金に換えたらそれっきり
銀行の渉外係として勤めていた頃、田や畑を公的買収された農家のところに赴く機会が何度かあった。
私の配属直前、支店の周囲は丁度鉄道の新駅や高速道路のインターチェンジ建設に加えて、関西では比較的知名度の高い大学が移転してくることも決まり、田圃と畑だらけの景色がドンドン変わっていっている真っ最中だった。
営業に出た頃には用地買収はほぼ終わっていたが、まだ数件はあった。サラリーマン家庭育ちの私が見たこともない、大きな金額のお金がポンと一度に振り込まれるのを目にして、ビビりながらお礼の訪問に出かけたことも度々あった。
こういう農家は大体二つのタイプに分かれていた。
先ず、お金に非常に細かく、自らの損得を常に考えているタイプ。こういう方は税金や金融商品の知識も豊富だ。色んな金融機関があらゆる情報を持ってやってくるから、ドンドン詳しくなられる。こちらが舌を巻くくらいのレベルでお話をされることもあり、気が抜けなかった。
もう一つは正反対のタイプ。ゆったりと鷹揚に構えておられ、ビックリするくらいのんびりされている。こんな大きなお金にそんなに無頓着でいいのか、と心配になるくらいである。
おっかなびっくり勧めた商品も
「まあ、アンタがエエ言うんやから、損することはないやろ」
とすんなり契約して下さるので、却って怖くなり
「本当にいいんですか」
と何度も念押ししたりしたものだった。
お得意様の一人、Kさんは後者である。大きな農家で、そのあたりでは指折りの旧家だった。
穏やかな奥様と二人、立派な瓦屋根の大きなお屋敷に二人で住んでおられた。気が長く穏やかで、私のことも娘のように可愛がって下さっていた。
入社二年目くらいの頃だったと思う。道路建設のための用地買収があり、Kさんの畑がかかった、という情報が入った。
入金確認後すぐに訪問した。
玄関というよりも城の入り口みたいな立派な門をくぐると、Kさんはだだっぴろい庭に出て、長靴に麦わら帽子姿でのんびりと翌日の農作業の準備やその日の片付けをされている最中だった。
私に気付くと作業の手を止め
「金、入ったんやな」
と静かに言って、帽子の下から穏やかな顔を向けた。
「は、はい。ありがとうございます」
辛うじてそう言ったものの、ゆったりと作業しているKさんにいきなりお金の話を持ち掛けるのは、仕事とはいえなんだかがめついような気がして、私は一瞬気後れして黙り込んでしまった。
取り敢えず他愛ない話を始めようとすると、Kさんは目顔で制して
「アンタとこにしか(買収金を)入れて(※振込して)へんのにな、他の銀行やら証券会社やらが『お願いします』言うて次々来よる。どこで聞いてきよるんかな。役場かな。個人情報漏らしよって、田舎はどもならんな」
と困ったような笑顔を私に向けた。
Kさんの推測通りなんだろう。私も同じような顔をして頷いて黙り込んだ。
暫く沈黙が続いた。
「先祖からの土地やったんやけどな。まあ、みんなの道路作るんやからしゃあないわな」
やっと口を開くと、Kさんは無念さを断ち切るようにポツンと言った。
その頃、近隣の農家は次々と田圃を調整区域から外して売ったり、定期借地権を付けて貸したりし始めていた。『だって米作っても儲からんからなあ』という声を沢山聞いていたから、Kさんの口調は私にはちょっと意外だった。
「やっぱり土地のままの方が良かったですか?」
無邪気に尋ねる私に、Kさんはどこか遠くを見ながら
「金に換えてしまうとそれっきり、やからなあ」
と小さく呟いた。
何故か切ない気分になって、私は言葉に詰まってしまった。
今思えば社会経験の足りない、未熟な当時の私には、Kさんが自分の土地に対して抱いている愛着を、肌感覚で理解することが難しかったのだと思う。
だから沢山のお金を手にしたというのに、寂しそうに見えるKさんのことが不思議でならなかった。
Kさんは、そんな世間知らずの私を責めることも怒ることもしなかったが、だからこそ、却って残念な胸の内をちょっと漏らしたくなったのかもしれない。
昨日テレビ番組で成田空港の用地買収のニュースを見た時、ふとKさんのことを思い出した。
Kさんは私が退職した数年後に亡くなった。
ご本人は非常に温厚な方だったが、相続は子供達がおおいにもめた、と私の後の担当者から聞いた。
他にも沢山の財産があったことは間違いないが、もしあの土地が買収にかかっていなかったら、相続も多少は穏やかに済んでいたのかもしれない。
『金に換えたらそれっきり』というKさんの言葉が頭に浮かんだ。
農家の土地に対する思いを身を以て知った、至らない若き日の思い出である。
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