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カリスマ先生の「ポコペンじゃ」

 高校時代に通っていた学習塾の思い出です。
 そこの経営者であり、塾長であり、カリスマ数学教師でもあった先生がいました。年齢は六十過ぎくらいだったでしょうか。若い頃に柔道で鳴らしたとかで、少し猫背でいかつい肩の風貌をしていました。
 旧制三高から京大の土木へ進んだという華々しい経歴の持ち主で、1時間半の授業は、まず自分の昔話から始まりました。
 かなり向こう気の強い方で、大学を出て当時の内務省に入ったものの、上司とぶつかって辞めてしまう。それで京都へ戻って市役所に入ったものの、また同じことの繰り返しで辞職。ただ、先生が口癖のように誇らしげに語っていたのは、京都での仕事のことでした。

 現在、京都市には広い通りが数少ない中、「御池(おいけ)通り」という東西の通りがメインの広い通りとして残っています。戦時中に付近の住民を強制疎開させて作った道なのですが、
「それをやったのはわしじゃ」
ということでした。さらには、
「京都の改造をしたのは、坂上田村麻呂とわしだけじゃ」
とまで言い切るのです。どこまで信用したら良いのか分かりませんでしたが、田舎の高校生たちは「大したものだ」とすっかり感心していました。
その後、京都から徳島へ帰って無職でぶらぶらしていたところを、誘われて高校教員になったそうなのですが、これもまた辞めてしまい、最後に行き着いたのがその学習塾だったそうです。

 そんな思い出話で生徒たちの心をいい具合に惹きつけたあと、ようやく授業が始まりますが、これがめっぽう面白いのです。

 三角関数であれ、微分積分であれ、カンどころをズバリと押さえて、「こういう風にすりゃええんじゃ」と説いてくれるのです。
時々は、生徒たちに答えさせます。
「ほい、お前言うてみい」
そこで答えられたら膝を打ち、答えられなかったら、
「あかん、ポコペンじゃ」
と言うのが常でした。
「ポコペン」なんて言葉が本当にであるのだろうかと不審に思い、後で広辞苑で調べたら、ちゃんと載っていたのには驚きました。
旧制高校という、ある意味で憧れの青春時代を過ごした先生は、数学だけではなく文学などにも深く精通していました。授業の合間に、漢詩の一節などを情緒豊かに紹介してくれたのも、今では良い思い出です。

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