人物スケッチの楽しみ方
紙の上へ、頭の位置を小さな丸で置く。
そこから背中の傾きを一本の線でつなぎ、肩、腰、足の向きを足していきます。まだ顔も服も描いていないのに、少し前へ体重をかけて立っている姿が、白い紙の中に見え始めます。
人物を描くとなると、顔を本人そっくりに描かなければならないのだろうか。
身体の比率を覚えてからでなければ、始められないのだろうか。
手や足がうまく描けず、途中で嫌になってしまわないだろうか。
人物スケッチは、細部まで完成させた肖像画を描くことだけではありません。立つ、座る、振り返る、腕を伸ばすといった姿勢を見て、身体の傾きや重さ、動きの流れを短い線で捉える楽しみ方もあります。
最初から目や指を丁寧に描くより、頭から足までがどのようにつながっているかを見る。線を引きながら、今まで何となく見ていた人の姿に、思った以上に多くの角度や重なりがあることへ気づいていきます。
今回は、自宅で月2回ほど人物スケッチを楽しむ場合を中心に、費用、参考資料の選び方、最初の一枚を描く流れ、必要な道具、安全や権利への配慮、続けるうちに変わっていく楽しみ方を紹介します。
人物スケッチの基本情報
一回の標準実施時間 約110分
短く楽しむ場合 約35分
準備と片付けを含む総所要時間 約130分
想定頻度 月2回程度
主な場所 自宅の机、作業台、静かな個人スペース
一人での実施 写真、鏡、動画、ポーズ資料を使って取り組みやすい
複数人での実施 家族や友人に短時間だけポーズをお願いする方法もある
施設への依存 小さい
天候の影響 ほとんど受けない
110分ほど取り組む日は、短いポーズを何枚か描いたあと、一枚を少し丁寧に進める流れにできます。最初から二時間近く集中し続けるのではなく、五分、十分、二十分と時間を区切り、途中で姿勢を変えます。
35分だけの日は、写真を一枚選び、一分の線描きを数枚行ったあと、気に入った姿勢を十分ほど描くだけでも十分です。完成した作品を毎回残すより、身体の向きや重心を一つ見つけることを、その日の小さな目標にします。
人物スケッチにかかる費用
手持ち品で試す初期費用 0円
標準的な初期費用 約10,000円
道具や制作環境を整える場合 最大約60,000円
一回の費用 0円〜約2,500円
標準的な一回の費用 約400円
年間費用 約13,000円
人物スケッチは、鉛筆と紙があれば始められます。家にあるコピー用紙、ノート、シャープペンシルを使えば、最初の費用をかけずに数枚試すこともできます。
標準的な初期費用の約10,000円には、濃さの違う鉛筆、消しゴム、スケッチブック、鉛筆削り、資料を見やすく置くスタンド、机を照らすライトなどを含めています。すでに作業机や照明がある場合は、紙と鉛筆を足すだけで始められます。
一回約400円は、紙、鉛筆、消しゴムなどの消耗をならした目安です。実際には、一枚描くたびに400円を支払うわけではなく、一冊のスケッチブックや数本の鉛筆を複数回に分けて使います。
年間約13,000円は、月2回、年間24回ほど楽しみ、紙や画材を必要に応じて補充する想定です。書籍、オンライン講座、有料のポーズ資料、人物モデルを招くクロッキー会へ参加すると、費用は増えます。
初回から多くの画材をそろえる必要はありません。鉛筆の種類より、描いた日付と時間を書き、同じ道具で何枚か続ける方が、自分の線の変化を見つけやすくなります。
3つのおすすめ
1.数本の線だけで、人らしい姿が立ち上がる
人物を描くとき、最初に目や髪を描きたくなるかもしれません。
けれど、顔を描き込んでいなくても、背中の丸まり方、肩の高さ、足の開き方が合うと、その人が立っている様子は伝わります。反対に、顔が丁寧でも身体の傾きが合っていなければ、少し固い印象になることがあります。
まず、頭の位置を決める。
背骨の流れを一本置く。
肩と腰の傾きを短い線で示す。
足が地面へ触れる場所を決める。
それだけで、紙の中に姿勢の芯が生まれます。
一本目から正しい輪郭を引く必要はありません。短い線を重ねながら、「この人はどちらへ体重をかけているのだろう」と探していく時間そのものが、人物スケッチの入口です。
2.普段は見過ごしていた身体のつながりに気づける
腕は肩からそのまま下へ伸びているように見えても、少し前へ向いていたり、肘で奥へ曲がっていたりします。座っている人の足も、左右が同じ長さに見えるとは限りません。
胸の向きと顔の向きが違う。
片方の肩だけが上がっている。
服のしわが、腕や膝の曲がる方向へ集まっている。
床へ置いた足の形が、体重のかかり方を示している。
描こうとすることで、身体を部品の集まりではなく、つながった一つの動きとして見るようになります。
手が難しいと感じたら、最初から五本の指を描き分けなくても構いません。手のひらを小さな四角や台形として捉え、その先へ指のまとまりを足します。
細部を省くことは、観察をさぼることではありません。
