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「一番星はポラリス」第2話



1


 桜の花の見頃はすっかり過ぎてしまった四月六日。高校三年生の学校生活がスタートした。

 入学式は明日。今日は二学年しか登校していないが、生徒玄関前は大混雑である。

「こりゃ、教室に行って座席表見た方が早いんじゃね?」

 文理別に二クラスずつ。私も千里子も文系だから、A組かB組。千里子の性格ならば、堂々と振る舞うこともできるだろうが、私は無理。二択をミスして、すごすごと教室を出て行くなんてことになったら……想像しただけで、首の裏が寒い。

 千里子の提案を却下して、どうにか見えないものかと背伸びをする。

 うんうん唸っている私をよそに、千里子はもはや諦めている。背が小さいから、仕方がない。私が代わりにちゃんと見て、AなのかBなのか教えてあげなければ、という使命感に駆られる。

「あ、千里子。うちら別のクラス。あんたB」
「マジで?」

 漫研所属の千里子は、私よりも断然、交友範囲が広い。

「田川(たがわ)さんは、うちと一緒でAね」
「あ、ありがとう」

 千里子だけじゃなく、私のことも気にかけてくれるとは、いい人だ。

 恐縮して頭を下げるが、彼女は漫研の新歓についての相談を千里子に持ちかけながら、颯爽とその場を離れてしまっていた。

 私のお礼、聞こえたんだろうか。

 自分の行くべき教室がわかったのだから、後ろにいる人たちのためにも、さっさと立ち去るべき。わかってはいるけれど、もうひとり、クラスを知りたい人がいた。

 春休みにたまたま出会った、彼。

 まだ時間もそれほど経っていない。帰り際に名前を呼んでくれたけれど、忘れられていないだろうか。

 外村くんのことを、私はあの日まで、誤解していた。

 私とは全然別の世界の人。同じ日本語を話していても、話が通じない人。

 地学準備室で少しだけ喋った彼は、私の想像を覆した。気さくに話しかけてくれたし、何よりも、関西弁が苦手だ、怖いと言った私のことをしっかり考えてくれた。

 もう少しちゃんと、話してみたかったな。

 同じクラスになれたなら、挨拶くらいはできるはず。そう、たとえきらきらした人たちに取り囲まれていても。

 そんな軽い気持ちを引きずりつつ、結局彼の名前は確認できず、その場を離れた。

※※※

「おっ。はよー、金(かね)ちゃん! まーたおんなしクラスやな! よろしゅう」

 聞いてない。淡い期待はしていたけれど、こんなことになるなんて、聞いてない。願ってもいない。

 軽快な関西弁は、私の真横から聞こえる。幻聴ではない。金ちゃん、と呼ばれた金子(かねこ)くんは、サッカー部のキャプテンで、エースストライカー。クラスの中でも目立つ存在だ。それこそ、外村くんと同じくらい。背が高くて、竹を割ったような性格だから、モテる。彼女が途絶えたことがないとか。

「おはよう、大地。お前、寝癖ついてんぞ」

 爽やかな笑い声とともにもたらされた情報に、なるべく彼を視界に入れないようにとまっすぐ前を向いて固まっていた私、つい横目で追ってしまう。寝癖……気になる。

 唇の怪我はすっかりよくなっていて、アイドルの顔に傷が残らなかったことに、安堵する。

「ほんま!? どこ? どこ?」

 頭のてっぺんから飛び出した触角を、金子くんは直してあげる気はないらしく、手のひらでぴょこぴょこ、いじっている。

「やめぇ~」

 両手で金子くんのいたずらを振り払おうとする仕草は、子どもっぽい。可愛い、などという感情が浮かんでしまったのを、ハッとして打ち払う。

「ちょっと大地。寝癖なんてかっこ悪すぎ!」

 外村くんたちがじゃれ合っているだけでも目立つのに、より一層華やかな人物がやってきた。ロングヘアに指を通して、サラサラなのを見せつける。あまりの眩しさに、私はそっと視線をそらす。

 綿貫(わたぬき)かれんは、外村くんと堂々と話すことを許された、唯一の女子だ。

 学校一の美少女と名高く、入学後一週間で十人に告白されたとかいう噂が、まことしやかに流れていた。

 彼女と仲良くしている友人たち曰く、「かれんと原宿とか行くと、めちゃくちゃスカウト寄ってくるよね」「いっそのこと、山道グループのオーディションとか、受けちゃえば?」とのこと。

 綿貫さん自身は、美貌を過度に誇ることはない。賛辞を微笑みひとつで当たり前のことだと受け止めていて、芸能界に入るべきだという声には、「あんまり興味がないのよね」と応じる。

