「一番星はポラリス」第12話
1
あっという間に文化祭前日になった。
先生が明日の注意事項を説明しているけれど、生徒はそわそわして、あんまり聞いていない。こういうときに注意をするタイプの委員長ですら、「配布されたプリントがあるんだから、それでいいだろ」という顔をしている。
生田先生がチラチラとこちらを窺ってくるけれど、私は何も気づかなかったことにして、背筋をピンと伸ばし、話が終わるのを待つ。
「……それじゃあみんな、明日から二日間、節度を守って楽しみましょう」
話が終わったと判断した日直が、食い気味に「きりーつ」と号令をかけた。
「礼!」
不揃いな「さようなら」を背に浴びて、先生はしずしずと職員室へ戻っていく。
なんかちょっぴり可哀想かな。高校生活最後の文化祭なんて、担任教師を取り囲んで盛り上がるもの。それが取って変わられて、面白くないのかもしれない。
そのままバラバラに帰るかと思いきや、みんな一斉に着席した。そして私は、クラスメイトたちの視線を一心に受けている。
「私?」
自分を指さすと、文化祭実行委員が教卓を親指で示して促した。みんなの前に出て、ぐるっと見回すと、彼らの目がきらきらと輝いている。
舞台に立つ外村くんは、こんな感じなのかな。
期待の籠もった熱視線を送られると、プレッシャーも感じるけれど、心の内からやる気や元気がみなぎってくる。
ごほん、と咳払いをする。笑顔のクラスメイトたちに見守られ、私は声を張り上げた。
「皆さん! いよいよ明日は文化祭本番です! このクラス全員で、高校生活の一番の思い出にしましょう!」
うおお、という雄叫び。盛り上げるために指笛を吹く男子。割れんばかりの拍手に、同じ並びにある教室から出てきた先生が、何事かと覗き窓から顔を出した。
他のクラスはやっぱり、受験もあってあまり熱心ではない。だからこそ、これだけ熱気に満ちているうちのクラスが異様に映る。
「それじゃ、今日はみんな、早めに帰って明日に備えてください! 夜遅くまで残るのはナシ! 不安な人は、友達にモーニングコール頼んで寝坊しないようにね」
「わかってるって」
解散を告げて、一目散に教室を出て行くのは、クラス一番のガリ勉男子。他意があるわけではなく、彼は朝が弱いため、真っ先にモーニングコールを金子くんにお願いしていた。
「んじゃ、田川さん。明日もよろしくぅ」
「うん。また明日ね」
「あなたが寝坊するんじゃないわよ」
と、ギャルの友人たちと連れ立って出て行く綿貫さんは、私に忠告をしていく。
「そこまで子どもじゃないよ」
コンサートのときだって、むしろ早起きしたくらいだ。明日は五時起き確定である。
受験で分断されていたクラスが、ここにきてひとつになっていることに、ワクワクした。
「田川さん」
その中心人物が、最後に声をかけてくる。
「外村くん」
ドラマの撮影以外にも忙しい外村くんは、明日の昼過ぎまでの自由時間を確保している。マネージャーさんに無理を言って、車で迎えに来てもらう手はずもととのえていた。
私は彼に、頭を下げる。
「ありがとう。外村くんが参加を決めてくれたから、すごくいい雰囲気になったよ」
情熱は、伝播する。最初は私の胸に宿り、それからクラス全員に行き渡った想いが、明日ようやく爆発するのだ。
外村くんは突然の私からのお礼に、面食らっていた。瞬きを何度か繰り返した後に、「ちゃうよ」と、首を横に振る。
「うちのクラスまとめとるんは、田川さんやろ。こっちこそ、ありがとう」
そうかな?
