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【短編】バスソルトとバニラビーンズ

レシートには確かに、バスソルトとバニラビーンズの文字がある。
「私はレジを通しました。もういいですか」
印字された購入時刻にも矛盾はない。私の見た限り、彼女はその二箇所以外で商品に触れていない。
自責の念が、込み上げる。
それと同時に、落とし穴に落ちたような驚きと、そこから地上を見上げるような悲しみを覚えた。
彼女が売り場に現れた時から、特有の挙動は出ていたはずだった。グレーのスウェットワンピース、黒のキャップに、マザーズバッグ。視線、足の向き、表情、全てがどこか浮ついていて、関心が商品でなく他の客に向けられていた。
出先でたまたまレモン汁を買いに来た江津子の視線は釘付けになった。この人、トりそうだな。
江津子は二十年以上の歴を持つGメンである。
まさか自宅近くでも"職場"でもないスーパーで出くわすとは思ってもいなかった。商品の配置が分からないが、別の通路を迂回して彼女の後方に回る。
遠目に彼女はバッグの中を探っている様子だ。振り返るそぶりを見せたため、江津子は手近のポテトサラダに視線を投げた。一回持って、ちょっと高いなと戻す。再び前を見ると彼女は歩き出していた。
五分ほど歩き、初めて彼女は棚に手を伸ばした。バッグを漁った後、何かをカゴに入れる。ブツが小さく何か分からない。彼女が視界から消えた時、江津子はその棚を検めた。そこは香辛料の棚だった。
さらに五分後、彼女は生活雑貨の棚に手を伸ばす。今回も手中の物品が小さい。入浴剤の棚だが、一回分の使い切りタイプのバスソルトのようで、手への収まりがよく、確認ができない。さらに五分ゆったりと歩き、会計へ向かった。江津子も彼女のすぐ後ろに並ぶ。
確証が、ない。
香辛料はバッグに入れている可能性があるが、入浴剤についてはバッグに触れたか不明だ。スウェットワンピースのポケットだろうか。どちらにしろ万引きの瞬間を目視できなかった。
目視がない場合、基本声掛けはしない。
彼女がバッグから財布を取り出す。レジで読み込んだのは二点。バスソルトとバニラビーンズ。
彼女のポケットの凹凸はどうか。分からない。
不意に視線を感じ、顔を上げる。彼女と目が合う。
そのまま二秒経過。彼女が目を逸らす。ぎこちない。
やはり彼女は、ヤッている。
会計を済ませ、彼女が足早にレジを抜ける。
「すみません、ちょっとこれ持ってて」
江津子はカゴをレジ係に預け、彼女を追う。
彼女が入り口のゲートを通過する。タグ付きの商品が通過すると音が鳴る防犯設備だ。
警告音は、鳴らない。小ぶりの品には一般にタグはつかない。
スーパーを出る。日差し。視界が白飛びする。
「すみません」
彼女が振り返る。まるで呼び止められることが分かっていたような速さで。
「ちょっと来ていただいてもよろしいですか」

事務室の椅子には先程の彼女、机にはレシートとそこに記載された二点の商品。どちらも会計済みだ。
「カバンの中を見せていただいてもよろしいですか」
「なぜですか?会計は済ませてますよ?あなたは本当にGメンなんですか?」
痛いところを突かれた。
出先のため警備員証を携帯していない。明確な目視もないため無理に荷物を調べることもできない。
「もう帰ってもいいですか」
ダンという音がして、背が高く、メガネをかけた男が事務室に現れた。店長だろう。
そしてなぜか強気だった彼女が強張った。
「店長の磯崎です」
「警備員の山川です。仕草が不審でしたのでお声がけしまして」
それから他所の警備員であることを含め、諸々の経緯を説明した。先程まで攻勢に転じていた彼女はなぜか静かにそれを聞いていた。
「ほぉ、カバンの中身を見せない?」
そう言うと店長は彼女に向き直り、言った。
「カバンの中を見せてください。もう一組のバスソルトとバニラビーンズが入っていますね?」

「バスソルトもバニラビーンズもある程度保存ができ、手の中に収まるサイズです」
身なりも自称も店長であるはずの彼が滔々と語り始める。
「あなたは棚からそれらを取り出す際、二つ手に取って、そのうちの一つをカゴへ、もう一つをカバンに入れます。そしてカゴの方のみをレジに通し、今に至るわけです。家で二つずつになっても保存ができるので困りません」
「何のためにそんなことを?」
「ちょっとしたアリバイ工作です。Gメンでも盗んだと思った物のレシートが出てきたら、面食らうという算段でしょう」

「分かりました」
椅子から不意に声がした。見ると不敵な笑みを浮かべる彼女。
「いいですよ、調べてください」
そう言ってバッグを放り投げる。
本当にいいのかと疑いたくなる。ここからブツが出れば、彼女は窃盗犯になるのだ。
なぜそんなに、自信を取り戻せたのか。
バッグのファスナーを開く。
中には、財布とカギと…。
「これは?」
それはカッターナイフだった。
「何かと便利なんですよ。悪いですか」
「ああ、やはり出ましたか」
店長がつぶやく。
「これ、ここの商品ですか」
「いえ、彼女の私物でしょう」
それで中身は全てだった。バスソルトとバニラビーンズはカバンから出てこない。
「ところで山川さん、バスソルトとバニラビーンズのあった棚を、細かく調べてもらえますか」
「え」
「お客さん、あなたタグを切って捨てましたね?それを持ってゲートを潜れるのはおかしい」
「私は何もトッてません!」
「そのバッグ、うちの商品だね?」

バニラビーンズの棚の隙間から、切り離された値札とタグが発見され、中川真希は窃盗の現行犯逮捕をされた。
ポケットにカッター、財布、カギを忍ばせ来店した彼女は、入り口付近のバッグを肩にかけ、タグと値札を切り落とした。買い物をしなければ不審がられるという理由から、保存のきくバスソルトとバニラビーンズを購入し、その途中でタグを捨て、ゲートをすり抜けたのだ。

引継ぎ、被害品の確認などを済ませ、江津子はすでに日の傾いた駐車場に出た。夏が近づき、日は長くなってきていた。
ため息をつきながら、カバンからレモン汁を取り出す。
手に収まりが良く、タグもない。
レシートもない。
今警備員に声をかけられたら、何と言えばいいのかと、苦笑する。

それは店長からのお土産だった。
今晩は美味しいサラダが作れそうだ。
江津子はレモン汁をカバンに入れず、手に持ったまま歩き出した。


こちらは以下の企画へ参加した作品です。
文頭を「レシートに」で始めています。

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