「家族経営の罠」について。

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• 「倒産した時は虚無。後悔がないと思えた時、私は解放された。」 • 「2代目・3代目が絶対に知っておくべき“現実”がここにある。」 …

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