口が達者で
説明しすぎる人間は、
たいてい「損をする側」に見られる。
空気を読めば済む話を、わざわざ言葉にする。
黙っていれば波風は立たないのに、
あえて理由を述べ、背景を語り、筋道を通そうとする。
その結果、
伝わらないことがある。
正論を述べても届かない。
ロジックを積み上げても、相手の信条に弾かれる。
その時に残るのは、苛立ちと諦めだ。
けれど、それは相手が悪いという話でもない。
どちらかが幼稚だ、という単純な構図でもない。
人にはそれぞれ、
言葉を操れる量にも、受け取れる量にも差がある。
口が達者な人間もいれば、口下手な人間もいる。
そこを理解できない側も、
我慢が足りない側も、
説明する知性が足りない側も、
全部ひっくるめて「人間関係」だ。
それでも、
言葉を尽くせば折り合いは見つかる。
自分はそう思っている。
言い方を工夫する。
順番を変える。
譲る割合を考える。
どこまでなら相手が飲めて、
どこから先は譲れないのかを探る。
面倒だ。
正直、省エネではない。
説明しないなら、
最初から関わらない方が楽だろう。
誤解も生まれないし、疲れもしない。
それでも説明するのは、
そこに人と人との繋がりがあるからだ。
友人でも、恋人でも、
仕事でも、家族でも、
説明を放棄した瞬間に、
関係はただの並列になる。
説明し続ける人間は、
疲労も、不公平さも、
誤解される役も、時間も、
全部引き受けている。
だが、見返りがないわけじゃない。
それでも繋がっていられる、
それ自体が見返りだ。
分かり合えなくてもいい。
折り合いがつかなくてもいい。
それでも関係が切れずに残るなら、
説明は無駄じゃなかったということだ。
説明しすぎる人間の末路は、
孤独でも敗北でもない。
繋がりを、
最後まで引き受けた側に立ち続ける。
それで良い。
Shinsei(臣清) Tokyo-based poet / short story writer Published in Literary Revelations, Poetry Lighthouse shinseipoetry@gmail.com