私は結局、外村くんと一緒に文化祭を楽しみたいという、自分の欲望で動いて周りを巻き込んだだけ。
もう少しだけ話していたかったけれど、タイミング悪く、外村くんのスマートフォンが着信を告げた。
「うわ。もう行かんと」
メッセージは仕事関係だろう。じゃあ、と手を振る彼の後ろ姿に、私は大きな声で念を押した。
「明日の集合時間はー?」
「七時半! 六時半に金ちゃんに電話してもらう!」
即答に、私はにっこりと微笑んだ。
最初に時間を伝えたときには、「なんでそんな早いん……」と、げっそりしていた。ロケ仕事でもないのに、早起きしたくない……という、本音が顔に出ていた。
それでも、彼にはこの時間に来てもらわなきゃいけなかった。
文化祭を心から、楽しんでもらうために。
※※※
「大地、駅についたって」
金子くんがスマホを振りながら、教えてくれた。私は外村くんと直接連絡を取ることができるのだが、公的には金子くんを窓口にしておかないと、露見したらまずい。
もしかしたら私のスマホにもメッセージが届いているかもしれないが、確認することなく、金子くんに頷いて、私は外村くんを迎えに行った。
十月も半ばを過ぎて、ようやく冬服がちょうどいい季節になってきた。早朝は肌寒いくらいで、やってきた外村くんは、学ランの襟元をしっかりと留めていた。
「おはようさん」
途中からあくび混じりになったのを見られたことを恥じて、口を閉じる。突っ込むのは無粋で、私は微笑んで、「それじゃあ、早速行きましょう」と、彼を促した。
「行くって、どこに?」
てっきりまっすぐ教室に向かうと思っていた彼は、私が逆方向に進んだので、首を傾げた。
「ついてくれば、わかるよ」
それほど広い校舎ではない。行き先が第一体育館だとピンと来た外村くんだったが、理由までは、見当がつかない様子だった。
文化祭一日目の午前中、体育館ステージでは二日目に行われる演目のリハーサルを行う予定になっていた。その時間の一部を、お願いして空けてもらった。交渉を手伝ってくれたのは、生徒会と繋がりのある委員長だ。
基本的におとなしい生徒が揃ったうちの高校である。イレギュラーな事態は、先生たちからも、生徒会の面々からも歓迎されない。
しかし、想定される質問や駆け引きの材料など、あらゆる準備をして立ち向かった結果、割とあっさりと許可が下りた。ステージ企画が例年より少ないことも勝因だったが、一番は書記を務める二年生の女の子が、外村くんのファンだったことだ。
外村くんが文化祭に参加できないということは、学校中の噂で持ちきりになっていて、私たちの話を聞いて、すぐに味方になってくれた。
『その代わり、私も傍で見てていいですか? 手伝います!』
キラキラした目で見つめられて、つい可愛いな、と思ってしまった。そんな彼女には、今日の照明係を務めてもらうことになっている。
「さあ、どうぞ」
扉を開ける。広い体育館、真正面の舞台上には、クラス全員が勢揃いしている。私に親指を立てる金子くん。いい感じに身体が暖まっているのは、一目瞭然だった。
驚いて固まる外村くんの背中を押して、並んだパイプ椅子の一番前のど真ん中に座らせてから、私は壇上に向かった。
三列になって、男女で別れている。ソプラノ、アルト、テノール。ピアノを弾くのは、教育大学への推薦が決まっている女子だ。幼稚園の先生になりたくて、ピアノを猛練習しているから、ぴったりの役割だ。
そして私は。
彼らの前にある台座に乗る。たったひとりの観客に向けて、一礼をする。頭のてっぺんに、ライトの熱を感じた。
顔を上げたときに目に入った外村くんの表情は、ぽかんと間の抜けた、なんとも言えない顔だった。
くすりと笑ってから、気持ちを引き締めて、クラスメイトたちに向き直る。譜面台に載せた楽譜はふたつ。一曲目の楽譜を開いて、私がスッと手を挙げて構えると、みんなは肩幅に足を開き、スタンバイOK。