 楽しそうに喋っている綿貫さんと外村くんは、非常に絵になった。敬語抜き、普通の友達として彼と接することができるのは、突出した部分がある人だけなのだと、改めて思い知らされる。

 胸の奥がもやもやする。自分が嫌な人間になっていく。

 隣の席のやりとりをシャットアウトすべく、鞄の中から文庫本を取り出した。感じ悪いと思われようと、かまわなかった。

「そんなん言うなら、寝癖直しみたいなん、持っとらんの?」
「持ってくるわけないじゃない。私は家からパーフェクトなの!」

 まだ寝癖について盛り上がっている。髪の毛が爆発していたとしても、気にも留めない男子もいる。頭頂部の毛がわずかに跳ねているだけだ。気にするほどじゃない。

「あ、せや」

 気配が動くのを感じた。

「なぁなぁ、ゆりのちゃん。寝癖直しみたいなん、持ってへん?」
「ふぁ!?」

 変な声が出る。思わず、持っていた本を落とした。ひっくり返って、ページが折れてしまった。あああ……。

 クラスの空気が一変したことに、外村くんはどうして気づかないのか。特に、一番近くにいる綿貫さんのオーラが恐ろしい。バチバチした敵意が刺さる。

 いったいあの子、外村くんの何?

 あの綿貫さんですら、苗字でしか呼ばないのに、「ゆりのちゃん」だって。

 ひそひそ話は時として、聞かせたいからこそ行われる。直接あれこれ言われるよりも、時にダメージが大きい。拾い上げた本をぎゅっと抱きしめても、楯になんてなりはしない。

 空気をあえて読まなかったのか、それとも読めないのか。金子くんは怪訝そうな顔で、皆を代表して外村くんに問う。

「何、大地。お前、田川と知り合いだっけ? つーか下の名前で呼ぶって、もしかしてさぁ」

 両手で古いタイプのハートマークを作る彼の顔は、にやにやしている。これは読めない方だ。隣に立つ綿貫さんの顔が、貼りついた笑顔に変わっていることにも、おそらく気づいていない。

 そういうんじゃないです、と、私から言うべきだ。外村くんが、私のせいで誤解されてしまうのは、よくない。

 けれど、言葉がなかなか出てこない。千里子や数少ない友人たちとであれば、会話を楽しむことができるけれど、はっきりと線引きされたクラスのカースト上位者に、もの申すことなんて、できない。

 どうしたらいいのかわからずに俯いた私を浮上させたのは、外村くんだった。

「金ちゃん。俺、そういう冗談嫌いやって何回言うた?」

 顔を上げれば、外村くんの背中が見える。ピンと伸びた背筋に、私はあの日のことを思い出す。

「ゆりのちゃん呼んだんは、上の名前知らんかっただけや。俺だけならええよ。彼女に迷惑かけんなや」

 私は一瞬だけ、怒りに震える言葉の強さに硬直したけれど、すぐに息を吐きだした。

 大丈夫。外村くんは、むやみに怒鳴り散らす人じゃない。効果的に怒りを表現することができる人で、金子くんもそれ以上茶化すことなく、「ごめん」とすぐさま頭を下げた。

「俺やなくて、彼女に謝らんかい」

 顎で指示された彼は、私にも謝ってくれた。一年生のときに同じクラスだったので、私は彼のキャラクターを、多少は知っている。本当に、悪気はなかったのだ。

「ううん。いいよ」

 外村くんには敬語が抜けないけれど、金子くん相手なら、対等な言葉遣いで返事ができる。

「あ~、あのさあ、田川さん?」

 金子くんへの怒りを解いた外村くんは、今知ったばかりの私の苗字を口にした。

 ゆりのちゃん、と呼ばれることは二度とないのだろうな。

 そう思ったら、ちょっとだけ寂しいかもしれない。

「なんでしょうか」

 彼はがっくりとうなだれる。頭をこちらに向けるものだから、話題の寝癖がぴょこん、と私を指した。

「それ、それや!」
「ええと」
「なして? なして俺には敬語なん? 同い年よ、俺たち。ク・ラ・ス・メ・イ・ト!」

 わざわざ一音ずつ区切って言う。勢いに圧倒されて黙っていると、威圧してしまったか、とハッとした彼が眉尻を下げて困っている。

「いやほんまにさ、なんか他人行儀で悲しいんよ。俺は田川さんとも、友達やと思っとるし」

 友達。

 私が? ちょっと話しただけなのに?

