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近世/近代における船の民の転換期

オランダのフリゲート艦デ・ロイテルが来日したと聞いて、ワーター・フーゼンから続くオランダ海軍に浪漫を感じ、SNSで15世紀から16世紀における、海戦史の変換期を語りまくりましたので、まとめてみますね。


ワーター・フーゼンとは?

ワーター・フーゼンとは宗教改革時に、イスパニア支配下のネーデルランド内で迫害され、土地を奪われたカルヴァン派の領主達がオラニエ公ウィレム一世の支援の下、海上にてイスパニアの船や沿岸のカトリック教会を襲撃する様になった海のゲリヤ屋(私掠船)の事です。
彼らの活動に対してイスパニアは無敵艦隊を派遣することになり、この無敵艦隊を迎え撃ったのがイギリスのキャプテン・ドレイクになりますね。

提督黄金期の到来


この1530年代から1580年代にかけて、欧州の海戦史はワーター・フーゼンだけでなく、プレヴェサ海戦(1538年)のバルバロッサ・レイス(オスマン)、レパント海戦(1571年)のドン・ファン(イスパニア)、アルマダ海賊(1588年)のキャプテン・ドレイク(イギリス)と、海戦史に名を残す提督が順番に出てきている時代です。
また日本でも木津川の戦い(1578年)にて鉄甲船を投入した九鬼嘉隆がいたりします。
東西における戦乱期にて、船戦が目立つ時代となってますね。

船の大型化と火砲の普及

15〜16世紀は海戦史における兵器革命の時代でした。
資源の少ないイベリア半島のイスパニア・ポルトガルが大西洋・インド洋進出で鉄・木材・硝石を大量獲得し、大型帆船+大量火砲の時代を切り開く訳です。
一方、日本は鉄と硝石の制約から炮烙玉が主力だったが、ポルトガルがインド洋でオスマンに対して優位を築いた余波で火器が南シナ海へ流入し、マカオを拠点に日本へと入ります。
近海で戦っていた海賊衆は鉄砲伝来と共に、火砲戦術を取り入れ、九鬼嘉隆らの水軍が鉄甲船を投入(木津川河口海戦)。
海賊的集団が統率ある水軍へ——江戸期の海賊禁止令で水運業に転換した家系も多く、幕末には近代海軍の基盤の一つになったのですね。
ユーラシアの東西の技術と資源が、グローバルに関わった熱い時代だった訳ですね。

実例は私の生家


(徳川家康直筆の水運認可状)

私の生家の歴史を繋げると、1582年2月、織田の武田征伐で信州飯田から落ちてきた流民の頭だった家祖は、浜名湖湖畔で一時期湖賊めいたことをしていたが、1602年頃に江戸幕府の認可を受け、漕手三十人を率いる船頭を生業とした。
維新後は船主に転じ、祖父は海軍駆逐艦乗りとなった。1945年1月15日、乗艦が沈むまで船の上で生きてきた一族でした。

余談:継承したもの

私の体術の基礎も祖父から教わったが、足の指で地を掴み、腰を落として振身でバランスを取る身体操作は、まさに船頭・船乗りとして育まれたものです。
この身体の動きに乗せながら、突いて、打って、払うのが私の拳法であり、その延長で棒/杖を使うんですよね。
そして、相手の急所に対し、正確な間合いと角度と速度にて、虚実を使い分けて当身を置いてくるだけ。
他にも錨星(カシオペア座)で北を認識したり、波の音が東から聞こえたら雨が来るとか、水平線に入道雲が出たら冷え込むとか、山が近くに見えたら雨になるとかも教わってます。
実に400年以上の「水上」の歴史の流れの支流に自分がいると感じてます。
資源と技術の連鎖が国家の海軍を形作るように、一族の歴史も時代の海流に翻弄されながら続いてきたと考えると熱くなりますね。

まとめ:海には国境は無い

実例としての私の生家の歴史はさておき、私は長老派の学校で世界史を学び、更に水運や海軍や海戦に興味を持った上で、様々な知識と経験を得ました。
歴史を学ぶと割とローカル的になりやすく、同じ時期に隣の地域では何が起きていたかや、それが自分が学んだ歴史にどんな影響を与えたかがぼやけやすいのですね。
特に陸で歴史を見ると、海には国境が無く異文化の交流地点としての港や、港と港を行き交う船や水夫たちによる交流が見落とされがちになるかなと。
そんな事を考えながら異国の船が来たのを騒ぐのも一興かなと。
なんか取り留めが無い感じですが、今回はこれにて。


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