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一生懸命生きてしまう私たちへ

この本の読書感想文を、どんな方向で書けばいいのか、めちゃくちゃ悩みに悩んで、悩みすぎて1ヶ月くらい何も書けなかった。書きたいことは山ほどあるはずなのに、どう表現すればいいのか全然見えてこない。もしかして私が今書こうとしているものは、あまりにもパーソナルすぎるんじゃない…?重すぎて読めた代物ではない可能性もある、誰にも読んでもらえなかったら悲しいな、でも誰にでもかける文章なら私が書く意味が全く無いし…

で、意を決して筆を取った。

唐突だけど、27年くらい生きてきて、これまでに二度ほど精神を病んだ。正直驚かなかった。いつかやるんだろうな〜と、少女のときから思っていた。
1回目の鬱から回復した後も、絶対もう一回ぐらいやるんだろうな〜と思っていた。し、実際やった。

だって、私は昔から、一生懸命頑張ることだけが全てだと思っていたのだ。
苦しい状況に身を置いて、苦しい苦しいとギャアギャア騒ぎながら、なんとかやっていくことが、完全に癖になっていた。
絶えず全力疾走しているのでずっと息切れだし、身体も全然疲れから回復しない。それでもやめない。というか、やめられない。一生懸命頑張っている姿を見せることでしか、自分の存在は認められないと思っていた。

新卒で入った会社は有名な会社だった。業界大手で、売上高と自己資本比率が嘘みたいに高く、ずっと前年対比100%越えを叩き出して成長し続ける、スゴい会社だった。
まさか自分がそんな会社に入社出来るなんて夢にも思っていなかったので、「ま、まじで一生懸命やらなきゃ…!」と思った。これまでで1番強い覚悟を持って毎日働いた。頑張る、頑張るぞ。

そして一生懸命頑張って、頑張って頑張って頑張ったら、1年で精神を病んだ。

毎日眠れないし、ずっと死にたい。食べられなかったから10キロぐらい痩せた。ほんと仕事どころではない。えーまじかー、努力や頑張りって、そんな感じでこっちのこと裏切ってくるんだ?斜め上だな〜。

だけど走り続けることが癖になっている私は、精神を病んでからも一生懸命頑張ることをやめられなかった。一生懸命頑張っていれば、そのうち元気になるかもしれない。極限まで疲れれば、また眠れるようになるかもしれない。走り続けて燃料切れになれば、嫌でも休めるかもしれない。でも、まあ、当然無理だった。で、3年でとうとうガタが来て、退職した。

退職した後、絶対しばらくは一生懸命にならないぞ!と固く決意した。絶対しばらくはぐうたら過ごすし、1年ぐらい遊んで暮らそう、眠れなかった分を取り返すんだ!と思っていた。

思っていたんだけど、退職から2週間が経つ頃、私は転職活動を始めていた。

いや!いやいやいや!なんでやねん!「しばらくは一生懸命にならないぞ!」とちゃうんかい!

ぜーんぜん、止まれなかった。
一生懸命にならないこと、努力しないことは悪で、走るのをやめて止まることは、人としてあるまじきことだと思っていた。だって一生懸命にやらないと認めてもらえない、って、そう強く思っていた。

あの頃の自分に、この本を読ませていたら、どんな反応をしたんだろう?
たぶんめちゃくちゃ怒ったか、泣いたか、意味がわからないって顔をしたか、どれかだろうな。全然受け入れることが出来なかったと思う。

この本は結構長い。全部で286ページある。だけど全部読み終わって振り返ると、筆者はずっとひとつのことだけを言い続けているように思う。

「一生懸命にならなくていい。頑張らなくていい。輝かしい成果なんてなくたって、そのままであなたは素晴らしい。だから大丈夫。」

筆者は韓国の方なので、この本のバックグラウンドは韓国にある。私が店頭でこの本を手にした当時、ちょうどあちらでアイドルの自殺があって、連日大騒ぎだった。私はこの本のタイトルと作者を見て、なんだか痛く納得してしまった。今の韓国で、この本がベストセラーになるの、分かるなあ。

一生懸命生きるひとは、いつも誰かと自分を比較して、自分が持っていないものに憧れて、存在しない「だれか」の期待に応えるために、芯から身を窶してしまう。

それはとても虚しい。どんなに一生懸命になったって埋まらない差、届かない正解、見つからない答え。そんな一生懸命は、ただただ自分を浪費して、疲弊させてしまう。走ることはおろか、歩くことすら、立っていることすらできなくなってしまう。そこにあるのは死だ。

何度か自分を浪費するような生き方を選んでしまったけど、別に私は一生懸命に生きることが悪いことだとは思っていない。ただ少し、方向性が違っていたんだなと思っている。

これまでの私の「一生懸命」には、ゴールが無かったように思う。
「『誰か』に認められたいから一生懸命やる」と思って生きてきたけれど、その「誰か」って、結局誰だったんだっけ。「一生懸命頑張らないと『誰か』に咎められる」と思って生きてきたけれど、そんな「誰か」は本当に存在したんだっけ。
そうじゃない、たぶん、そうじゃない。

高校の頃の恩師が私に言った。
人生は長い道であり、そこに空いている穴を埋めていくことが生活。

今までの私は、目に入る穴を片っぱしから全部埋めるために、一生懸命になっていたように思う。道の端から端まで、猛スピードで、全ての穴を、埋めながら走る。

たぶん、この本の筆者が言っている「一生懸命に生きない」ことは、全ての穴を埋めようとしないことじゃないかなと思う。

どの穴を埋めるかを決めるのは自分で、「あぁ、なんか、穴空いてんなあ」と思って素通りしたっていいわけで。
一生懸命考えるべきは、「この穴を埋めると自分はどちらに進めるのかな」ということ。自分の進みたい方向に空いている穴だけを、埋めていけばいいんだろうな。それで、時々は、その穴を「埋めない」って決断をしてもいいんだろうな。だって飛び越えられる程度の穴なら、埋める必要ないじゃんね。

自分がこの穴を埋めなければ、他の人が迷惑するかも、とか思ってしまうけれど、恐らく正解は「知らね〜!お前が邪魔だと思う穴ならお前が埋めろ!」ってスタンスなんじゃなかろうか。それが、「一生懸命に生きない」ってことなんじゃないかな。

たぶんわたしはこれからも、時々虚しい一生懸命をやってしまうんだと思う。
だけどその度に立ち止まりたいなって思う。今埋めている穴って、本当に埋めなきゃいけないんだっけ?これって飛び越えられない穴なんだっけ?

あの時書店でこの本に出会っていなかったら、こんな風に気付くことも出来なかったかも。

有り難い縁を噛み締めつつ、これから死ぬまで何度も何度もページを操ろう。危ない危ない、あやうく一生懸命生きるところだった、出会えてよかったな。

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