 聞き返すのもはばかられ、私は無言で鞄の中を漁る。ポーチの中から、アホ毛を抑えるスティックを取り出して差し出す。

「寝癖直し、探してたんです……でしょ?」

 最大限の勇気を振り絞った。噛み噛みだけれども、彼の「友人」という言葉に応えたつもりだ。手は微かに震えていたかもしれない。

「ほんま、おおきに! さすが田川さんやな。まさしくドラえもんのポケット」
「お前らほんと、いつの間にそんなに仲良くなったんだよ」

 金子くんの疑問は、クラス全員を代表している。当たり障りのない会話を仲間内でしながら、こちらに聞き耳を立てているのを感じる。

 深く突っ込まれると、春休みに彼がケガをしたことだったり、開かずの地学準備室を根城にしている生徒がいるということが、露見してしまうかもしれない。

 なんて説明したらいいのか困惑していると、外村くんが立ち上がった。金子くんの背中をバシバシと叩き、そのまま肩を抱いて歩き出す。

「大地?」
「まあ、そんなんどうでもええやん? 俺が一方的に世話になっただけや。それよりトイレ行こ。鏡ないと直せん」

 言いながら彼は、教室の外へと出て行った。興味津々で見守っていた人たちは、残された私には、関心がない。友人同士のやりとりに移行する。

 話題の半分くらいは、やっぱり外村くんのことだ。

 いつも笑っている彼しか見たことがないから、先ほど金子くんに見せた剣幕さは、賛否両論のよう。

 誤解されるのをよしとせず、きっぱりと否定するのが男らしくて見直したとか、金子くんの他愛のない冗談に、あんなにマジで切れるなんて、だとか。

 渦中にいるのが私というのが、なんとも居心地が悪い。地味で目立たない、同じクラスになって初めて認識されるような人間だ。彼らとは対照的である。

 もしも、金子くんがからかった相手が絶世の美少女だったのなら、少女漫画のプロローグそのものだ。からかわれた女の子をかばうヒーロー。よくある展開だ。

 例えば、私が綿貫さんみたいな美少女だったら――……。

 ありもしない妄想に耽りつつ、本を鞄にしまおうとした瞬間、邪魔が入った。

「!」

 バン、と強く机の天板を叩かれて、再び教室中の注目を浴びる羽目になる。おどおどしながら見上げると、頭に思い浮かべていた美少女が、微笑んでいる。

「ねえ、あなた」
「は、はい」

 声が上擦り、ひっくり返る。笑顔が怖いって、初めての経験かもしれない。

「放課後、裏庭に来てくれる?」

 お誘い、なんて優しい物言いではない。有無を言わさぬ口調に、私は頷くことしかできない。

 ど、どうしよう。進級初日から、えらいことになってしまった……!

「ただいま~。田川さん、ほんまありがとな」

 高飛車に頷いて、自分の席に帰っていった綿貫さんと入れ替わりで、外村くんたちが戻ってきた。寝癖はすっかり収まって、ご機嫌だ。彼が来たことで、張り詰めた空気はきれいに霧散していった。

「うん」

 寝癖直しを返してもらって、私は相づちをうつことしかできない。。

 チャイムが鳴って、担任の先生が来るまでの間、私はひたすら、下を向い
ていた。

2

 裏庭には、人気がなかった。

 この学校には裏門がないので、人が来るのは、秘密の話をするときだけ。それこそ告白が一番多いはず。けれどそれも昨今は、スマホのやり取りで完結するからか、流行らない。

 綿貫さんが来るまでの間、立ちっぱなしで待つしかない。

 時計を見れば、帰りのホームルームが終わってから、すでに二十分が経過している。お腹の虫がぎゅるると鳴く。

 うう、早く帰りたい。話をしているときに、お腹が鳴ったらどうしよう。

 綿貫さんがやってきたのは、それからさらに十分経ってからだった。

 私よりもかなり背の高い綿貫さんが、ロングヘアをなびかせてつかつかとやってくる姿には、圧倒される。

 現実逃避に、最近読んだライトノベルを思い出す。ネットで人気を博して、書籍化したものだった。

 あたくしの婚約者である王子殿下に、なれなれしくってよ。場をわきまえなさい、庶民……!

