「自分を変える」努力に疲れたあなたへ――その”左利きを矯正する”努力、本当に必要?
もしかして、僕たちが合わせるべき対象は「社会」じゃなくて、「自分の脳」なんじゃないだろうか?
僕は昔、ずっと「自分はちゃんとしていない」と思い続けてきた。
会議の内容が頭に入らないのも、単純な事務作業でミスを繰り返すのも、締切ギリギリまで動けないのも、じっとしていられないのも、すべて僕が「努力が足りない」からだと。
自分を責め、意志の力で矯正しようと試みては、そのたびに心をすり減らしてきた。
ある日のことだった。またしてもクライアントへの重要な返信を何日も放置していたことに気づき、罪悪感でソファに崩れ落ちていた夜。
胃が鉛のように重く、もはや自分を責める気力すら湧いてこない。
死んだ魚のような目でスマホの画面をスワイプしていた、まさにその時。SNSのある投稿が、まるで僕の人生に投げ込まれた救命ロープのように、目の前に現れた。
そこには、こう書かれていた。
ADHDと呼ばれる特性――注意散漫さ、衝動性、物事を計画通りに進められないこと――は、そもそも欠陥などではない。それは人間の多様性の中に当たり前に存在するスペクトルの一部なのだ。
そして、問題のほとんどは、その人自身にあるのではなく、環境とその人がうまく合っていない時にだけ発生するのだという。
まるで、1950年代の工場で働くために作られた画一的なルールの中に、現代の多様な人々を無理やり押し込めているようなものだ、とその投稿は指摘していた。
治すべきは、本人ではない。その人の潜在能力を殺してしまっている、社会のシステムの方なのだ、と。
頭を殴られたような衝撃だった。僕が苦しんできたのは、僕自身に問題があったからではなく、ただ「環境とのミスマッチ」が起きていただけなのだ。
だとしたら、僕がすべきことは自分を“治療”することではなく、自分に合うように“環境をハック”することではないだろうか。
この記事では、その気づきから始まった僕の生存戦略について、語っていこうと思う。
仮説:世界は「右利き用」にできている。僕らは、ただの「左利き」だ
以前、海外をノマドワーカーとして転々としていた時期に、ふと気づいたことがある。
特にヨーロッパにいた頃に思ったのだが、やけに左利きの人をよく見かけるのだ。カフェで隣に座った人が左手でペンを走らせ、レストランでは左手でナイフを使う人がいる。
日本ではそれほど頻繁に見かけない光景が、そこでは日常だった。
気になって調べてみると、面白いデータが見つかった。
欧米のいくつかの国では左利きの割合が10数%にのぼるのに対し、日本では約5%なのだという。
この差は、単なる遺伝的要因だけでは説明がつかないかもしれない。
かつての日本では左利きを右利きに「矯正」する文化が根強くあった。その名残が、今も無意識の“当たり前”として残っているのではないだろうか。
この「左利き」の話、僕たちの話にそっくりだと思わないだろうか?
僕たちがずっと「欠点」だと思い込んできた“普通と違う”部分は、本当はただの「利き手」の違いだとしたら?
そう考えてみると、腑に落ちることがたくさんある。
社会の仕組みやルールは、そのほとんどが多数派である“右利き”の人に合わせて作られている。まるで、あの投稿が指摘していた「1950年代の工場」のように、誰もが同じ動きをすることが前提になっているんだ。
ハサミも、駅の改札も、スープをすくうお玉も。世の中の道具やルールのほとんどは、多数派である右利きの人にとって使いやすいように設計されている。
それによって日本の急速の回復と経済成長が成し遂げられてきたのだろう。その功績を否定するつもりはない。
でも、僕らはそんな世界で、必死に右手を使おうとしてきた「左利き」だった。右手で字を書こうとして「字が汚い」と叱られ、右手でボールを投げようとして「運動神経が悪い」と笑われる。
でも、それは僕らが劣っているからじゃなく、ただ、世界が用意した“道具”と、僕らの“利き手”が合っていなかった。それだけのことだ。
左利きを無理に矯正することが、その人の持つ本来の器用さやポテンシャルを奪ってしまうように、僕たちもまた、「普通」という名の“右手”を使うことを強制されることで、本来の輝きを失ってきたのかもしれない。
世の中には、驚くほどよく切れる左利き用のハサミや、手に馴染む左利き用の包丁を売る専門店がある。
それと同じように、僕たちの脳の特性に合わせた“思考の道具”や“認知の外部装置”だって、探せば必ず見つかるはずだ。問題は、僕らがその“専門店の存在”すら知らされてこなかったことにある。
問題は能力の優劣ではない。ただ、利き手が違うだけ。
社会は僕らを見て「不器用だ」「努力が足りない」と評価するが、本当は「その道具、僕の利き手と合わないんです」と伝えるべきなのだ。
僕たちがすべきは、自分を責めることではなく、この「利き手のミスマッチ」という現実を直視し、自分なりの工夫で乗り越えることではないだろうか。
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