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吹奏楽強豪校に学ぶ7つの黄金法則|【大阪桐蔭高校コンサート感想】

はじめに

“プロ以上”を見せてくれる高校生たちの舞台

ある日、中高生時代の友だちから、大阪桐蔭高校吹奏楽コンサートのリンクと「よかったら一緒に行かない?」と誘いの連絡がありました。大阪桐蔭は、名前はもちろん、演奏も何度も耳にしてきた名門校。高校生の頃、関西大会の会場ですれ違ったこともありましたが、ユニフォームの着こなしや立ち居振る舞いから漂う圧倒的な存在感に、ずっと憧れを抱いていました。そんな彼らが、わたしの地元である滋賀県彦根市の田舎でコンサートをやってくれるそうです。

社会人になった今、もう吹奏楽とは無縁の生活です。でも、あの頃どんなコンサートよりも熱い気持ちで見ていた吹奏楽部の舞台を、今の自分はどんな気持ちで見られるのだろう、そんな思いを胸に会場へ向かいました。

会場はおよそ1500席。そのすべてが満員で、開演前から客席の熱気が伝わってきました。パンフレットを手にしながらざわつく空間には、年配の方々もいれば、学生や小さな子どもを連れた家族の姿も見られ、お祭りのようでした。

指揮・監督の梅田隆司先生が軽快な関西弁でマイクを握り、テンポの良いトークで会場を和ませながら、次々とプログラムが進んでいきます。ひとたび演奏が始まれば、会場は完全に桐蔭の世界に包まれます。彼らはプロではない、けれどプロ以上の何かを持っているのです。

ステージ上を歩きながら、見事に揃った動きでフォーメーションを組み立てるパフォーマンス。演奏の精度はまったく落ちることなく、むしろ全身で表現する力強さを感じます。また普段は楽器を演奏している部員たちが、歌や演技も披露するミュージカルもあり、その表現の幅広さに感動しました。

観客を楽しませようとするサービス精神、そしてひとりひとりが音楽の力を最大限に引き出すために努める姿勢。大阪桐蔭高校のコンサートは、ひとつの舞台芸術だと強く感じた時間でした。

この日、わたしは再び吹奏楽の魅力に心を動かされました。そしてふと思ったのです。かつて全国常連の強豪校に憧れ、楽器を抱えて走り続けていた自分にとって、あの経験は一体なんだったのか——。本書では、そんな思いから『吹奏楽強豪校から学ぶ7つの黄金法則』と題し、全国常連の強豪校を目の前にしたとき、大人になった今だからこそ見えてきた“学び”を綴っていきます。

かつて吹奏楽に本気で取り組んだあの頃のあなたに、そしていまを懸命に生きるあなた自身に、エールを込めて。



全国常連校は、何が違うのか

音程とリズム──基礎に宿るチカラ

わたしが全国常連校の演奏を聴いて最も強く感じるのは、基礎の徹底が生み出す揺るぎない「安心感」です。音程とリズムの正確さが、表現の豊かさを支えています。

吹奏楽は完全なアナログの世界。コンピュータで補正された配信曲とは違い、そもそも楽器を始めたばかりの子どもたちによる生演奏です。
だからこそ、吹奏楽部にとっての最重要事項の一つが音程を合わせることでしょう。どれだけ表現力に富んだ演奏でも、音程の乱れは「聞くに耐えない」と感じられ、コンクールでは予選落ちの大きな要因になります。

強豪校は、この音程の感覚が研ぎ澄まされている、というか、音程への責任感が圧倒的に強いのだと思います。

リズムの正確さも同じく重要です。テンポ(Beats-Per-Minute)を狂わせないのはもちろん、1小節に含まれる音符と休符――すべての「音の粒」を全員でそろえる姿勢が徹底されています。

予選落ちしてしまう学校では、メンバー各自が感じるビートが微妙にずれていたり、誰かの音になんとなく合わせているだけだったりします。本番の興奮でソロパートが走り出し、演奏が空中分解してしまうことも少なくありません。