 扇をぴしゃりと突きつける、ヒロインをいじめる悪役令嬢と綿貫さんが重なった。恋のライバルとなる女性は、金髪に縦ロールのゴージャス美女がセオリーだ。

 相対する私には、ヒロインの素質はないが……。

「あのさ、田川さん、だっけ?」
「はい」

 無意識のうちに背中が丸くなる。なけなしの自尊心を守らなければと身構える。

「あんた、大地のなに?」

 何者でもない。強いて言うならば、

「友達……?」

 としか、言いようがない。

 むしろ綿貫さんの方が、外村くんのなんなんだろう。彼は特別な女の子を作らないのだから、彼女もまた、友達でしかないはずなのだ。恋人なら、相手に近づく人間を牽制する理由も十分だが、綿貫さんはちがう。

 とはいえ、綿貫さん相手に下手な口答えはするべきではない。しずしずと従う素振りを見せるが吉。

 おどおどしている私が、余計に気に入らなかったのだろう。綿貫さんは、さらにヒートアップする。

「春休み前まではいなかったでしょ。どうやって取り入ったの」
「取り入ったって……」

 ケガをした彼を手助けしただけなのに、ひどい言われようだ。さすがの私も引っかかり、ムッとして顔を上げた。

「何よ」
「あのっ。綿貫さんは、外村くんが、そういう下心のある人間にだまされるような人だと思ってるってことですか?」

 付き合っていなくとも、綿貫さんには外村くんへの恋愛感情があるのでは?

 そうとしか思えない。

「外村くんを、信じてないんですか?」
「なっ」

 自分より明らかに上位の人間に逆らうのは、勇気がいる。普段なら、教室にいるときと同じく、どんなに腹が立っても、綿貫さんに食ってかかったりはしなかった。

「それはあまりにも、彼のことを馬鹿にしているんじゃ、ないでしょうかっ」

 住む世界が違うと思っていた。勉強が特別できたり、学校行事で目立ったり、容姿がよかったりしないと、彼と近づくことはできないのだ、と。

 手の届かない星みたいな存在だった外村くんは、あの日、私の隣にいた。馬鹿みたいに明るく、目を焼き尽くす太陽ではない。かといって、反射光で淡く白く輝く月でもない。

 たとえるなら、いついかなるときも夜空にあり続け、自ら輝く星のように、優しく傍にいてくれた。

 彼が私と友達だと言った。その信頼に応えたい。

「わ、私は確かに、地味だし何にもできないけど、でも、外村くんの友達でいたいと、思っています」

 言い切った!

 心臓がドコドコと脈打っている。これで理解してくれればいいのだが、綿貫さんは頭に血が上っていて、私の言葉に耳を貸さない。

「なによ! あんたみたいな奴が、大地のアイドル人生をダメにするのよ!」

 何を言いたいのか、半分も聞き取ることができなかった。とにかく彼女は、私が外村くんに近づくことが気に入らないのだ。

「私は、外村くんを応援したいだけです! 友人として!」

 結構なボリュームで怒鳴り合っているのだが、誰も様子を見に来やしない。フィクション世界の悪役令嬢だと、一対一を避けて、大勢の取り巻きたちとヒロインを取り囲んでお説教するが、綿貫さんは正々堂々潔く、ひとりでやってきたようだ。