限られた線の中で、何を残せばその姿らしく見えるのかを選ぶことも、人物スケッチの大切な面白さです。
3.同じ人物でも、時間によって絵の表情が変わる
一分で描くときは、身体の流れを大きく捉えます。
五分なら、肩や腰の幅、手足の曲がり方を加えられます。二十分あれば、服の重なりや顔の向き、明るい場所と暗い場所まで見られるようになります。
長く描いた絵が、必ず短い絵よりよいわけではありません。
短い時間だからこそ残せる勢い。
何度も線を引き直した跡。
少し傾いた身体の印象だけを捉えた一枚。
時間を変えると、同じ資料を見ていても、紙へ残すものが変わります。
一枚をきれいに仕上げる日もあれば、同じポーズを一分ずつ十枚描く日もある。短い線描きと丁寧な観察を行き来できることが、人物スケッチを長く楽しめる理由の一つです。
最初の作業場所では、紙と資料を同じ明るさで見る
自宅で描くときは、大きな制作室を作る必要はありません。紙を置き、腕を動かせる机があれば始められます。
ただし、資料だけが明るく、紙が影になっていると、描いた線の濃さを判断しにくくなります。窓や照明の位置を見て、手の影が紙の中心へ大きく落ちない場所を選びます。
机の広さ スケッチブックと資料を並べられるか
照明 紙の一部だけが暗くなっていないか
椅子の高さ 肩をすくめず、肘を自然に動かせるか
資料の位置 顔を何度も大きく下げずに見られるか
片付け場所 鉛筆、消しゴム、描いた紙を一つにまとめられるか
スマートフォンやタブレットの写真を使う場合は、画面を机へ寝かせず、少し立てて置くと視線の上下が小さくなります。通知が気になる場合は、練習中だけ表示を抑え、資料を途中で切り替えすぎないようにします。
机を汚す可能性がある画材を使わない限り、厚い保護シートや特別な安全用品は必要ありません。鉛筆や木炭の粉が気になるときは、不要な紙を下へ敷き、作業後にやわらかいブラシやティッシュで片付けます。
最初の人物資料は、顔より姿勢の分かりやすさで選ぶ
初めての資料には、身体の大部分が写り、手足の重なりが少ないものを選びます。
正面からまっすぐ立った人物だけではなく、少し横を向いている、片足へ体重をかけている、椅子へ浅く座っている姿も、身体の傾きを見つけやすい題材です。
反対に、身体の一部が大きく手前へ出ている写真、服が極端に複雑な写真、暗くて輪郭が見えにくい写真は、最初の一枚では難しく感じることがあります。
資料を選ぶときは、次の点を見ます。
頭から足までの位置が分かる
肩と腰の傾きが見える
左右の手足が完全に重なっていない
光と影の境目がある程度分かる
服の模様より身体の形へ目を向けやすい
自分で撮影した写真、利用条件が明示されたポーズ資料、公開や制作への利用が認められた画像を使うと安心です。写真や既存作品の模写をインターネットへ公開する場合は、非営利でも原則として権利者の許可や利用ルールの確認が必要になることがあります。人物が特定できる作品を公開・販売する場合は、写真の著作権だけでなく、描かれた本人の肖像やプライバシーにも配慮します。
練習用として描くことと、不特定多数へ公開することは分けて考えます。家族や友人を描かせてもらう場合も、作品をSNSへ載せる可能性があるなら、描く前にそのことまで伝えておきます。
初めての一日は、身体の流れを一本見つける
初回の目標は、顔まで整った人物画を完成させることではありません。
一枚の資料から、その人物がどちらへ傾き、どこで身体を支えているかを見つけることにします。
1.一分だけ資料を見る
すぐに描き始めず、頭、肩、腰、足元の位置を見ます。身体の中を一本の線が通るとしたら、どのように曲がるかを考えます。
2.三十秒から一分で全身を描く
頭を小さな形で置き、背中の流れ、肩、腰、手足を線でつなぎます。輪郭や顔は描かず、紙の中へ全身を収めることを優先します。
3.同じ資料を三回描く
一枚目は身体の傾き、二枚目は肩と腰、三枚目は足元というように、見る場所を少しずつ変えます。同じ絵をきれいに描き直すのではなく、毎回別の発見を一つ残します。
4.十分かけて形を足す
気に入った一枚を選び、腕や脚へ太さを加えます。身体を円柱や箱のような単純な形として捉え、関節の位置で向きを変えます。
5.明るい場所と暗い場所を分ける
細かな陰影を塗り込まず、髪の下、あごの下、服の重なりなど、特に暗い場所を二、三か所だけ加えます。濃い部分が入ると、身体の向きが見えやすくなります。
6.日付と時間を残す
紙の端へ、描いた日と所要時間を書きます。「手を描きすぎた」「肩の傾きが分かった」など、短い一言を添えても構いません。
完成度を評価して終えるより、次にもう一度見たい場所を残します。
最初に必要なもの
最低限必要なもの
鉛筆またはシャープペンシル、消しゴム、紙、人物資料、作業できる机を用意します。鉛筆は一本でも始められますが、最初はHBか2B程度の、線を薄くも濃くもできるものが扱いやすいでしょう。
