【80歳祖父】50年ぶりの一人暮らしがはじまる
京都の実家にはアラ還の両親と80代の祖父(父方)が暮らしていた。私が生まれ育ち24年間暮らした家、6年前に他界した祖母との思い出もたくさん詰まった家だ。
お正月に息子を連れて帰省した。そこで両親から衝撃の話をされた。
「家買いました。今月末に滋賀県に引っ越します。」
「...へ?」
衝撃的だった。正直かなり大胆な決断をしたと思う。
買う前に一言も相談がなかったのには少し驚くが、事後報告が私も含めて一家の慣例となっているので、あまり気にならない。
そんなことより、だだっ広い二世帯住宅に一人残される祖父が心配だ。
両親が京都の家を去ってから4カ月。80歳の祖父の暮らしはどうなったのだろうか。
暮らしの準備
両親が祖父についた「ウソ」
両親の引っ越しによって祖父は80歳で一人暮らしを始めることになった。この決断には賛同できない人の方が多いかもしれない。
私も引っ越しの話を最初に聞いたとき真っ先に頭に浮かんだのは祖父のことだった。「じーちゃんどうするん?」頭で考えるより先に言葉が飛び出していた。
祖父はそのまま今の自宅で一人で暮らすとのことだ。内心「ひどい!」と思ったが、それ以上言えなかった。私もかなり遠方に嫁いでしまったので、様子を頻繁に見に来ることができない。両親にまかせるしかない以上、あまり口を挟まない方がいいと判断した。
どうやら祖父には「家を購入した」とは言っていないようだ。父の転勤(これは本当の話)に伴い「10年ほどの予定で滋賀に家を借りる」と伝えたらしい。なので祖父は「いずれ二人は帰ってくる」と思っている。
このウソは「祖父との要らぬ争いを避けるため」、「離れすぎない距離感を保つため」、「祖父に希望を持って生活してもらうため」に必要なウソだったのだろう。
淡い期待を抱かせてかわいそうと感じるかもしれないが、「二度と帰ってこない」と思うか「いつか帰ってくる」と思うのでは心のもちようが全く違う。祖母の死後3年ほどは悲しみに沈み、やせ細り、表情も暗くなってしまった祖父を見てきたので、私としてはこの判断は間違っていないと思っている。
自宅か施設か
祖父が肺を患い、医者に「あと5年の命」と言われてからすでに10年が経つ。先日の検査では「肺機能を含め問題なし、あと10年は元気にいられるでしょう」と担当医に言われたそうだ。
かなり痩せてはいるが、よく食べよく飲む。足腰も弱りつつはあるが、身の回りのことはすべて一人でこなせる程度には元気だ。
しかし、肺の一部を切除しているため、人としばらく話をしたり、風呂に入ったり、急いで歩いたりするとすぐに「ぜぇぜぇ」と呼吸が荒くなる。特に浴槽は広さが取れなかった分、深く作られているため足を滑らせないかとても不安なのだ。
もちろん施設に入ってくれればこれ以上安心なことはない。しかし、本人は「まだ大丈夫やから、もうちょっと待って」と頑なに自宅で暮らすと言い張る。
高齢のため物忘れはあるが、ボケてはいない。物忘れは本人が一番自覚しているので、常に手の届くところにメモ用紙を準備している。身の回りのことを自分でこなし、足りない部分は補おうと努力もしている以上、施設行きを強くは言えないので、しばらく様子を見ることにした。
京都の実家と滋賀の家は車で1時間ほどの距離だ。毎週末父が様子を見に来ることになっている。
祖母が残した暮らしの助っ人たち
祖父の一人暮らしが始まることで、一番心配だったのは買い物だ。最寄りのスーパーやコンビ二へは私の足で歩いても5分はかかる。(転倒防止のために)杖をつきながら、ゆっくり歩く祖父の足だと倍以上はかかるだろう。おまけに肺機能の問題もあり長時間は歩けない。そんな状態で真夏の暑いとき、真冬の寒い時には外に出ることさえ難しい。
週に一度、父が買い物をまとめてするが、それだけでは足りないものも出てくる。それ以前に、高齢な祖父の様子を誰かが確認するタイミングが週に一回しかないということがとても不安だった。
祖父自身は(もう半分に減ってしまったが)8人兄弟で、結婚後も2世帯住宅で常に大人数に囲まれて生きてきた人だ。そんな祖父が一人で息を引き取り、発見が1週間遅れた、なんてことは絶対に避けたい。