「っ、この!」

 大きく振り上げられた手。あれこれ嫌味を言われる覚悟はしてきたが、叩かれる心の準備はしていない。

 嘘でしょ。新学期早々、こんなトラブルに巻き込まれるなんて。

 こんなことになるなら……と、一瞬考えた。けれど、何度あの日に戻ったとしても、私は外村くんを、地学準備室に招き入れただろう。

 人助けをしたことに、後悔はない。隣の席になったとき、すらっとぼけて初対面のフリをするべきだったとは思うが。

 ぎゅっと目をつむって、来たる痛みに備える。

 けれど、いつまで待っても、頬を張られることはなかった。

 恐る恐る目を開く。薄目だったのを、すぐに驚きにみはった。

「そ、外村くん?」

 すでに帰宅しているはずの外村くんが、綿貫さんの手首を掴み、制止していた。

「綿貫。何しとるんや」

 サッと青ざめた彼女から力が抜けたのを確認して、彼は手を離した。重力に従い、腕がだらりと身体の横に下がる。

「どうして」

 振り絞った声は、私の口から出たものか、それとも綿貫さんから出たものかわからない。

 外村くんは、柔らかい笑みを私に向けて浮かべた。

「先生と今学期のスケジュールなんかについて話しとったら、遅くなってん」

 表には出ていないが、ある程度は先の予定まで決まっている。各教科担任に事前に話を通しておくことで、補習日程をスムーズに調整するため、面談していたとのこと。

 何人もの先生と話をしていたから、彼はこの時間まで居残っていた。

「んで、教室残っとった女子たちがな。笑ってたんや。やーな顔でな」

 眉根を寄せた厳しい顔で綿貫さんに振り返る。彼女のグループの女子のことだろう。

 外村くんは、教室に残っていた子たちがどんな話をしていたのか、何も言わなかった。たぶん、私の陰口だと思う。

 綿貫さんに目をつけられて可哀想、くらいならまぁマシか。どんな尾ひれをつけられているか、わかったものじゃない。

 外村くんは、私を背中にかばうように立ちはだかった。ヒロインを助けに来たヒーローさながらである。惜しむらくはやっぱり、私がヒロインとは程遠いということだけ。

 私よりもずっと大きく逞しい背中を見つめる。

「だ、だって、私の知らないうちにそんな子と仲良くなってるなんて、聞いてない!」
「いや、お前は俺のオカンかい」

 常にまっすぐな彼の背が、少しだけ丸まった。それから大げさに、一度肩を上げ下げしてから、柔らかい関西弁の響きを載せて、「なぁ」と、綿貫さんに語りかけた。

「綿貫が、俺んこと心配してくれてんのはわかってるし、ありがたいと思っとるよ」
「大地……」
「でもなぁ、何度でも言っとるように、俺は誰とも付き合う気はあらへん。好きな子ができたって、俺はアイドルやねん。それがたとえ、田川さんであろうが、綿貫であろうが、俺は恋人にはならへん」

 プリーツが皺になってしまうのに、思わずスカートを握りしめていた。

 外村くんの顔は見えない。早口でもなく、過度にゆっくりでもない。ハキハキと抑揚のある言葉、そして背中から伝わってくる空気感は、彼が真剣であること、本気で綿貫さんに理解を求めているということを表している。

 芸能界には彼女と同じくらい、それ以上にきれいな女の子がたくさんいるはずだ。   

 その誰とも、外村くんは付き合ったりしないのだ。

 自分のファンだという子たちの夢を守るために。

「……わかったわよ」

 見つめ合い、いや、睨み合いに近かった。綿貫さんの方が根負けして、ふっと視線を逸らした。彼女は肩を怒らせたまま、私の存在など、最初からなかったかのように、早足で去っていく。

「一言くらい謝らんかい、アホ」

 小さく毒づく外村くんの制服の袖を引いた。そのまま追いかけて謝罪を強要しそうだったから。

「いい。いいから、もう」
「田川さんがええんなら、まあ」

 ホッと肩の力を抜き、私は彼から手を離した。

「ありがとう、助かりました」
「また敬語やん」
「癖なんだ。ごめんね」

 綿貫さんもいなくなったことだし、裏庭にいる必要はない。私は外村くんの隣に並び、校門へと向かう。

 見ている人に勘違いされない距離を保つのって、難しい。外村くんの声が人より大きくなければ、話をするのも大変だった。

 外村くんも電車通学しているようで、駅まで辿り着く。同じ方向だろうか。ドキドキしながら聞くと、逆方向だったので、少し残念。

 彼は、「今日はこれから用事があんねん」と言って、改札をくぐらなかった。詳しくは聞かなかった。

 控えめに手を振る私と正反対に、手を大きく旋回させた彼の、人懐こい笑顔。自分のどういう表情が人を魅了するのか、よくわかっている。

 電車に乗っても思い出すのは、今日の外村くんの言動だった。

『俺はアイドルやから』

 まだ受験生ムードとは程遠い高校生活。男子も女子も、ほとんどの人が興味あるのは、恋愛や、その先に到達する行為だったりする。

 私だって、ほんのりとした憧れはある。学生の間に彼氏がひとりでもできたらいいな、とか。デートはどんなところがいい、だとか。

 けれど外村くんは、そのすべてを諦めている。

 人生は、選択の連続だという。

 私の前にも彼の前にも、道は無数に枝分かれしている。今の私は何も選んでいない。どころか、道すら見えずに立ち止まっているだけだが、外村くんは違う。

 選択肢がいくつあろうとも、彼は「アイドル」を取る。

 どうして迷いなく、自分の道を切り開いて進むことができるんだろう。その行く末が、果たしてどうなっているのか、まるでわからないのに。

 何が彼を、突き動かすんだろう。

 電車の揺れと呼応して、心臓のリズムが速まる。

 もっと知りたい、外村くんのこと。

 彼が目指す、アイドルのこと。


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葉咲透織(はざきとおる)@いろ葉書房 いただいたサポートで自分の知識や感性を磨くべく、他の方のnoteを購入したり、本を読んだりいろんな体験をしたいです。食べ物には使わないことをここに宣言します。