わたしが担当していた打楽器パートでは、ゴム板とスティックだけを使い、あらゆる音符と休符の組み合わせを繰り返し叩き続ける基礎練を毎日していました。
曲を練習するよりも、この地道な基礎練が演奏の土台を支えるという教えは体に刻んでいます。

基礎が揺るがないからこそ、微妙なニュアンスが生きます。まさに「基礎があるから自由に表現できる」のです。

これほど大切な「基礎」にどれだけ丁寧に向き合い、身体レベルで身につけるかが、チーム全体の「質」を決定づけます。そしてこの姿勢こそが、全国常連校とそれ以外の学校を分ける最大の要因ではないかと、あらためて感じました。


一人ひとりが「音の意味」を理解している

全国常連校の演奏を聴いて強く感じるのは、自分の音にはどんな意味があるのかを全員が理解して演奏しているということです。音の役割を考えずに楽譜をなぞるだけでは、どれほど正確に演奏しても、音楽としては平坦で物足りなく感じられます。

では、わたしが担当していた打楽器パートを例に音の役割を考えてみます。わたしはティンパニをよく演奏していました。ティンパニにはさまざまな役割があります。ロールで曲を盛り上げる場面もあれば、中低音の楽器とともにハーモニーの一部を担うこともあります。ときには雷鳴や銃声のような激しさを、ときには心の芯まで届くような温かさ、自然の広大さ、海の深みなども表現します。

また、グロッケンやチャイム、トライアングルなどの金属打楽器は、きらきらとした音色で、輝き瑞々しさ華やかさを生み出すのに欠かせません。その独特の響きは、曲によっては不思議さ怪しさや、神秘性を表現するためにも使われます。

さらに、音の強弱抑揚も、意図を理解して表現することが重要です。ピアニシシモからフォルテシシモまでの、幅のある表現は、音の役割を理解しているからこそ可能になります。わたしの所属していた吹奏楽部では、演奏が中途半端になったとき、顧問の先生から「ずっとメゾフォルテや」と指摘されていました。ただ音を出しているだけ、なんとなく吹いているだけでは、強弱の変化がなく、平坦で立体感のない演奏になります。

「今は自分が主張する場面だ」「ここはほかのパートを引き立てるべき場面だ」と、演奏者一人ひとりが意図を持って音を出すことで、自然と強弱のメリハリが生まれ、音楽に立体感説得力が生まれます。これこそが、全国常連校の演奏に感じる感動の正体ではないかと思います。


本番の舞台に立つ集中力

強豪校の強さの秘訣は、本番で発揮される圧倒的な集中力にもあります。集中しているか、それとも意識がどこか別のところにあるかは、実は客席から演奏者の顔を見るだけで伝わってくるものです。

多くの学校では、学年が上がるにつれてファーストパートを担当する者が増え、座席も前方に移っていきます。それに伴って、責任感集中力も自然と増していきます。一方で、新入生などはまだどこか落ち着かず、いかにも1年生といった表情をしていることも少なくありません。

しかし、強豪校では誰が何年生なのか、見た目ではほとんど分かりません。たとえば今回、桐蔭学園のコンサートで先生が「1年生、手を挙げて」と呼びかけると、舞台上のさまざまな場所から手が上がりました。演奏していたメンバーの約3分の1が1年生でしたが、「やっぱりあの子かな」と思えるような、いかにもな雰囲気の子は一人もいませんでした。舞台の端から端まで、最前列から最奥まで、全員が集中の糸をぴんと張っていて、学年に関係なく、演奏者として同じ空気をまとっているように見えたのです。

この本番での集中力は、日々の練習での集中とはまた少し違います。本番の舞台ではアドレナリンが出て、心臓の鼓動が速くなり、顔や体が熱を帯び、いわゆる“血の気がある”状態になります。そのなかで演奏者に求められるのは、ただ緊張に飲まれるのではなく、その高揚感を味方につけながら、頭と耳を冷静に働かせるという、本番特有の集中力です。

