「虐待」の烙印。経営者としての甘さを突きつけられた、あの日
【前回までのあらすじ】
会社設立から3年。「順風満帆」と自惚れていた私の慢心が、全てを破壊し、事業所を「虐待認定」という地獄へと突き落としました。
なぜ私はあそこまで傲慢になれたのか。
その原点については、こちらの記事で綴っています。
会社設立から3年。自分の過ちに気づいていなかったから「無風」と呼べるほど順調でした。
退職者もなく、利用者も安定して確保できていた。定員を超えて断らざるを得ない日も増え、「それなら2店舗目を」と、ほとんど何も考えずに新しい事業所を立ち上げたのです。
これが、すべての失敗の始まりでした。
分かってはいたはずです。
店舗が増えれば目が行き届かなくなること。
そして、それをフォローする体制が整っていなかったこと。
利用者はいたし、信用している職員を送り込み、みんな必死に頑張ってくれていた。けれど、結局すべては私の責任です。
一部の職員の間に、マグマのような不満が溜まっていました。
淀んでいく空気と、見ないふりをしていた亀裂
管理者に据えたのは若い職員。仕事はその人を中心に回ります。
一方で、経験もないただ年上だというだけのただプライドの高い職員もいました。
彼は管理者に対しては偉そうな態度をとることもあり、その姿は見ていて苦々しいものでした。
私に対しては直接的な反抗を避けているようでしたが、時折見せる横暴な言動や管理者の足を引っ張るような振る舞いに、組織が歪んでいることは明白でした。
若手職員と年上職員との間には、すでに修復不能な亀裂が生じていたのです。
派閥ができ、空気が淀んでいく。
経営者である私が、それに気づかないはずはなかった。
ただ、気づかないふりをしていたのです。
そして、重度の利用者を受け入れているという現場の特性が、その亀裂に火をつけました。
私たちの事業所には、個別支援計画や、作業の手順書は存在していました。
しかし、その「理由」までを職員全員に落とし込めていなかった。理解しているか、納得しているかの確認を怠っていたのです。
「命を守るための行為」が、虐待認定されるまで
そんなある日、行政へ「内部通報」が入りました。
真夏でも水分を一切とらずに登校する子がいました。
最初は口を閉ざし、首を振り、手で遮って抵抗する。
それでも、口にストローを含ませさえすれば、ごくごくと飲み干す。
その子の親御さんも、学校とも連携し、家庭・学校・事業所が共通の認識として持っていた「命を守るための命綱」でした。しかし、その行為が「虐待ではないか」と通報されたのです。
「無理やり飲ませるのが虐待だ」と。
さらに、「他害行為のある高校生に対し、職員が強引に動かしている」という通報も加わりました。
この子に関しては、体格も力も大人顔負けで、私たち職員が逆に怪我をさせられることも珍しくありませんでした。
体格的にも職員が無理やり動かすなんてことは到底不可能な話です。
あまりに事実と乖離した内容に、母親すら「虐待なんてあり得ない。もし本当に叩かれていたら、やり返して職員が怪我をしているはずです」と弁明してくれたほどです。
通報が入れば、当然監査が入ります。
書類の確認と、職員からの聞き取り。
書類に関しては「作ってはいた」ので、役所的に問題なし。紙にさえ書かれていれば、形式上は整ってしまうのがこの世界の現実です。
「やってやった」という言葉の裏にあるもの
私が最初に行うのは職員への聞き取りでした。
私は事前に関係者全員に話を聞きましたが、犯人探しはしませんでしたし、口裏を合わせるような卑怯な真似もしていない。
ただ、事実確認は必要だから。
蓋を開けてみれば、そこには職員間の好き嫌いや、根深い派閥争いが露呈していました。
後日、当時の派閥の人間が、残ってくれた複数の職員に対して「やってやった」「ざまあみろ」と笑いながら報告していたと聞きました。
嫌がらせ目的の通報が、行政には「事実」として認定されてしまったのです。
結果、2件の虐待認定。
誰が悪いとか、そういう話ではありません。
市役所の担当者すら「逆恨みだから気にしなくていい」と言ってくれましたし、保護者会では当事者の親御さんが「虐待されたと言われたのは私の子です。でも、絶対にあり得ないと信じています」と多くの親御さんの前で言ってくれた。
近隣住民を回って、私たちの評判に陰りがないか聞き取りをしてくれた保護者までいました。
会社全体の、ゼロからの作り直し
しかし、虐待認定された事実は消えない。
もし本当に虐待があったなら、そうさせたのは私の管理不足。
たとえ冤罪であっても、職員がそこまで追い詰められる組織を作ったのは私の甘さです。
ストローの件一つとっても、方法論の説明、納得、そして他の方法の模索、それらすべてが欠落していた。
通報されたことそのものよりも、私の組織が、職員をそうさせるような「歪んだ場所」になっていたこと。それが何よりも悔しかった。
会社全体の、ゼロからの作り直し。 地獄のような日々の幕が、静かに上がった瞬間でした。
今後の執筆について
次回からは、この認定を受けた後の、文字通りの「地獄」について書いていきます。
精神的にも肉体的にも、削り取られるような毎日でした。そんな状況で、私がどのように向き合い、どうやって会社を立て直したのか。
正直に言えば、こうして当時のことを書いている今も、振り返ることは精神的にかなりの苦痛を伴います。
けれど、経営者として二度と同じ過ちを繰り返さないための「戒め」として、そして、もし今同じように苦しんでいる誰かの支えになれるならという思いで、自分と向き合いながら書いています。
決して明るい話ではありませんが、興味があれば読んでいただけると嬉しいです。
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