両親が引っ越した後、私は祖父が心配で理由をつけてしばらくの間京都の実家に戻ることにした。必要ならヘルパーさんや配食サービスの手配をしようと思ったのだ。
しかし、結論からいうと今のところ心配なさそうだった。
喫茶店のママさん
実家の2軒隣に祖父が3日に1度は通う喫茶店がある。そこのママさんが定期的におすそ分けといって、つくった総菜やおかずを持ってきてくれるのだ。私がいる間にも何度か頂いたが、もはや「おすそ分け」レベルを超えて、ご飯を準備するだけで「定食」となるような日もあった。とてもありがたいことだ。
この喫茶店は昔からあったのだが(私が幼い時にはすでにあった)、祖父が頻繁に通い始めたのはここ数年のこと。ご近所さんなので会うと挨拶はするが、とくに親しいわけではなかった。
親交があったのは祖母の方だった。幼い私を連れて、ランチを食べに来ることもあったらしい。
また、祖父母は自宅から少し離れたところで畑をし、格安価格で無農薬野菜の無人販売をしていたのだが、このママさんはよく買ってくれていたそうだ。(形は悪いが)とても美味しいと評判の野菜。その無人販売が十数年経って思わぬ成果をもたらしてくれた。
祖父が仕事のあいまに野菜をつくる。その野菜を無人販売で売り、自分でこしらえた総菜を親戚やご近所さんに配っていたのはすべて祖母だった。
関係性の下地をしっかりと祖母がつくっていてくれたからこそ、一人暮らしを始めた祖父にその影響が返ってきているのだと感じる。
八百屋のご主人
近くの八百屋さんのご主人も、出歩くのが困難な祖父のために電話一本で少額でも配達してくれる。しかも「なんか俺が食えそうなもん、持ってきてー」という祖父の超アバウトなオーダーに答えてくれるのだ。大変ありがたい。
この八百屋さんも、祖母が亡くなるまで祖父は店に入ったことすらなかった。家のことはすべて妻にまかせていたタイプの人なので、そもそも食料品や日用品の買い物など、(荷物持ちとして付き添うことはあっても)自分でしたことはないのだ。
ご主人が祖父にとても親切にしてくれるのも、やはり祖母が生前に親交を深めていたからだ。祖母はこの八百屋の300mほど先にあるスーパーによく買い物に行っていたのだが、夏の暑いときなどは、帰宅途中にある八百屋で少し休憩しご主人や奥さんとよく話していたらしい。もちろん買い物もしたのだろう。料理と「おすそ分け」が大好きな祖母のことだ。ここのご夫婦にもいろいろと渡していたかもしれない。
祖母の残した遺産
以上の二人は日常的に祖父の生活を助けてくれる人たちだ。頻度こそ少ないが祖父の様子を気にかけてくれる人は他にもいる。お向いさんだって「何かあったら大声で叫んでくださいでね!聞こえますから」と言ってくれているらしい。
結婚後、祖母は縁もゆかりもない地にやってきた。その後40年のあいだ、日常生活の中で近隣との関係性を丁寧に紡いでいったようだ。
世間では「ご近所付き合い」に関するいざこざもよくあるが、祖父の周辺には「煩わしさ」を感じない。近隣の方からの声掛けがうわべだけのものではないのだ。
祖父の性格ゆえの部分もあるだろうが、やはり一番は生前の祖母のふるまいが関係しているのだろう。
人と立ち話はするが、噂話や陰口が大っ嫌いだった祖母。話を合わせ「ふんふん」と聞きながらも、自分では絶対そうしたことを口にしなかった。おすそ分けはするが趣味として行うだけで、人に取り入る気は全くない。そんな祖母の性格が周囲の信頼を勝ち得たのだと思う。
祖父は今、明らかにその恩恵を受けている。
無精な祖父のていねいな暮らし
祖父は大の面倒くさがりだ。タオル以外の洗濯物は畳まないし、立ち歩くのが億劫なので居間の座席の周りにはすぐに手が届くよう、よく使うものが乱雑に置かれている(ポリグリップとか)。掃除も座りながら手の届く範囲でコロコロを使うだけ。
かつては祖母がすべて片付けていたので、「かあさんに叱られるなぁ」と言いつつやっている。歳をとり身体が思うように動かないこともあるが、祖母の死後、無精な性格がどんどん主張を増している。
