潰瘍性大腸炎と15年。治らない病気と折り合いをつけて生きる話
死ぬような病気じゃない。
でも、治らない。
この「宙ぶらりんな感覚」を抱えながら生きている人は、意外と多いんじゃないかと思う。
僕には病気が2つある。 難病指定を受けている潰瘍性大腸炎と、真珠性中耳炎。
どちらも命に直結するわけじゃないけど、完治はしない。
薬を飲み続け、定期検査を受け続け、調子が悪い日は仕事のペースを落としながら、それでも出張して、仕事して、副業して生きている。
この記事では、そんな僕の15年間のリアルを書いてみようと思う。
同じような病気を抱えている人が、「こんな生き方もあるんだな」と少し楽になってくれたら、それで十分だ。
潰瘍性大腸炎とは?難病指定される病気なのに「自覚がない」ことがある
潰瘍性大腸炎は、大腸の粘膜に炎症が起きて潰瘍ができる、原因不明の慢性疾患だ。
国の難病指定を受けており、完治が難しいとされている。
ここで多くの人が驚くのが、「自覚症状が出にくい時期がある」という点だ。
血便が出ていても、本人が気づかないケースがある。
まさに、僕がそうだった。
会社を倒産させ、借金を背負い、40代から正社員として再スタートを切った頃のことだ。
はじめての健康診断で「血便の反応あり」と出た。
正直、まったく心当たりがなかった。
便の色も、感触も、特に変わった感じはなかった。
医者にも行ったが、「まあ様子を見ましょう」という感じで終わった。
そして僕も、そのまま放置した。
翌年も、血便で引っかかった。 また放置した。
そういう年が、何年か続いた。
自覚がないというのは、本当に厄介だ。
痛くなければ、人は動かない。
これは病気に限らず、人間の性質なんだと思う。
血便を何年も放置していた僕が、緊急内視鏡になるまで
放置できなくなったのは、「便意」が変わってきた時だった。
もともと便通はいいほうだったので、お腹が動く感覚には敏感だったと思う。
でも、あの頃の便意はちょっと違った。
急に、強い便意が来る。 トイレに駆け込む。 でも何も出ない。
出るのは血だけ、という感じだった。
これはさすがにまずいと思って、ネットで近くの消化器内科を調べ、その日のうちに予約を入れた。
内視鏡検査を緊急でやってもらったところ、腸が相当な状態になっていた。
爛れている、というより、ところどころ真っ赤で、炎症が広範囲に及んでいた。
医者に「なぜもっと早く来なかったんですか」と言われた。
何も言い返せなかった。
その後、薬をもらい、少しずつ落ち着いてきた。
そして難病指定の申請をすすめられ、保健所に行き、手続きをした。
難病指定されると、医療費の自己負担が軽減される仕組みがある。
詳細は、難病情報センター(https://www.nanbyou.or.jp)で確認できる。
あの内視鏡の映像は、今でも頭に残っている。
「もっと早く来ていれば」という後悔は、長い間消えなかった。
難病を抱えながら出張する、という現実
診断から15年が経った今、病状は非常に落ち着いている。
毎年何度か調子が悪くなる波があるのに、今年はその気配がまったくない。
でも、調子が悪かった時期の出張は、本当に大変だった。
車での移動ならまだいい。 高速道路のサービスエリアでトイレを探せばいい。
問題は、新幹線や電車だ。
スーツケースを持って移動しながら、トイレを探す。
乗換駅でどこにトイレがあるかを事前にチェックする。
座席はできるだけ通路側、トイレに近い車両に乗る。
これが当たり前になっていた。
海外出張はさらに厳しかった。
トイレの場所がわからない。
言葉が通じない。
お腹の状態を相手に説明するのも、なかなかできない。
「トイレが友達」とはよく言うが、あの頃の僕にはまさにそのとおりだった。
安倍元首相も潰瘍性大腸炎だったことを、知っている人も多いと思う。
あの件があって、この病気の認知度は確実に上がったと感じている。
調子が悪い時の大変さは、立場に関係なく、みんな同じだ。
漢方に頼って腸重積になった話
4年ほど前、ちょっとした気の迷いがあった。
ネットで「潰瘍性大腸炎には漢方が効く」という情報を見つけた。
薬に頼り続けることへの漠然とした不安もあって、医者に内緒で漢方を試してみることにした。
飲み始めてしばらくは、本当に調子がよかった。
「これだ」と思った。 続けていれば治るかもしれない、とさえ思った。
でも、ある夜。
腹部に、我慢できないほどの痛みが来た。
冷や汗が出た。
床に転がって、ひたすら痛みをやり過ごした。
朝になってかかりつけ医に行ったところ、顔を見るなり「すぐに総合医療センターへ」と言われた。
診断は、腸重積。
