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「結局、どっちが悪かったの?」が止まらない――どうやら僕の頭には「脱衣場」がないらしい

――僕の頭は、その後の一週間ぐるぐるし続けた。

仕事のほうは、とっくに終わっていた。修正して、再納品して、先方も了解した。それなのに、ふとした瞬間に同じ問いが戻ってくる。僕が悪かったのか。いや、あの指示にも書いていなかったじゃないか。

きっかけは、小さな行き違いだった。

クライアントから、あるサブシステムの注意事項をユーザーに周知してほしい、と指示があった。だから僕は、その注意事項が関わるサブシステムのトップ画面に表示した。注意が必要になる場所で見せるのが、いちばん伝わると思ったからだ。

「なぜアナウンスしていないのですか」

強い調子のメッセージが届いた。最初は、意味が分からなかった。アナウンスなら、出している。

僕が見ていた「トップ」と、相手が見ていた「トップ」は、別の場所だった。

最初のメールを読み返した。「周知してください」とは書いてある。「全体のトップ画面に」とは、どこにも書いていない。それでも相手の言葉は強くて、僕は半分パニックのまま、取り違えを詫びる返事を送った。「了解しました。修正お願いします。」短い一文が返ってきた。

表示場所を直して、再納品。実務は、それで完了した。

完了した。そのはずだった。


「誰も悪くない」が、いちばん気持ち悪かった

僕の冷静な方の頭は、早い段階で理解していた。

原因はどうということもない。「周知」という言葉から、僕とクライアントが別の画面を想像していた。ただそれだけのことだ。対策も難しくない。次からは「全体のトップ画面という理解で合っていますか」と、一文聞けば済む。誰か一人の落ち度というより、単なるすれ違いだった。

それなのに、もう一方の頭は止まらなかった。

メールに「トップ画面」とは書いていなかった。ならば、指示が曖昧だった相手にも責任があるのではないか。いや、仕事をする人間なら「周知」の範囲を確認するべきだったのではないか。でも、注意事項を実際に使う場所へ出す判断は、そんなにおかしかったのか。

この往復を、頭の中で何度も繰り返した。

僕は、相手を悪者にしたかったわけではない。自分を罰したかったわけでもない。それなのに、なぜか「どっちが悪い?」という問いから離れられなかった。

しばらくして、この謎が気になり始めた。冷静な頭では解決済みの問題が、なぜもう一方の頭では終わらないのか。

そして分かった。もう一方の頭は、犯人を探していたのではない。安全確認をしていた。次も同じ目に遭わないためのルールを、探していた。

僕が悪かったと決まれば、次から自分の行動を直せる。相手の指示が曖昧だったと決まれば、次から確認を増やせる。どちらかに決まりさえすれば、ルールが手に入る。

でも、「誰も悪くない」では、何も直せない。

一度着た服を、どこに置くか

うちの脱衣場には、カゴがある。

一度着ただけのシャツを、そこに放る。洗うほどではない。でも、タンスに戻すほどきれいでもない。判定は保留のまま、とりあえずカゴに入れておく。明日また着るかもしれないし、やっぱり洗うかもしれない。決めるのは、明日でいい。

僕の頭には、その場所がなかった。

あるのは二つの箱だけだ。「僕が悪かった」と「相手が悪かった」。洗濯機と、タンス。汚れているか、きれいか。

一度着た服が、どちらにも入らない。

あの件が、まさにそれだった。僕にも確認できたことはある。でも、相手の指示にも曖昧さはあった。害意のある人は、どこにもいない。それでも、強い言葉を受け取った痛みは残っている。汚れてもいないし、きれいでもない。

そして、置き場のない服を前にした人間が何をするかというと、においを嗅ぐ。

まだいけるか。もう洗うべきか。手に取っては置き、また手に取る。決められないから、判定材料をもう一度取りに行く。

僕がやっていたのは、それだった。

一週間のあいだ、僕は何度もあのメールを開いた。「トップ画面」とは書いていなかったな、と確認するために。新しい情報など何ひとつ増えていないのに、同じ文面を、何度も嗅ぎ直していた。

筋道が通らないまま話が終わると落ち着かない人。相手の真意が分からないと、何度も会話を再生してしまう人。「まあ、そういうこともある」で流せず、自分の中に説明を作ろうとする人。程度の差はあっても、同じ場所で止まる人はいる。

若い会社員なら、誰でも一度は抱えそうな悩みにも見える。それでも僕の場合は、その後の一週間のパフォーマンスが落ちるほど処理が続く。日常的な悩みだと言って飲み込むには、少し心理コストが大きすぎた。

カゴに、札を掛ける

僕も、頭の中で何度も「終了」の印を押そうとした。もう終わったことだ。原因も分かった。相手も納得した。そう言い聞かせた。

でも、しばらくすると、また同じことを考えていた。

今思えば、当然だった。「終了」は、すべてが確定した案件に押す印だ。この件は確定していない。どちらが悪かったのか。相手の機嫌は直ったのか。今後の評価に響くのか。新しい情報がなければ、どれも決められない。決められないものに無理やり終了と書くから、しばらくすると頭が「まだ終わっていない」と鳴らしてくる。

だから最近は、カゴを作ろうとしている。

札には、こう書く。「対応済み・未確定」。

対応は済んだ。でも、責任の割合も、相手の感情も、今後への影響も、まだ分からない。その分からなさを、未処理と同じ扱いにしない。分からないまま、置いておく。

まずは、一行だけ書く。

この件は「対応済み・未確定」。次に動くのは、__が起きたとき。

今回なら、こうなる。

この件は「対応済み・未確定」。次に動くのは、相手から追加の連絡が来たとき。

うまくいっているとは、まだ言えない。

現に、こうして書いている今も、あのメールをもう一度開きたくなる。「トップ画面」とは書いていなかったな、と確認したくなる。その引力は、まだ消えていない。

ただ、前とは少しだけ違う。以前なら、警報が鳴るたびに、僕が悪かった理由と相手が悪かった理由を、最初から集め直していた。今は、鳴ったときにひとつだけ確かめる。新しい事実は、来たか。来ていないなら、いまは動かない。

そう決めてからは、あの往復が、前ほど長くは続かなくなった。少なくとも今回は、一週間にはならずに済んでいる。

どちらが悪かったのかは、いまも分からない。

分からないまま、あのシャツはカゴに入っている。僕は脱衣場の電気を消して、机に戻る。

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