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私が伝えたい事、特に仏教のことで

私が皆さんにお伝えしたいのは、仏教を自分には無関係だ、と思う事は間違いだというお話です。

その理由を先に簡潔に説明させて頂きます。
皆さん、嫌でも天気や気温に左右された生活をしていますよね。
そしてそれは自分の意思で変えることも出来ない自然の摂理だと理解されているのではないでしょうか?

その中の1つに法(ダルマ)があるのです。
人間が作った法律のような法ではなく、私がいう仏教的な「法」というのは、自然の摂理を言葉にしたもの、という解釈をしています。

つまり自然の摂理=法そのものなのです。
本山がどういうかは知りませんが、私は少なくともそう解釈しています。
過去未来にも悟りをひらける人間は、お釈迦さんただ一人だと言われています。これは真宗的な発想だともAIに言われましたが、私もそうだと思っています。

何故なら、人間には煩悩があるからです。
この煩悩を一切なくすことが可能でしょうか?特に食欲という欲をなくすのは不可能です。食べるという作業は何かを殺生している事実を忘れてはいけません。

野菜しか食べていないから無関係だ!と思ったのなら大きな勘違いです。
畑を耕せばミミズなどを殺しています。殺虫剤を使い虫を殺しています。
私たちの口に入る野菜は全くの殺生なしでは成立していないのです。

こういう細かいことを言い出すと気づいていないだけで、自分たちの都合の悪い生き物は害虫と称して殺していることに気づかされます。

そんな人間は善人でしょうか?
さして悟りをひらく資格があるのでしょうか?
生き物が等しく平等だというなら、こういうところにまで気をつかいたいものですが、それが出来ないのが人間だと思います。

生きているだけで罪を重ねている事に気づかされる。
それが仏教の1つの側面だと思います。

話を戻しますが、仏教が自分には無関係と思ってはいけない理由として自然の摂理と書きました。
あなたは、風を見ることが出来ますか?
感じることは出来ても目には見えません。
例えば、木が動いている、葉が動いている様子を見て、あ、風が吹いている、と気づけるのではないでしょうか?

こういう間接的な働きにより「風」という目に見えない存在を感じるのです。

空気も同様です。
そう考えると目に見えないものは色々あります。
その中に仏教の「法」も含まれているよってことなのです。
身近にあるからこそ気づけない、だからこそ、知ってほしい。

私はそう願っているのです。
特に仏教の基本的な考えは、家族(ご先祖を含む)を大切にしましょう。感謝しましょうってところにあります。

どなたにも例外なく親がいます。
その親がどんな親かは別として自分が生まれたということは生をうけた事実は変わりません。

そんなに対する感謝は、他の表現をするなら、生かされている事命への感謝の場と言えるでしょう。

ですから、絶対に無関係と言ってはいけないのです。
これを知ってもらえれば、仏教がもう少し身近になるのではないかなって思うのです。

たまに、勘違いされている方がいらして、宗教は変な目で見られるとか、偏見をお持ちの方がいらっしゃいますが、あれをしたらこうなる、あれをするから幸福になる、不幸になる、という考えはまた別のお話だと私は思っています。

それより、根本にあるのは上記の通り、感謝の心の現れで、手をあわせている、という事実を早く知る、気づく、ということの大切さにあります。

是非、手を合わせる時に私の話していたことを思い出してください。

ありがとう、って言う言葉がその場に相応しいときっと気づけるはずですから。

イラスト提供:チャッティさん


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