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あの頃、英語にお金を使わなかったら、今の景色はなかった

正直に言うと、
子どもたちに英語のためにお金を使い始めたとき、
「これで本当に良かったのか?」という不安は、ずっとあった。

将来どこで働くにしても、
英語はきっと必要になる。
そんな正しそうな理由を並べて、
幼稚園の頃からインターナショナルの園に入れた。

でも現実は、思っていたのと全然違った。

息子は、とにかくシャイだった。
園に行っても、先生とほとんど話さない。
娘は、保育園からインターの幼稚園に移ったせいか、
環境も言葉も一気に変わってしまい、
1年近く、園の中で誰とも喋らない状態になった。

「本当に大丈夫なんだろうか」
「無理をさせているんじゃないか」

何度も、そう思った。

それでも、辞めなかった。
理由は立派じゃない。
ただ、途中で引き返すのが、
もっと怖かっただけだ。

不思議なもので、
卒園する頃には、
二人とも話せるようにはなっていなかった。

でも、先生の言っていることは、ちゃんと分かっていた。

言葉として返せなくても、
声のトーンや雰囲気で、
「何を求められているか」は感じ取れていた。

息子は、その後、日本の小中高へ進んだ。
でも、週に1回だけ、英語には触れ続けた。
忘れないためじゃなく、
「嫌いにならないため」に。

結果として、
英語は彼の得意科目になった。

大学受験のとき、
「英語のおかげで受かったようなもんだよ」と
笑いながら言っていたのを、今でも覚えている。

娘は、小学校だけ日本の学校に通い、
中高はインタークラスのある学校へ進んだ。
いま高1で、来月から1年間の留学が決まっている。

英語が特別できるわけじゃない。
でも、英語が好きだ。

最近よく思う。
この「好き」が、
いちばん大きなリターンだったんじゃないか、と。

今は、翻訳イヤホンもあるし、
便利な道具はいくらでもある。
それはそれで、すごい。

でも、生の言葉を知っていると、
相手の声色や間合い、
空気の揺れみたいなものが分かる。

完璧じゃなくても、
「通じようとする感覚」が残る。

あの頃、
英語にお金を使ったことは、
正解だったかどうか、正直分からない。

でも、
子どもたちの中に
「世界とつながってもいい感覚」が
ちゃんと残っている。

それだけで、
使ったお金は、
もう十分に意味があったと思っている。

お金は、
増やすためだけに使うものじゃない。
人生の選択肢を、
少しだけ広げるために使うこともある。

英語に使ったお金は、
子どもたちの未来を保証したわけじゃない。

ただ、
未来を怖がらずに見るための
下地にはなった。

そう信じている。

そして最近、ふと思う。
もしあの頃、
「まだ早いよね」
「日本にいるんだから必要ないよね」
そんな理由で、英語から手を引いていたら…
今の景色は、たぶん違っていた。

英語が話せるかどうかよりも、
「分からない世界に、一歩踏み出していい」
その感覚を、子どもたちは身につけていた。

それはテストの点数にも、
資格にも、
すぐには見えない。

でも、
知らない場所に行くことを怖がらない。
知らない言葉に、耳を閉じない。
分からなくても、関わろうとする。

その姿を見ていると、
あの頃感じていた不安も、迷いも、
全部ひっくるめて、間違いじゃなかったと思える。

お金を使ったことで、
何かを「買った」わけじゃない。

お金を使ったことで、
子どもたちが世界を選べる余白を、
ほんの少し残してあげただけだ。

それで十分だ。
それ以上を、親が決める必要はない。

英語に使ったお金は、
未来を保証するための投資じゃなかった。

未来を信じていいと、
子どもたちに伝えるための、
ひとつの選択だった。

私は今、
その選択を、誇りに思っている。


#私のお金の使い道

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