教科書より先に、世界を見せてくれた先生のこと
「川の作り方、知ってるか?」
その一言で、教室の空気が止まった。
黒板の前に立っていた阿部先生は、チョークを置いたまま、僕たちの方を見ていた。
ふざけている顔じゃない。
あの人がああいう顔をしている時は、だいたい何かが始まる。
誰かが笑った。
たぶん冗談だと思ったんだと思う。
でも僕は、その時もう少しだけ分かっていた。
この先生は、黒板の上で終わる人じゃない。
初めて会った日から、違和感はあった。
授業が始まっても、教科書を開かない。
時間割なんてあってないようなもので、気づけば体育が四時間続いた日もあった。
園芸の授業なんてなかったはずなのに、いつの間にか土を触っていた。
火曜の午後は、なぜか外に出る時間になっていた。
「普通じゃない」
そう思ったのは、わりと早かった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、少しだけ楽しみだった。
この先生がいると、
学校の中にいながら、
学校じゃないどこかへ連れていかれる気がしていた。
ある日、先生は言った。
「山、行くぞ」
それだけだった。
次の週、僕たちは奥多摩にいた。
ダンプカーの荷台に乗って、風を受けながら山へ向かう。
今なら完全にアウトだと思う。
でもあの時は、それが世界の広がりみたいに感じられた。
土を掘ると、石が出てくる。
ただの石じゃない。
「これ、化石だな」
先生がそう言った瞬間、
それはもうただの石ではなくなった。
時間が、そこに詰まっているものになった。
手の中の小さなかけらが、
急に遠い過去と繋がる。
世界って、こんなふうに触れるものなんだと初めて思った。
教科書の中にあるものだと思っていた昔が、
急に手のひらの上に乗ってきた。
あの日から、
僕の中で「知る」ということの形が少し変わった気がする。
そして、その流れのまま来たのが、あの日の社会の授業だった。
「川の作り方、知ってるか?」
黒板には、一本の線が引かれていた。
まっすぐじゃない。
曲がって、分かれて、また合流する。
「昔の人はな、水が欲しい場所まで流れを作ったんだよ」
その言葉を聞いた時、
黒板の線がただの図じゃなくなった。
誰かが考えて、動いて、形にしたもの。
先生は少しだけ笑って言った。
「まあ、見るだけじゃ分からないな」
その時、教室の何人かが顔を上げた。
ああ、やっぱり来る。
そう思った。
次の日、僕たちは校庭にいた。
先生が向かったのは、校舎の横にある花壇だった。
そこは、ただの土の場所だった。
花があったかどうかも、正直覚えていない。
ただ一つはっきりしているのは、
そこが「川になる場所には見えなかった」ということだけだ。
先生はしゃがんで地面を見て、
指でなぞるようにしてから立ち上がった。
「ここに、水を流す」
一瞬、意味が分からなかった。
でも、その顔を見たら分かる。
本気だ。
細い棒で、地面に線が引かれる。
昨日、黒板にあった線とよく似ていた。
「水は高いところから低いところに流れる。
だから、どこに流したいかを先に決める」
先生の言葉は、もう授業じゃなかった。
設計だった。
世界の作り方の話だった。
あるものを覚えるんじゃなくて、
ないものを作るための考え方を教えてくれていた。
あの頃の僕たちは、
たぶん気づかないまま、
勉強よりもっと大きなことを教わっていたんだと思う。
スコップが配られる。
その瞬間、空気が変わる。
見るだけじゃない。
やるんだ。
誰かが最初に土を掘る。
ガリッという音がして、少しだけ土が崩れる。
次の人が続く。
気づけば、みんな無言で掘っていた。
固い土にスコップを入れるたび、
手に振動が伝わる。
石に当たって弾かれる。
思ったより進まない。
でも、それが妙に楽しかった。
ただの作業なのに、
意味があると分かっている作業は、こんなにも違うのかと思った。
「何のためにやるのか」が分かるだけで、
人はこんなにも夢中になれるんだと、