あると便利なもの
練り消し、鉛筆削り、資料を立てるスタンド、タイマー、小さなブラシがあると便利です。練り消しは線を完全に消すだけでなく、濃くなった部分を少し明るくするためにも使えます。
続けるなら用意したいもの
濃さの異なる鉛筆、少し大きめのスケッチブック、木炭や色鉛筆、作品を保管するファイルを検討します。紙の大きさを変えると、腕全体で線を引く感覚も変わります。
後回しにできるもの
高価な人物画教材、専門的な解剖模型、大型イーゼル、液晶タブレット、何十本もの鉛筆セットは、続け方が見えてからで構いません。知識を増やす前に、短い時間で人物を一枚描き切る経験を重ねます。
安全に楽しむために
人物スケッチは身体を大きく動かさないため、集中すると同じ姿勢が長く続きます。紙へ顔を近づけすぎず、三十分ほどを目安に一度立ち上がり、肩や首、手首をゆっくり動かします。
スマートフォンやタブレットを資料にする場合は、ときどき画面から視線を外し、遠くを見る時間を作ります。日本眼科医会も、画面を見る作業では目を休める工夫や、意識してまばたきを増やすことを案内しています。
鉛筆を強く握り続けると、指や手首へ力が入りやすくなります。細部を描くときも、ときどき鉛筆を長めに持ち、大きな線は腕から動かします。
消しゴムのくずや鉛筆の粉は、息で吹き飛ばさず、ブラシやティッシュで集めます。定着液やスプレーを使う場合は、製品表示に従い、火気を避け、十分に換気できる場所で使用します。
目の痛み、強い頭痛、手や腕のしびれなどが続く場合は作業を中止し、机、椅子、照明、資料の位置を見直します。症状が続くときは、医療機関などへ相談してください。
続けるほど変わる五つの楽しみ方
1.全身を一枚へ収める
最初は、頭から足までを短い線で紙へ置きます。比率が少し違っていても、姿勢の向きが伝われば、人物スケッチの一枚として残せます。
2.同じ姿勢をもう一度捉える
肩、腰、膝などの位置を比べ、同じ資料を描き直します。一度目より線を減らして形を取れたとき、観察が少し整理されたことに気づきます。
3.省く場所を自分で選ぶ
顔を描き込まず服のしわを残す、手元を中心に描く、背中の傾きだけを強くするなど、何を見せたいかを選びます。すべてを同じ濃さで描かないことで、自分らしい一枚へ近づきます。
4.時間や画材を変えて深める
一分のクロッキー、二十分の鉛筆スケッチ、色鉛筆を使った人物画など、描く時間と道具を変えます。同じ人でも、線、明暗、色によって印象が変わることを楽しめます。
5.人物のいる場面へ広げる
一人の姿だけでなく、椅子、机、部屋、街角などを加え、人物がどこで何をしているのかを描きます。作品を共有するときは、資料と人物の権利を確認し、自分で撮影した場面や許可を得たモデルから作品を育てます。
五つの楽しみ方は、順番に進むための級位ではありません。一分のスケッチだけを続ける、顔を描かず姿勢を集める、しばらく静物へ戻るといった往復も、自然な続け方です。
あわせて楽しみたい関連する趣味
デッサン
デッサンは、形、比率、光と影を観察し、鉛筆や木炭などで表す趣味です。箱やカップのような動かない題材で比率の見方を練習すると、人物の頭、胸、腰を大きな形として捉えるときにも役立ちます。
鉛筆画
鉛筆画は、線の濃さ、重なり、ぼかし、消しゴムで起こす光などを使い、一枚の絵を仕上げていく趣味です。人物スケッチで捉えた姿勢へ、顔の陰影や服の質感を少しずつ加えたい人に向いています。
ペン画
ペン画では、一度引いた線を生かしながら、線の密度や方向で形と影を表します。鉛筆で何度も線を探す描き方とは違い、限られた線で人物の姿勢を残したいときに、新しい見方を与えてくれます。
一本の線に、その人の重さが残る
人物スケッチを始めた日に、目や口まで似せられなくても構いません。
片方の肩が少し下がっている。
腰から足へ体重が流れている。
前へ出した手が、何かを取ろうとしている。
そのうち一つが紙へ残れば、線だけだった形に人の気配が生まれます。
最初の一歩は、全身が見える写真を一枚選び、一分だけで描いてみることです。顔や服の模様は後回しにして、頭、背中、足元を数本の線でつなぎます。
描き終えたら、上手かどうかを急いで決めず、資料と紙を少し離して眺めます。
一本だけでも、その人物が立つ方向と重さを捉えた線が見つかったなら、その線は次の一枚へ続く小さな手がかりになります。
休日のよりみち帖では、気軽に試せるものから、少しずつ時間をかけて深めていくものまで、さまざまな趣味やレジャーを紹介しています。「次の休日は何をしよう」と迷ったとき、新しい楽しみを見つける小さなきっかけになれたらうれしいです。これからも、思わず試してみたくなる趣味を一つずつ丁寧に紹介していきますので、ぜひフォローして、次の記事も覗いてみてください。
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