この集中力は、一朝一夕に身につくものではありません。何度も何度も本番の舞台を経験することで、自分の心の状態や反応のクセがわかるようになり、感情と冷静さのバランスを取れるようになっていくのだと思います。


音楽が導くリーダーとフォロワーの関係

吹奏楽部は、上下関係が厳しくて、顧問(指揮者)が絶対的な存在で怖い…そんなイメージを持たれがちです。実際に「吹部は宗教っぽい」という声を、他の部活の生徒から聞いたこともありました。もちろん、そう感じるかどうかは学校によって違うとは思いますが、吹奏楽やオーケストラといったクラシック音楽の世界には、ある種の“構造”が存在しています。それが、リーダーとフォロワーの関係です。

まず、音楽をまとめるうえで中心になるのが「指揮者」です。指揮者は、楽譜に込められた音楽の意図を読み取り、テンポや表現、タイミング、曲の方向性を決めていく演出家のような存在です。演奏者の個人的な感情や解釈よりも、まずはその指揮に従うことがルールなのです。

さらに、オーケストラや吹奏楽では、もう一つ重要なポジションがあります。それが「コンサートマスター」(通称コンマス)です。これは、主に第1ヴァイオリンの首席奏者(トップ)でありながら、指揮者と演奏者の間をつなぐリーダー的存在です。弦楽器の弓の動き(ボーイング)はコンマスが決定し、全員がそれに従って揃えることで、ビジュアルとサウンドの一体感が生まれます。また細かな音の出だし、終わり、微妙なニュアンスはすべてコンマスに揃えます。吹奏楽でも、パートのトップの音程や入り方、表現に合わせるのが基本です。このように、リーダーの動きに合わせるのは、ただの上下関係ではなく、音楽の一体感を生み出すために長い年月をかけて築かれてきた方法論なのです。

だから、そのリーダーのポジションに立つには、相応の技術と信頼が求められます。ほとんどの強豪校では、コンサートマスターや各楽器のトップ、その他すべてのパートはオーディションを通じて決定されます。もし演奏や判断に問題があれば、ポジションはすぐ変わることもあります。このように、実力主義のもとで明確に役割が分かれ、その関係性が音楽の完成度に直結するのです。

ただ、この構造を誤解したまま「上下関係」を履き違えてしまうと、ただ威張る先輩と、黙って従うしかない後輩……という、残念な関係になってしまうこともあります。重要なのは、「なぜその人に合わせるのか」「どういう役割分担なのか」を言葉で共有できているかどうかです。

良い組織には、リーダーとフォロワーの関係性をきちんと言語化し、共有する文化があるはずです。その意識がチーム全体に浸透しているとき、無駄な力のぶつかり合いがなくなり、「音楽のために集まる」という本来の目的のもと、真の結束力が生まれます。これこそが、強豪校の「強さの本質」なのではないでしょうか。


強豪校に学ぶ7つの黄金法則

今の私が、大人としてあらためて吹奏楽強豪校の姿を目の当たりにして感じるのは、そこにある価値観や仕組みが、決して子どもだけのものではないということです。
リーダーとフォロワーが互いに耳を傾け、全体のために自分を調整していく、そんな理想的な関係性は、大人の組織でもなかなか実現できない難しさがあります。

でも実際に、それをある程度体現している10代の子どもたちがいます。
そう思うと、年齢や経験の差というのは、もはや言い訳にならないのかもしれません。むしろ、彼らから私たち大人が学ぶべき箇所は多いのではないでしょうか。10代の吹奏楽部員たちが実践していることには、大人でも応用できるヒントが詰まっています。
大人になったわたしたちこそ実践したい、仕事や人生そのものに活かすことのできる「黄金法則」として、次のようにまとめました。


1. 【基礎を徹底する】「準備が9割」の意識

  • 音楽における基礎練習は、絶対に欠かせない土台。

  • 社会でも、地道な準備を徹底する人ほど信頼される。

  • 「できて当然」のことを、どこまで精度高くやれるかがプロ意識の第一歩。


2. 【自己の役割を理解する】“主役じゃなくても価値がある”

