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201系の引退に寄せて思い出を語ろう

2025年3月14日、大和路線で最後まで残った201系が営業運転を終えたそうです。201系は中央線快速で馴染みがあり、私が鉄道を好きになるキッカケになった形式。この機会に201系の思い出を振り返ってみることにします。


201系とのかかわり

私は中央線沿線で生まれ、信越本線沿線で育ちました。そんな訳で生活の拠点はグンマにあったのですが、祖父母の家は中央線の線路近くにあり、子供時代は時々泊まりに行っていました。

泊まりの日は決まって線路沿いに出てオレンジバーミリオンの車体を見に行きました。モーター音も高らかに走ってくる201系。それに向かって手を振ると、運転士さんが警笛で応えてくれる…そんな優しさに触れながら、鉄道への思いを深めたように思います。

物心ついて間もない頃は列車種別という概念を知る由もなく、走ってくる電車の顔に掲げられたマークを見て「快速」と「中央特快」の違いについて父親に尋ねたのも思い出されます。

通勤電車には珍しいヘッドマーク

201系に乗って出かけたのは…

そんな父親には中央線によく乗せてもらいました。201系に乗って向かうのは吉祥寺のユザワヤ。ユザワヤといえば手芸用品店のイメージが強いですが、20年ほど前は鉄道模型もそれなりの規模で取り扱っていました。今はコンパクトな店舗になっていますが、あの頃はビルが1棟まるごとユザワヤになっていたんですよね。ウキウキでオレンジ色の電車を降りて、改札階からビルに入り、エスカレーターで鉄道模型のある階まで上がりました。

フロアには大きなNゲージレイアウトが備え付けられていて、毎回食い入るように眺めていました。ユザワヤのビルも再現されていたと思います。

当時私は小学生でしたが、鉄道模型コーナーを担当していた店員のおじさんは子供相手にも親身に接してくれました。BトレのN化に使う台車を相談した時は「その車両に使うならこれが似てるかなぁ」とアドバイスをくれ、貨車が欲しくて「このセットが良い」と私が言った時には「ぼくセンスあるねぇ!」などと声を掛けてくれたのでした。

ちなみにその時チョイスしたのは河合商会のタキ5450の4両セット。もしかして子供だから褒めたんじゃなくて、渋い選択に共感し称えてくれただけなのか!?

今や201系もユザワヤのビルも姿を消して久しく、駅も洒落たものに変わりました。あのおじさん元気にしてるかな。

三鷹で退避する様子

大阪エリアの201系

中央線から201系が引退した後も、機会を見つけては大阪を訪れ、201系に乗りに行きました。

大阪駅にて
奈良103系との共演

車体更新で見た目こそ変わりましたが、チョッパ装置とモーターの音は中央線のそれと一緒で、特に大和路線の快速運用に乗れば中央特快を思わせる走りっぷりを堪能できました。ウグイス色の車体は後天的に誕生したものですがよく似合っていました。

おおさか東線 南吹田駅にて

昨年には既に大和路線から201系が引退するとのニュースが入っており、最後の春になるかも!と河内堅上駅に出向いて季節らしいコントラストを楽しんだのも思い出です。今思えば行ってて良かった。
私が201系をこの目で見たのはその日が最後でした。

河内堅上駅の桜と

寂しいですがこれも時の流れ。せっかく模型鉄をやっているのですから、今後はNゲージでその雄姿を楽しむことにしましょう。幸い、中央線も大和路線ももう手元にあるので…

というわけで今回はここまで。ご覧いただきありがとうございました。

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