「みんな愛してるから」終章 文也①
女が泣いている。
白木の棺に縋りつき号泣している女の髪は、真っ白でほとんどが抜け落ちてしまっていて、この数日で十も二十も年を取ったように見えた。
まるでこの女自身の葬式で、彼女は自分の死に気づかずに泣き喚いている様相だったが、棺の中に横たわっているのは、まだ若い男だ。生前は長かった前髪を、納棺師はわざわざ撫でつけて、顔が見えるようにしてくれていた。
こうしてまじまじと見ると、我が弟ながらなかなかの男前である。
花に囲まれた青年を見下ろす文也を、親族に宥められてようやく顔を上げた女がキッと睨みつける。
自分は故人と同じく、この女の息子であったはずだが、仇のように憎まれている。それが嫌で、もっと幼い頃には早く死んでくれないかな、と呪ったものだが、今はむしろ、うんと長生きしてほしいと思っている。
「あんたッ! なんであんたが生きているのッ! 理! 理を返してちょうだい!!」
母親の名を呼び、押さえつけるのは誰だったか。親戚づきあいは人並みにしていたはずだが、文也の記憶にはまるで残っていなかった。ほんのわずかな関心すら抱いていなかったのである。
文也は彼らに会釈して、一度部屋の外に出た。あまり母を刺激しない方がいいだろうという判断だった。
出てきた文也を、ここで働く女がじっと見ていた。嫌な顔を隠さずに。
市内には斎場がいくつもある。しかし、ここ最近、文也の周囲で頻発している死者の葬儀はすべて、この会場で行われていた。
すっかり板についた喪服で、文也は女に一礼した。いつもお世話になっております、という顔をした文也を、彼女は化け物でも見るように顔を引きつらせ、小走りに去って行った。
彼女には、文也が死神にでも見えているのだろう。確かに、この短期間で三度顔を合わせれば、そういう勘違いもあるかもしれない。次はあの母親か。そんな風に考えているのだろう。
自分が本当に、死神だったとして。
トイレへ向かう文也を、見咎める者はいない。
――母さんを連れて逝くのは、慈悲になってしまうじゃないか。彼女は僕を愛していないのに。
あの人は、弟のことを本当に愛していた。父親がいなくなる前から、資産家の実家からの援助はすべて、理にだけ投資された。最低限の世話と、進学のときの用立てはするが、ゲームや玩具、やりたいと言った習い事や塾まったく行かせてもらえずに、理には彼の言うままに与えていた。
それでも理が、我が儘放題の放蕩息子に育たなかったのは、ひとえに彼の賢さであろう。あの女とあの男の間に産まれた子どもの割りに、昔から己を律することの大切さを知っているような子であった。
理は文也の言うことをよく聞いた。それこそ、一を聞いて十を知るような。年の離れた弟だが、兄の顔色をよく読んで、何も言わずとも、その意を汲んで動くことができる、希有な人間だった。
文也は何度も、彼によってまたらされた幸福を享受してきた身である。
「浅倉さん……」
トイレから手を拭きつつ出てきた文也を、弔問客が待ち構えていた。おや、と思う。彼女とこの斎場で会うのは、二度目だった。さて、誰だったか。それ以前にも、話す機会があったはずだ。そう、夏の日に死んだ、夏の字を持つ彼女とともに。
文也は興味のない人間の顔と名前を覚えるのが苦手だった。誰に対しても愛想よく振る舞うので、役所を訪問する市民には受けがいいが、等しくどうでもいいと思っているからこその対応であった。
思わず、仕事のときと同じ笑みを浮かべていた。女は信じられないものを見るような目で文也を凝視した。
「あなた、夏織も死んで、それからすぐに弟さんも死んだのに、どうして笑えるの?」
どうして?
そんなの決まっているじゃないか。
――心底、彼らの死が嬉しいからだ。
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