あの時の僕はたぶん体で知った。
少しずつ、線が形になる。
ただの溝だったはずのものが、
だんだん川の顔をしてくる。
先生は時々しゃがんで、流れを確認する。
「そこ、もう少し低く」
「ここ、広げた方がいい」
その言葉を聞くたびに思った。
この人にはもう、完成した景色が見えている。
僕たちがまだ土の溝しか見ていない場所に、
先生だけはちゃんと流れる川を見ていた。
ああいう大人が一人いるだけで、
子どもは自分の想像より遠くまで行けるんだと思う。
そして、最後。
ホースが持ってこられた。
「流すぞ」
その一言で、全員が息を止めた。
水が、ゆっくりと流れ始める。
最初は止まる。
少しだけ溜まる。
でも、次の瞬間。
スッと流れた。
自分たちが掘った線の上を、水が走っていく。
曲がって、広がって、また細くなって。
黒板の上にあったものが、
今、目の前で動いている。
誰かが笑った。
誰かが声を上げた。
僕は、ただ見ていた。
鳥肌が立っていた。
分かったより先に、
うわ、本当に流れたが来た。
あの感覚は、今でも忘れない。
たぶんあの時、
僕の中で「学ぶ」は、
頭で理解することじゃなくなった。
あの瞬間、たぶん初めて分かった。
学ぶって、こういうことなのかもしれない。
覚えることじゃなくて、
触れて、動かして、確かめること。
世界は、遠くにあるんじゃなくて、
手を伸ばせば変えられるものなんだと知った。
それから何年も経った。
社会に出て、働いて、
数字や結果を追う日々の中で、
ふとあの光景を思い出すことがある。
あの時の、土の感触。
水が流れた瞬間の音。
そして、あの人の言葉。
「見るだけじゃ分からないな」
今、若い子たちと一緒に仕事をしたり、
話したりすることがある。
その中で時々思う。
好奇心を出すこと自体が、
少し難しい時代になったのかもしれない、と。
今は忙しい。
情報も多い。
見ようと思えば、何でもすぐ見られる。
親も、学校も、社会も、
昔よりずっと慎重になった。
それはきっと、悪いことばかりじゃない。
守らなきゃいけないものが増えた時代なんだと思う。
でも、その一方で、
子どもが自分の手で確かめる時間は
少しずつ減っているのかもしれないとも思う。
小学生なんて、本当は
好奇心の塊みたいな時期だ。
土を触って、
水を流して、
石を拾って、
「なんで?」を繰り返す。
ああいう時間が、
あとになってじわじわ効いてくる。
想像する力も、
何かを生み出す力も、
たぶんああいう無駄に見える体験の中から育っていく。
好きな動画を見る時間も、
好きなものに夢中になる時間ももちろん大事だと思う。
でも、それだけじゃなくて、
まだ知らないものに触れて、
自分の中にない景色を増やしていく時間も、
きっと同じくらい大事なんだと思う。
あの頃の僕に残ったのは、
テストの点数じゃなかった。
世界って、触っていいんだという感覚だった。
そしてそれは、
大人になった今でも、
ちゃんと自分の中で生きている。
もし、あの4年間がなかったら。
僕はたぶん、
もっと正解だけを探す人間になっていたと思う。
でもあの先生は、違うものを残していった。
すぐに役に立つ知識じゃなくて、
ずっとあとで効いてくるものを、
あの人は平気な顔で僕たちの中に置いていった。
好奇心。
違和感。
試してみる勇気。
見たことのないものを面白がる力。
そういうものが、
人を支えることがあるんだと、
大人になってから分かった。
最後の日、阿部先生が本当にそのまま言ったのか、
それとも長い時間の中で僕の中に残った意味なのか、
もう正確には分からない。
でも、今でもはっきり覚えている言葉がある。
「好奇心だけは、奪われるなよ」
あの人なら、
きっと今の時代の子どもたちにも同じことを言うと思う。
そしてたぶん、そのあと少し笑って・・・・
あの頃と同じ顔で
「外、行くぞ」
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