小さくカウントして流れ出した前奏は、外村くんの先輩にあたるSTORMの大ヒット曲だった。合唱曲アレンジの譜面が出ていたので、そのまま使った。
外村くんの感情の動きはわからない。でも、きっと喜んでくれている。目の前で大きな口を開けて歌っている友人たちの顔が、明るいから。
一曲目が終わって、パチパチと拍手の音が響いた。外村くんと、それから手伝ってくれた後輩。たったふたりの観客だけど、大きく聞こえる。彼らが一生懸命、私たちに想いを伝えようとしているからだ。
でもその拍手、もう一曲のために取っておいてほしい。
私はぐるりと見渡して、再び手を挙げた。
まさか二曲目をするとは思っていなかったのだろう。金子くんと目が合うと、にやりと笑って顎でしゃくって合図してくれた。
あいつ、めっちゃ驚いてるぜ、と。
ソプラノの端に立つ綿貫さんは、大きく頷いた。
絶対に成功するわよ、と。
伴奏の子に合図して、流れ出すメロディー。
「これは……」
小さな呟きも、それが外村くんの言葉ならば、私は聞き逃さない。
二曲目は、あの日託された彼の歌だった。ひとつの旋律だった曲を、二声のシンプルな合唱曲に編曲してもらったのだ。
みんなに見せたときの反応を思い出す。夢中になって読み込んで、楽譜が読める人は足でリズムを刻み、小さな声で口ずさんでいた。
『いい曲……』
誰かが呟いたのを皮切りに、外村くんの才能を絶賛し、熱狂するクラスメイトたち。
このとき初めて、外村くんは本当に、仲間としてみんなに受け入れられたのだと思う。
私たちは彼のことを、芸能人とひとくくりにして扱っていた。外村くん自身、アイドルである自分と周りとの間に、線を引いていたこともある。
彼の作った曲は、私たちに共通の悩みを綴っていた。私が外村くんの弾き語りを聞いたときに抱いた、「これは私の曲だ」という感想は、クラスのほぼ全員に共通した。
そして、外村くんもまた、同じ悩みを抱える青年に過ぎないのだと、瞬時に理解した。
見えない壁。小さな石ころ。向かい風が強く吹き、誰が敵かもわからない日々。夢なんて見つからない。でも、ここにとどまることはできない。
そんなときには、夜空を見上げて。一番星は北極星じゃない。それでも僕らを導く、淡い、儚い輝きなんだ――。
最後の長いビブラート、盛り上げて盛り上げて、そして止める。
達成感で胸がいっぱいになるが、外村くんは、はたしてどんな顔をしているのか。好きにしろと言われたが、勝手に編曲をしていいとは言っていない、と怒られるかもしれない。
指揮台を下りて、礼をしようとした私の目に映ったのは、外村くんがはらはらと、瞬きもせずに泣いている姿だった。
「外村くん!?」
慌てた声に、彼は初めて、自分の涙に気がついたようだった。頬に触れ、「あれ? なんで俺……」と、呆然としている。
私はステージを下りて、彼の元へ走った。
「あの。もらった楽譜、見せたらみんないい曲だって言ってくれたから……ボツになったって言ってたけど、私たちはみんな、この曲が好きだって伝えたくて、勝手に合唱曲にしちゃったんだけど、嫌だった?」
外村くんは首を横に振り、涙を拭って笑った。全身で「嬉しい!」を表現するように立ち上がり、私の手をぎゅっと握る。
「ありがとう。俺、自分の作った曲がこんなんなると思わんかったから、めっちゃ嬉しい!」
「外村くん……」
彼は私から手を離し、ステージの上のクラスメイト全員に、頭を下げる。
「ありがとう! みんな!」
声を張り上げると、クラスメイトは全員、笑顔だった。
「こっちこそ、いい曲作ってくれて、ありがとう!」
「いつかテレビでも、この曲聴きたい!」
体育館の扉の向こう側には、生徒会や軽音楽部の面々が、ちらほらと姿を現し始めている。書記の子は、「あと一曲なら」と、指を立てた。