腸が腸の中に入り込んでしまう状態で、緊急の処置が必要だった。
内視鏡で空気を入れて、どうにか元に戻った。
でも「様子を見るために入院してください」と言われ、そのまま一週間の入院になった。
突然の入院だったので、スマホのデータ通信量がすぐに尽きた。
病院のWi-Fiもあてにならない。
あの時学んだことをひとつ言うとすれば、スマホはギガ放題のプランにしておくべきだということだ。
計画的な入院なら事前にポケットWi-Fiを準備できるが、緊急入院はそんな余裕がない。
あと、医者に内緒で薬を変えるのは本当にやめたほうがいい。
これは身を持って学んだ。
真珠性中耳炎、2度の手術と潰瘍性大腸炎の意外な関係
潰瘍性大腸炎だけでも十分なのに、もうひとつ厄介な病気がある。
真珠性中耳炎だ。
バイクでツーリングをしていた時、突然耳から液体が垂れてきた。
しかも、かなり強いにおいがした。
翌日、耳鼻科に行くと「とりあえず外耳炎の薬を出します。でも大学病院に紹介状を書きます」と言われた。
大学病院で診てもらったところ、真珠性中耳炎と診断された。
真珠性中耳炎は、耳の中に「真珠腫」と呼ばれる異常な皮膚組織が形成され、放置すると周囲の骨を溶かしたり、脳に影響を与えたりする可能性がある病気だ。
痛みや自覚症状がほとんどないのに、手術が必要と言われた。
入院期間は1ヶ月。 全身麻酔での手術。
仕事を1ヶ月休むのは、正直かなり厳しかった。
でも「放置すると脳に影響が出るかもしれない」と言われれば、やるしかない。
GWを利用して、入院・手術に踏み切った。
手術自体は成功した。
傷の痛みはそれほどでもなかったが、頭に巻いた包帯がきつくて頭痛がひどかった。
あとは、とにかく暇だった。
そして想定外の問題が起きた。
抗生物質の点滴で、潰瘍性大腸炎が悪化したのだ。
腸の状態がみるみる悪くなり、トイレが遠い大部屋でなく個室を取れていたことが、本当に救いだった。
3年後、また穴が開き始めた。
2度目の手術が必要になった。
「結局、治らないんだ」と思った。
でも、早めに手術すれば入院期間を短くできると言われ、お盆休みに合わせて手術した。
今回も2週間で退院できた。
不思議だったのは、手術中に抗生物質の点滴で潰瘍性大腸炎が悪化した一方、点滴が終わると腸の調子が今まで以上によくなったことだ。
あれほど悩まされていた便意の問題が、嘘のように落ち着いた。
今は半年に1回の定期検査を続けている。
鼻をすする習慣が真珠性中耳炎の一因かもしれないと言われ、アレルギーの薬を毎日飲むようになってから、2回目の手術から3年近く経つが再発の兆候はない。
毎回の検査のたびに「次は手術かな」と頭をよぎるが、今のところ大丈夫だ。
難病と向き合う中で、僕が今やっているのは「情報の整理と習慣化」だ。
薬の飲み忘れをなくすこと、体調の変化をメモすること、検査結果を自分で記録しておくこと。
小さいことの積み重ねが、長期的な安定につながっていると感じている。
副業やAIツールの活用でも同じことを実践しているので、興味があれば他の記事も読んでみてほしい。
「28歳まで生きられない」と言われた僕が55歳で思うこと
都内で生まれ、幼い頃から喘息がひどかった。
田舎に引っ越し、山の空気の中で育った。
親から聞かされたのは、「医者に28歳まで生きられないかもしれないと言われた」という話だ。
子どもの頃の僕には、その言葉の重みはわからなかった。
でも今、55歳の誕生日を超えた僕が思うのは、「丸儲けだな」ということだ。
潰瘍性大腸炎がある。
真珠性中耳炎で2度手術した。
毎日薬を飲んでいる。
半年に1回、検査に行く。
出張中はトイレの場所を確認することが習慣になっている。
それが、僕の普通だ。
周りから見れば「不健康」に映るかもしれない。
でも僕は、自分のことを健康だと思っている。
不幸だとも、思っていない。
借金7000万円を背負って再スタートした経験も、倒産した経験も、難病と向き合い続けている日々も、全部ひっくるめて「これが僕の生き方だ」と思えている。
スーパーポジティブな性格と言われることがある。
でも、ポジティブでいることを選んでいるというより、そうしないと生きていけない場面を何度も乗り越えてきたら、自然とそうなっていた、という感じだ。
完治しない病気と向き合うのは、正直しんどい時もある。
でも、それがすべてじゃない。
調子のいい日は全力で楽しむ。
悪い日は、無理をしない。
それだけで、案外うまくやっていけるものだと思っている。
あなたが今、似たような状況にいるなら、少しでも「こういう生き方もあるんだな」と感じてもらえたなら、この記事を書いた意味がある。
