見出し画像

カミングアウトして改めて思うこと


先日職場で、「葉月さんの好きな食べ物ってなんですか?」と、超ベタな質問をされた。笑



質問してきた人は今の職場(タイミー含む)に入ってすぐに知り合った人で、だからかれこれ1年半くらいのお付き合いになる。好きな食べ物の話なんて、子どもの頃の自己紹介とかプロフィール帳に書くような初歩的なネタで、大人同士で改まって話すようなことではないと思っていた。



でもいざ話してみると、お互いの育った環境や経験(トラウマなど)も関係する、けっこう深いネタなんだなぁと思った。



人は誰かと長く一緒にいると、相手のことをもっと知りたいと思うようになる。相手の過去や、経験してきたこと、人生をどんな風に生きていきたいのかなど。それが自分と同じだったり似ていたりすれば嬉しいし、まったく異なる生き方や考え方なら、「へーーー!」となる。



そしてそれと同時に、自分のことも相手に知ってほしいと思うようになる。「◯◯について自分はこう思う。それは子ども時代に◯◯の経験があるから」と、自分の過去を開示したくなるのだ。



小説ではなく、エッセイというものを書いていく上で、自分の年代・性別・未婚既婚・子どもの有無・日本在住なのか海外在住なのか。ということをまったく明かさずに書き続けることはできない。記事が増えれば増えるほど、自己開示が必要になってくるだろう。



実は私は、職場の人でも誰でも、知り合った人に「姿勢がいいですね!新体操かバレエやってました?」と訊かれると、「子どもの頃にバレエをちょっと…」と答えるだけに留めている。「どのくらいやってたんですか?」とさらにつっこんで訊かれれば「そんな長くはやってないですよ」と濁したりする。



答えを濁す理由はいろいろある。





たとえば、まったく悪気なく「すごい!お嬢様なんだね!」と言われること。

たしかにバレエは大金のかかる習い事だ。私も、誰かが音大出身と聞けば「裕福な家庭の子なんだな」と一瞬思う。しかしそれは言わないようにしている。

私は、子ども時代の経験からも、教師時代の経験からも、そうじゃないご家庭も多いということを知っている。親が血を吐く思いで費用を捻出してくれて、子どもは自分のために苦労する親の姿を見て育つ。だから簡単に「家がお金持ちだから続けられたんだね」と片付けられることにちょっとモヤモヤするのだ。

(あくまでも私個人の感情の話であって、言ってきた人に対してどうこう思うことはない。) 






たとえば、「バレリーナだったんですか?」と訊かれること。

いずれ書くことになるが、私は一時期プロとして踊っていた。肩書きとしては元バレリーナと言えなくもない。しかし、自分を元バレリーナだと人に言うのは非常に抵抗がある。

なぜなら、舞台で踊ることだけで生活できていた期間はほんの少しだけで、そのほかは教えをしたりバイトを掛け持ちしたりして、「舞台に立つ」以外の収入で生計を立ててきたからだ。「それって趣味と何が違うの?」と訊かれたら答えられない。その質問は絶対にされたくない。だから元バレリーナだとはこれから先も言わない。

(これも、あくまでも自分自身について思うだけで、ほかの人が言うことについてはどうも思わない。)





そんな複雑な気持ちがあるため、過去を濁してしまう。しかし、そのことによって私はちょっとしんどい思いをしている。私にとってバレエは人生そのものであり、そこを開示できないということは、私の語るエピソードのすべてに少しずつ嘘が混ざることになるわけで、だから昔の話とかはあまりしたくないなーと思う。



noteも同じだ。私はこれまでにたくさんの過去の話を書いてきたが、そこには少しずつ嘘が含まれている。バレエというワードを出さずにすむようにするための嘘が。
(けどなんとなくバレていたらしくて笑う。)



どうせ顔も本名も知らないネット上の関係なので、エッセイだからって全部馬鹿正直に書く必要なんてないのかもしれない。書き手に隠し事があったところで、読み手にとっては関係ない。



でも、私なら「どんな人なのかもっと知りたいな」と思う。



息子さんを「おれの好きな料理はおばあちゃんの料理!」と言う男に育てようとしているとか、モノ作りの才能はあるけど読書の苦手な娘さんに楽しく読み聞かせをしているとか、「教育とはなにか?」ということを考え続けた果てにエチオピアまでいってしまったとか、金髪ヤンキーファッションの意外すぎる過去を持つとか、ミッフィーに眉毛を描きドラえもんの顔を縦長にしちゃう天然っぷりとか、愛犬のおっさんのようなお腹とゲップにも愛しさが止まらないこととか、刑務所暮らしや夜の世界を生きてきた過去を持つとか、ベジタリアンの奥さんに振り回されているようで実はしっかり手綱を握っているとか、酔っ払って正体をなくした挙句にフォロワーみんなに解読不可能なメッセージを送っているとか、初デートはドラえもんの映画で若い頃はカッパになったこともあるとか、子ども時代にお土産に昆布を渡されて泣いたトラウマがあるとか、モデル級の美女をドラマのような展開で射止めたとか、好きな食べ物が私とおんなじくるみゆべしで得意のプレゼント選びがお姉さんにだけ通用しないとか、noteを読むのも書くのも職場で勤務時間中にやっているとか、たけのこの里のおいしさを認めつつもきのこの山のほうがチョコ部分多いし!と思っていることとか、リモートワーク中ずっと愛犬に右足を枕にされているとか、強制される読書感想文じゃなくて子ども同士で「本のプレゼン」をさせるという名案を持っていることとか、策士なお母さんにまんまと新しい靴を買わされたとか、庭の木蓮の花を無事に咲かせるために野鳥たちと知恵比べをしているとか、毎晩膝枕で旦那さんの耳掃除をしているとか、湖のほとりで働きながら最近になってiPhoneの猫😺が可愛くないことを知ったとか…笑





エッセイを読むということは、その人のことを知りたいということだ。私もあなたのことを知りたいし、あなたはきっと私のことを知りたいと思ってくださっているのだろう。



もし、私がここでいきなり、「今日でnoteをやめます。今までありがとうございました」と書いたらどうなるだろうか。笑



たぶん、「ええええええ!ちょっと待って!バレエ史の続きが気になるんですけどおおおおお!」となってくださる方が多いことだろう。


これは大変ありがたいことである。




書き始めたからには最後まで書かなければ、と思っている。それがたとえ、しがない主婦のただの思い出話であっても。



だから私は途中でやめない。この先もお付き合いくださると嬉しい。そして、これからもみなさんのことをもっとたくさん教えてもらえたら、もっと嬉しい。恥ずかしい過去でも情けない思い出でも黒い感情でも、なんでも。そしてもちろん、エッセイだけでなく小説も、とても楽しみにしています。



ここではみんなが書き手の味方なんだと思っています。



いいなと思ったら応援しよう!