私は外村くんをステージに上げた。
「もう一回、外村くんも歌おう!」
主旋律を歌い上げる彼の声は、やっぱり素人の私たちとは一線を画していて、一人でも負けずに目立っていた。マイクを通さない歌声に、私は指揮をしながら、涙腺が刺激される。
みんなの笑顔は、外村くんのコンサートと重なった。楽しい、嬉しい。そんなポジティブな感情が、ぐわっと押し寄せてくる。
アイドルじゃなくても、私は、私たちは、それぞれのステージで輝いて生きていける。そうにちがいない。
「ありがとう」
歌が終わって、複数の子からお礼を言われる。
外村くんからならわかるけれど、どうしてみんなに感謝されるのか理解できずにいると、「この三年間で、一番楽しい!」「みんなで文化祭に出れるのは、田川さんのおかげだから」と、私はそういうキャラじゃないのに、ぎゅっとハグしてくる。
戸惑いながら綿貫さんに目を向けると、うんうんと頷いている。私はおずおずと、抱きついてくる同級生の背中に、腕を回すのだった。
2
一般開放がスタートすると、用意してあった着ぐるみを外村くんと金子くんに着せ、看板を持って校内を練り歩く。
「う、うさみちゃん。見える? 大丈夫?」
ウサギの着ぐるみで、よちよち歩く外村くんの介助は、私の担当だ。手を繋ぎ、なかのひとがバレないように、うさみちゃんという仮名で呼ぶのは、少し恥ずかしかった。
ちなみに金子くんの方はくまおくんで、綿貫さんがついている。美少女に先導される着ぐるみの方が目立つだろうという計算である。
声を出すと台無しなので、外村くんはもこもこの手で、ぽんぽん、と私の手を叩いた。
大丈夫そうだ。それでも視界は狭いし、歩きにくいことは間違いないから、しっかりフォローしなきゃ。
「それじゃあ、一生懸命宣伝しようか!」
私らしくないテンションで、拳を振り上げる。
どうせ着ぐるみなんだから、自由に遊んでくればいいとみんなは言ってくれた。でも、外村くんは「俺はお客さんやない!」と、強く主張した。しっかりと宣伝係を務める気、満々である。
各教室の前は華やかにデコレーションされている。さすがに中に入って、「焼きそば売ってまーす」というのははばかられる。展示や室内の模擬店にお邪魔することなく、廊下から覗くにとどまった。
本当はあれこれ見て回りたいはずなのに、我慢させている。
「うさみちゃん、楽しい?」
聞けばまた、手をぽんぽんと叩かれる。ぐっと強く引き寄せられ、「心配せんでええよ。めっちゃ楽しんどる」と、囁かれた。
これが生身の状態だったら失神していた。ただしそこは、うさみちゃんの外見である。肉厚な着ぐるみが壁となって、かろうじて正気を保っていられた。
赤くなった顔は、狭い視界では見えないことを願って、やんわりとうさみちゃんを押しのける。
「じゃあ、外行こうか」
出入り自由な文化祭とはいえ、不審者が侵入するのは困る。玄関には一般客にパンフレットを渡す受付があり、基本的に男の先生が常駐している。
ちょうど、担任の生田先生が駆り出されている時間だった。
「先生、焼きそば食べましたか?」
話しかけると、先生がこちらを向いて、ぎょっという顔をした。頭の大きな着ぐるみのどアップだったので、それも無理はない。
「あ、ああ。ここの係が終わったら、行くよ」
うさみちゃんと私を交互に見て、ひらひらと手を振る。
玄関から外に出ると、うちのクラスの焼きそば屋台の看板も見えてくる。
恐れていたような、外村くんファンの暴走もないようだ。中に入ってきてはいるのだろうけれど、彼が文化祭にこっそりと参加していることを知っているのは、基本的にはうちのクラスだけ。
他のクラスの生徒は、「不参加」という知らせを受け取ったところで終わっている。誰に聞いても、「今日はいません」と返ってくるだけだ。ある程度探索したところで、諦めて帰ってくれるだろう。
