健康になるために、何かをしなければならないのだろうか
健康になるために、
何かをしなければならないのだろうか
現代は、健康情報に溢れています。
「何を食べればいい」 「どんな運動をすればいい」 「睡眠は何時間必要」 「ストレスを減らしましょう」
少し調べるだけで、
次から次へと健康のための方法が出てきます。
どれも間違っているわけではありません。
だからこそ、迷ってしまうのではないでしょうか。
「あれもやらなければ」 「これも気をつけなければ」
健康になるために始めたはずなのに、
いつの間にか、
健康のための「やること」が増えている。
そして、それが出来ない自分を責めてしまう。
私は、ここに少し不思議なものを感じています。
健康になるために努力することが、
かえって心を疲れさせてはいないだろうか。
そんなことを、私は時々考えます。
───
健康は「足すこと」なのだろうか
健康という言葉を聞くと、
私達は何かを「足す」ことを考えがちです。
不足している栄養を足す。
運動を足す。
睡眠を足す。
健康食品を足す。
知識を足す。
もちろん、それらが必要な場面もあるでしょう。
でも、本当に大切なのは
「何を足すか」だけなのでしょうか。
私は、むしろ逆なのではないかと思っています。
人間の身体には、もともと自分自身を維持しようとする仕組みがあります。
呼吸をし、体温を保ち、傷つけば修復し、
不要なものがあれば外へ出そうとする。
私達は、そうした生命の働きのすべてを、
自分の意思で指示しているわけではありません。
それでも身体は、黙々と生命を維持しています。
だとすれば、健康とは、
「何かをたくさん与えてあげること」
だけではなく、
「もともと備わっている力が働きやすい環境を整えること」
なのではないでしょうか。
私はそう考えています。
───
健康情報が増えたのに、なぜ迷うのか
ここには、現代社会そのものの構造も
関係しているように思います。
健康について知りたいと思えば、
昔なら本を一冊読むだけでも大変でした。
今は違います。
スマートフォンを開けば、
健康情報が次々と流れてきます。
「これが身体にいい」「これは避けた方がいい」
「毎日これをやるべき」「これを食べれば若返る」
情報そのものが悪いわけではありません。
問題は、情報が増えるほど、
「自分の身体を、自分で感じる時間」
が減ってしまうこと
なのかもしれません。
誰かの健康法を知る。
誰かの成功体験を見る。
誰かの数値を見る。
そして、
自分も同じようにしなければならないと思う。
でも、人間の身体は一人ひとり違います。
昨日の自分と今日の自分でさえ、同じではありません。
それなのに私達は、まるで身体が
「チェックリスト」
で管理できるもののように扱ってしまう。
ここに、現代の健康情報が抱えている一つの矛盾があるように思います。
───
「健康のために頑張る」を、一度やめてみる
例えば、疲れているとき。
「もっと運動しなければ」
「身体を動かさなければ健康になれない」
そう考えることもあるでしょう。
でも、本当に今の身体が求めているものは、
運動なのでしょうか。
もしかしたら、
休むことかもしれません。
少し静かな場所にいることかもしれません。
深く呼吸することかもしれません。
誰とも話さず、
自分だけの時間を過ごすことかもしれません。
あるいは、
何もしないことかもしれません。
ここで大切なのは、
「何をすれば健康になれるのか」
という問いではなく、
「今、私の身体は何を伝えようとしているのだろう」
と問い直してみることです。
すると、
健康との向き合い方が少し変わってきます。
健康を
「管理する対象」
として見るのではなく、
身体と対話すること
として捉えられるようになるからです。
───
心と身体は、別々のものではない
東洋的な身体観には、
心と身体を切り離さずに捉える考え方があります。
陰陽や五行という考え方も、
その一つの見方なのかもしれません。
もちろん、
これを現代医学と同じ物差しで測る必要はないと
思っています。
科学には科学の言葉があり、
哲学には哲学の言葉がある。
大切なのは、
どちらが正しいかを決めることではなく、
それぞれの視点から生命というものを眺めてみることなのではないでしょうか。
科学は、身体の中で何が起きているのかを
細かく見せてくれます。
一方で、私達がそこから何を感じ、
どう生きるのかという問いは、
科学だけでは答えきれない部分もあります。
だから私は、
科学と哲学は対立するものではないと思っています。
生命を理解するための
「言葉」が違うだけなのかもしれません。
───
身体を変える前に、環境を見直す
健康について考えるとき、
「自分が何をすればいいのか」
ばかりに目を向けてしまうことがあります。
でも、少し視点を広げてみるとどうでしょう。
食べるもの。
働き方。
睡眠環境。
人間関係。
日々浴びている情報。
絶え間なく届く通知。
「もっと頑張らなければ」と思わせる社会の空気。
私達の身体は、
こうした環境の中で生きています。
だから、不調をすべて
「自分の努力不足」
と考える必要はないのだと思います。
身体が弱いから。
意志が弱いから。
生活管理ができていないから。
そうやって自分を責める前に、
「そもそも、私の身体が今置かれている環境はどうなのだろう?」
と、一度立ち止まって考えてみる。
そこに、別の答えが見えてくることがあります。
───
健康とは、自分を管理することではない
私達は、健康になるために多くのことを学びます。
食事。運動。睡眠。栄養。検査。
サプリメント。健康食品。
どれも、人生を支えてくれる大切なものです。
でも、それらを
「やらなければならないこと」
に変えてしまった瞬間、
健康は少し窮屈なものになってしまいます。
健康とは、自分を厳しく管理することではない。
私は、そんなふうに考えています。
むしろ、
自分の身体が発している小さな声に気づくこと。
そして、その声を無視せずに、
「今日は少し休もう」
「これは今の私には必要ないかもしれない」
「もう少し自分の感覚を信じてみよう」
そんな選択ができること。
それも、健康の一つの形なのではないでしょうか。
───
健康の答えは、外側にあるとは限らない
健康情報が溢れている現代だからこそ、
私達は一度、情報から少し離れてみる
必要があるのかもしれません。
誰かの正解を見るのではなく、
自分の身体を見る。
誰かの数値と比べるのではなく、
昨日の自分の感覚を思い出してみる。
「何を取り入れればいいのか」
と考える前に、
「何が私の身体の働きを邪魔しているのだろう」
と考えてみる。
健康は、何かを足して造り出したものではなく、
本来備わっている生命の力が働ける環境を整えること
私は、そんなところに
健康の本質があるのではないかと思っています。
そして、その環境を整える最初の一歩は、
新しい健康法を始めることではなく、
自分の身体の声を、もう一度聴いてみること。
なのかもしれません。
あなたにとって、
「健康」とは何でしょうか。
何をすれば健康になれるのかではなく、
何を手放せば、本来の自分に戻れるのか。
そんな問いから、健康を考え直してみる。
もしかすると、その静かな問いの中にこそ、
私達が探していた「健やかさ」が、
そっと待っているのかもしれません。
【公式ガイド】
ここまで読んでくれたあなたへ。
「なんとなく、気になっている」
そんなあなたへ、それで十分です。
「 知識を増やしに来なくていい。」
「 答えを持ってこなくていい。」
その「なんとなく」を、
一緒に言葉にする場所があります。
個別セッションでは、
あなたの今の状態から始めます。
何が気になっているのか。
何がモヤモヤしているのか。
それだけを、丁寧に聞かせてください。
準備が整った時に、来てください。
でも、「まだ早いかな」と思っている人ほど、
ちょうどいい時期だったりします。
