【第2話】ポストと対話した30年。一等賞を諦めた夜に、私は私を全取っ替えした。
◆30年間の孤独と、赤いリボンの呪縛
30年間、私の話し相手は「マンションの集合ポスト」だった。
夏は肌を焼くような熱気、冬は指先の感覚を奪う極寒。冷暖房の効かない外の世界で、私はただひたすらチラシを配り続けた。人相手の仕事ではない。誰かと笑い合うこともない。暗闇の中で、次々と現れるポストの口に紙を滑り込ませる。その「カタン」という乾いた音だけが、深夜の静寂に響く私の存在証明だった。
「ポストと話してもしょうがないじゃないか」と人は笑うだろう。だが、あの孤独の中に30年も身を置けば、自分自身と向き合うしか道はなかったのだ。
AudibleやYouTubeをイヤホンでリピート再生し、知識を無理やり脳にデリバリーする。あくる日も、あくる日も。人生に「違い」を作りたくて、私は暗闇の中で独り、学びという名の摩擦熱を上げ続けていた。
忘れられない光景がある。ある年のお正月、街全体が帰省で静まり返った元旦の夜だ。
いつもより静かな町中を、私は一人、チラシを配り歩いていた。その時、風に吹かれた空き缶がアスファルトを転がった。
「カラン、カラン、カラン……」
あの音は、ひどく寂しかった。世界に取り残されたような、胸を締め付ける音。
「俺はこのままでいいのか? ずっと一人で、こうして終わるのか?」
収入は頭打ち。人を使う知恵も金もない。ただ、空き缶の音だけが、私の心の空虚さを笑うように響いていた。
なぜ、私はそこまでして必死に「一等賞」を目指したのか。
記憶を量子的な視点で遡ると、幼稚園の運動会に辿り着く。一等賞を取った者だけが許される、左胸の「赤いリボン」。クリップで留められたその小さな布切れは、幼い私にとって最高級の勲章だった。
赤いリボンをつけて帰る道は、世界が輝いて見えた。親が喜んでくれる。自分が認められる。「自分には価値がある」と、その時だけは確信できたのだ。
だが、二等賞の黄色や三等賞の青いリボンの日は、足取りが鉛のように重かった。
「一等賞でなければ、愛されない。価値がない」
その幼い頃の思い込みが、大人になった私を「ビジネスという戦場の一等賞」へと駆り立てる歪んだエンジンになっていた。
私は、がむしゃらに働いた。
キャバクラで出会った女の子に勧められた「短眠術」の本に感化され、エジソンに憧れて睡眠時間を2時間に削った。残りの22時間はすべて仕事。今、当時の私を見たら、肩を叩いて言ってやりたい。「お前、それは努力じゃない、ノイローゼだぞ」と。
だが、当時の私は止まれなかった。自らの時間と体力を限界まで切り売りした結果、年収は900万に達した。30代そこそこで一軒家を買い、いい車に乗り、いい女と付き合い、キャバクラで豪快にカードを切った。
「赤いリボン」をたくさん手に入れたつもりでいた。
だが、それは投資信託のように賢く積み上げた富ではなく、一歩止まれば崩れ落ちる「自転車操業」の砂の城だった。お金の管理はどんぶり勘定。見栄という名の摩擦熱で、私は自分自身を焼き尽くそうとしていた。
あの元旦に聞いた空き缶の音は、宇宙からの警告だったのかもしれない。
「その走り方は、もう限界だぞ」と。
積み上げた年収も、一軒家も、すべては崩れ去るための序章に過ぎなかった。
次回、私は人生という名の「全取っ替え」を、容赦のない、凄惨なまでの破壊という形で経験することになる。
【追伸:今、この瞬間の私より】
本来、今朝の9時に投稿する予定でしたが、少し時間が遅れました。
実はこの数時間、命について、希死念慮について、15分間命懸けで語る動画を撮っていました。
30年前の孤独なポストとの対話が、巡り巡って今、誰かのアース(受け皿)になろうとしています。
魂を削って放電した直後の、この「熱」が冷めないうちに。
読んでくださって、ありがとうございます。

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【免責事項】
※ 本記事は、筆者自身の体験に基づいた回顧録であり、私小説として構成されています。登場人物のプライバシーを保護するため、個人を特定し得る固有の名称や細かな設定については、事実を尊重しつつも、物語としての再構成(フィクション化)を行っており、実在の人物の私生活をそのまま描写したものではありません。あらかじめご了承ください。