屋台に顔を出せば、「うさみ~」と、出迎えてくれるクラスメイトたちの笑顔。
うさみちゃんは表情が変わらないけれど、彼らに手を引かれて顔の角度が変わると、嬉しそうな感じが伝わってくるから不思議だ。
頭がずり落ちたら騒動になるので、後ろから支えてあげる。
「そんじゃ、宣伝してきてくれよな!」
「任せておいて。ねぇ、うさみちゃん」
手を振る彼を引っ張って、私たちはビラ配りをして、文化祭を大いに盛り上げるに一役買ったのだった。
※※※
焼きそばとラムネを二人分買って、こっそりと特別教室棟に急ぐ。
ちなみにラムネは千里子のクラスで、急激に涼しくなった影響により、ほとんど売れておらず、午前中にも関わらず叩き売りされていた。
過ぎ去りし夏そのものを封じ込めたような瓶を見ていると、夏休みの思い出が、胸の内に鮮やかに蘇ってくる。
コンサート。それから彼の本音を垣間見た、外村くんの弾き語り。全部、彼にまつわる思い出だ。
地学準備室のドアを、うっかりいつもの調子で開けてしまって、固まった。中にいた外村くんは、なおさら驚いただろう。
「ご、ごめん!」
勢いよく謝って、それから廊下に戻る。今、目に映り込んだ光景を打ち消そうと目を瞑っても、瞼の裏から消えてくれない。顔が熱い。瓶を両頬に当てて、冷まそうと試みたけれど、ラムネの方が温くなりそう。
着ぐるみは暑いし、重い。ずっと着用していると、秋とはいえ熱中症になってしまう。早めにビラ配り兼校内探索を終えて、ゆっくり落ち着くことのできる秘密基地に戻ってきた。
そして私はお昼ご飯を買い出しに行って、外村くんはお着替え。結構時間がかかったから、もうクラスTシャツに着替え終わったと思っていたのに!
内側から、控えめなノックの音がして扉が開く。そろそろと隙間が広がっていって、ばつが悪そうな外村くんの顔が覗いた。彼の頬も、少しだけ赤みを帯びている。
「ほんとにごめんね……着替え中に」
着ぐるみの中は、想像以上に地獄だったようだ。そのままクラスTシャツを着るわけにはいかず、アンダーも替えようと上半身を完全に晒したところに、うっかり突入してしまったのだ。
発展途上の肉体は、手足の長さが目立つが、うっすらと盛り上がる胸板や腹筋が、きれいだったな……いやいや、忘れなきゃ!
耳が赤くなっている彼に気づかなかったフリをして、「焼きそば! と、ラムネあるよ!」と、買ってきたものを押しつけた。
「おー。ありがとう」
嬉しそうに外村くんは、ラムネをぐびぐびと飲んでいく。
清涼感のある炭酸水は、青春を体現している。ぼんやりと眺めていると、視線が気になったのか、「ん?」と、こちらを見てくる、彼。
なんでもないと首を振り、私もラムネを一口。しゅわりと弾ける泡と、カラコロと転がるビー玉は、初恋の音だ。
焼きそばで腹ごしらえも完了し、外村くんはいよいよ、帰るための準備を始める。
まさか帰宅時も、うさみちゃんでいるわけにはいかない。マネージャーさんの車で送ってもらうけれど、駐車場に向かうまでの間にパニックになったら、最後の最後で台無しになってしまう。
「なあなあ、似合う?」
そこで私たちが考えたのが、ずばり、「木の葉を隠すなら森へ」作戦だった。
外村くんひとりだけ、サングラスをしたりと変装していたら、悪目立ちして、勘づかれてしまうかもしれない。だから、クラスの男子で手の空いている人に協力してもらい、似たような仮装の集団を作り上げることにした。
小道具はすべて、百円ショップなどで各自用意した。サングラスとカツラはマストで、あとは自由。
外村くんはハート型のサングラスに、真っ黄色のアフロのカツラをかぶって、ふざけたポーズを決めていた。どんなにイケメンであっても、絶妙にダサい。
似合うといえばディスってる風になりかねないから、私は曖昧に笑って拍手をすることでごまかした。