  • 音楽では、主旋律以外のパートがいなければ曲は成立しない。

  • 組織でも「目立つ役割」だけでなく、裏方や調整役がいてこそ成果が出る。

  • 自分が何に貢献しているのかを自覚しながら働く。


3. 【集中力を鍛える】場数を踏み、ベストな状態をつくる

  • 本番中の演奏は、特有の集中が求められる。

  • 社会人も「大事な場面で集中できる人」になるには、小さな本番(発表、商談など)を数多く経験することが必要。


4. 【聴く力を育てる】相手と“合わせる”という能力

  • 音楽では、周囲と調和するために自分の音を瞬時に調整する。

  • 職場でも、相手の状況・立場・文脈を聴く力がなければチームワークは育たない。

  • 「空気を読む」よりも、「意図を聴く」が重要。


5. 【影響力に自覚を持つ】"1音"が全体を左右する

  • アンサンブルでは、たった1音が音楽全体に影響を及ぼすことも。

  • 組織内でも、自分の言動・仕事が、誰かの仕事に影響を与えている。

  • 影響力をうまく使うことで、良い循環を生むことができる。


6. 【リーダーシップを発揮する】“指揮者”のように導く

  • 指揮者は、表現の指針を明確に示しつつ、演奏者を信頼して音を任せる。

  • リーダーもまた方向性を示しつつ、個々の能力を信頼して仕事を任せる。


7. 【柔軟な立場切り替え】主旋律も伴奏も両方できる人になる

  • 音楽では、あるときは主役、あるときは支え役としての立ち回りが必要。

  • 大人になっても「引くべきときに引ける」人は貴重。

  • 状況に応じた立場の切り替えが、健全な人間関係と信頼の鍵。


こうして見ると、吹奏楽強豪校から学べる法則は、特別な才能が必要なものではなく、だれでも実践できるものです。

だからこそ大人である私たちも、仕事でも人間関係でも、10代の部員たちのように耳を傾け、自分の役割を果たし、集中して臨む。その小さな積み重ねが、結果として自分の人生全体を豊かにしていくはずです。

そう信じさせてくれる何かが、吹奏楽の中には確かに存在しているのです。


おわりに

時々、恐ろしい夢を見ます。
わたしは仲間と舞台袖に立ち、右手には楽譜を挟んだ黒いファイル、左手にはドラムスティックを握っています。カーテンの隙間からは、満員の客席が見えます。もうすぐ本番が始まる——けれど、わたしだけは何を演奏するのか、まったく分からないのです。

それでも、無情にもコンサートは始まってしまいます。
目の前の楽譜は見たこともない曲。必死に読み取り、演奏に食らいつこうとしますが、まったく追いつけません。指揮のI先生が鋭い目でわたしを睨みつけます。
舞台上の空気はひりつき、客席もざわつき始めます。
「なんで練習してへんの?」「なんで本番に間に合わんかったん?」
嫌な汗が顔中をつたって、倒れてしまいそうになったそのとき、目が覚めます。
心臓はばくばくと脈打ったまま、わたしはようやく現実に戻ってきます。
そして、夢の余韻が消えかけた頃、仕事の“締め切り”が迫っていることを、ふと思い出すのです。

今のわたしはもう、毎日の練習も、舞台に上がることもない、26歳の会社員です。
社会人になって4年、吹奏楽部を引退してからもう8年が経ちました。
それでも、いまだによく吹奏楽部の夢を見ます。
おそらく、わたしにとっていちばんの恐怖は「責任を果たせないこと」。
締め切りに追われ、焦りを感じているとき——その不安の象徴として、「本番で演奏できない夢」が現れるのでしょう。

吹奏楽は、わたしの青春そのものでした。
そして、青春はいつだって痛みを伴うものであり、時に、トラウマすら植えつけるものなのです。(笑)

そろそろ、客席から拍手を浴びて、満ち足りた気持ちで目覚める夢も見てみたいものです。

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