6年間毎日続けていること
そんな祖父が毎日欠かさず行うことが二つある。起床後祖母の仏前に炊き立てのごはんを供えることと、朝食に卵焼きとベーコンを調理することだ。
仏前に炊き立てのごはんを供えるのは、祖父が生まれ育った家で両親や兄弟たちがずっとやってきたことだった。それを見て育ってるし、供えるお手伝いも物心つく前からさせられていたそうだ。祖母が亡くなり家に仏壇が置かれてからは、自然と日課になっていた。
「炊き立て」といっても寝る前に炊飯器のスイッチを入れるので、朝にはすでに保温6時間ということもある。1日に自分が食べる分と祖母の分、たった0.5合を毎日炊き続ける。多めに炊いて冷蔵庫や冷凍庫で保存しないことには感心してしまう。
朝食はいつも決まったメニューで、食パン、卵焼き、ベーコン、くだもの、はちみつ入りコーヒーだ。毎朝仏前にごはんを供えたあと、台所に立ちゆっくりと準備をする。
「スクランブルエッグより簡単だ」と言って本人は卵を巻くのだが、「絶対ぐちゃにぐちゃにする方が簡単だ」と私は思っている。本人がそう言うのだから、口には出さない。卵焼きの方が食べやすいということはあるかもしれない。
ベーコンは4枚入りが3つで1パックとして売られているものをまとめ買いしてある。それを一袋(4枚)ずつ毎朝炒めて食べている。塩分の高いベーコンを一度に4枚も食べるなんて多すぎないかと思うのだが、かかりつけ医に「ベーコンは動物性油の摂取にちょうどいい」と褒められたこともあり、こちらも息長く続いている。
強いこだわりが手先を使う習慣に
面倒くさがりのくせに、変なとこにものすごくこだわる祖父。
トマトや皮ごと食べられるシャインマスカットなどのブドウの皮は必ずむいて食べる。「口に当たるのが嫌」と言って、時間をかけて丁寧にむいている。
祖母がつけていた家計簿を引き継ぎ、買い物をするたびに書き込んでいる。入出金の確認をする目的はないので、残高計算はしない。ただ、レシートに書かれていることを写して終わりだ。祖母が続けていたことを自分が続けたいと思いやっているだけでその内容に特に興味はないらしい。
昔から食事のときに大口を開けてほお張るのが嫌いだった祖父。祖母が祖父用になんでも「小さめ」に切っていたのだが、今でも細かく自分サイズに切っている。マクドナルドのハンバーガーなどジャンクフードも買ってくれば好んで食べるのだが、ハンバーガーは必ず4等分にしてから食べている。そのまま手早く食べれることがウリの商品ですら、手を加えてしまう。
生活に対する細々としたこだわりが強い祖父は、そのおかげで包丁を使う、ペンを使って書く、細かい作業をするなど日常のなかで手先・指先をよく使っている。認知症予防にもなり、すごくいい習慣だ。
おわりに
高齢な祖父が一人暮らしになるということで、とても心配したが意外となんとかなりそうだ。
両親が一緒に住んでいたときと比べても、祖父の生活はほとんど変わらない。父が近くにいないので、買い物が以前よりは難しくなってしまったが、電話一本で配達してくれる人もいる。
お風呂で足を滑らせるなど心配のタネはつきないが、本人も意識してボケないよう努力し、近隣に助けられながらもしっかり自分のお世話は自分でしている。それは1日でも長く祖母との思い出が詰まった家に住み続けたいという気持ちの表れだろう。
固定電話の横に常に置かれているメモ用紙には2つの電話番号が書かれている。一つは例の八百屋さん、もう一つは近所の花屋さんのものだ。花が大好きで自分で活けていた祖母が定期的に通っていた花屋さんでもある。祖父は月に1度のペースで季節の花を頼み、仏壇横の花瓶の花を絶やさないようにしている。
遺影の前におちょこ一杯の酒を注ぎ、花を飾り、ごはんを盛りつける様子は結婚生活40数年間の感謝を伝えているかのようにも見える。
あと何年続けられるか分からないと本人も思っているはずだ。祖父が自宅での生活を望むうちはこれからも元気に住み続けてほしい。
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