本当は明日も参加したいだろうに、私たちのカンパでは、着ぐるみの二体の一日レンタルが限界だったのである。
最後に口紅を塗って、変装は完了する。他の男子が買ったり借りたりしたものを見せてもらったが、赤や紫、茶色などの発色がよくどぎつい色で、仮装にぴったりの代物だった。
外村くんが新品のリップを開けるのを見守る。
「お願いあるんやけど」
「なに?」
自分のゴミの後始末をしてから、アフロ頭の彼に近づくと、口紅を渡された。コーラルピンクは、仮装のためというには、可愛らしすぎる。
「鏡忘れてもうたから、塗ってくれん?」
「え」
鏡なら持ってる……と言いかけて、身だしなみ用品などが入っている、彼曰くのドラえもんのポケットたる私の鞄は、集合場所の教室に置きっぱなしになっていることを思い出した。取りに行く時間はない。
「なぁ、早く」
柔らかく、けれど有無を言わさぬ強制力を持った言い方でせかされて、慌てて蓋を開けて、ルージュを繰り出した。
その様子を見届けて、外村くんは目を閉じた。うっすらと開いた口は、まるでキスを待っているかのよう。
思わず、呼吸を止めてしまう。再び細く吐き出す息の音が、はっきりと聞こえるほど、地学準備室は静かだ。
「田川さん」
催促され、私は震える指先をどうにかコントロールして、コーラルピンクを塗していく。
「で、きた……よ」
「ん。ありがとさん」
黒いレンズの向こうで、目が細められた。彼の唇が柔い桃色に染まり、パールが光っている。倒錯的で、ドキドキする。その口から出てくるのが、いつも通りの関西弁であることに、安心した。あんなに怖がっていたのに、安堵するのもおかしな話である。
準備万端の外村くんは、立ち上がり、満足げに背伸びをした。
「ほんま、ありがとう。文化祭出れて、本当によかったわ」
「ううん……私がやりたくてやったことだし。それに」
これまで、誰かの言うことを聞き、愚直に動くだけだった私が、初めて中心となった。
高揚感は、外村くんのコンサートを客席から見ていたときに近い。けれど、小さな、そして確かな達成感は、見ているだけでは味わえなかった感覚だ。
傍観し、言われるがままになるのではなく、自分が動き、人を動かすこと。
夢の端っこを掴めた気がした。
「それに?」
聞き返してくれた外村くんに、私は微笑み返すだけ。言葉にするには、まだ淡すぎる決意だったし、彼よりも先に、伝えなければならない人がいるから。
私の顔に、前向きな拒絶を感じ取ったのだろう。外村くんは、気にした様子もなく、「そっか」と言った。
「そろそろ時間や。みんな待っとるな」
「あ、待って。リップ」
まだ私の手の中にある口紅を返そうとした。
「ええよ。あげる」
「え?」
去り際に、彼は振り向いた。
「田川さんに似合いそうな色やから、それにしたから、もらっといて?」
一瞬、何を言われたのか理解できずに固まっている隙に、外村くんは出て行ってしまった。我に返ったときには、すでに姿形もなくなっていて。
「私に似合う色って……」
ドラッグストアで買える、何の変哲もない安価な口紅。匂いつきのリップクリームがせいぜいの私にとって、初めて手に入れるコスメになる。
蓋を開けて、くるくると回す。出てきた紅は、さっき外村くんに塗ったから、少しだけ削れている。
そっと唇に近づけてみる。触れるか触れないか、ギリギリのところで止める。
私に似合う?
男の子からの初めてのプレゼントが、好きな人からだという幸運を噛みしめつつも、やっぱり疑問が頭から離れない。
何とも思っていない女子相手に、化粧品をプレゼントしたりなんて、する?
しかも店頭で、色を見ながらああでもないこうでもない、悩んだんでしょう?
ねえ、外村くん。いったい、何を考えているの?
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