エコバッグは2つ買ってようやく1つ使えるものです。
最近ある買い物をした。
ディズニーストアオンラインでレトロ調のミッキーがプリントされたエコバッグ2種。白地にミッキーがプリントされていて、生地は少し柔らかめのサテンっぽい生地。とても可愛い。
届いて、可愛いなと一呼吸。そして、その新品のパッケージのままクローゼットの奥にある「ディズニー保管庫」へ入れた。
実はこのエコバッグ、すでにどちらも持っている。結構前から持っているのに一度も使ったことがなかった。いや、使えなかったのだ。
まず、色。白地にミッキーがとても可愛い。好みの色だけれど、白は汚れやすい。そして生地。ツルッとしたサテンっぽい生地。爪とかが引っかかった時に糸が一本つってプリントがズレることが予想される。
「使わないとエコバッグの意味がない。使うんだ!」
そう自分に言ってみるものの、カバンに入れて持って外に出ると使うことが怖い。汚れてしまったら、破けてしまったら…結局勇気が出ない。
だから「保存用」を買うことにしたのだ。自分でもアホだなと思う。この「保存用」は私の生涯で使う日は来るのだろうか。
そして使うために保存用を買ったということは、先に持っていた方は使えるようになったわけだが、それでも使う時は緊張してしまう。大事すぎて使えない。結局いつも雑に使っている方を優先して使ってしまう。
もうエコバッグのエコロジーでもエコノミーでもないこのバッグ。
実はエコバッグ以外にもこの癖は発動する。まず本。本は購入後すぐに必ず薄いグラシンのカバーをつける。グラシンのカバーがつけられないものにはビニールカバーをつける。(学生時代の教科書も)カバーや表紙を直接触って折ったり、汚したりしたくない。書き込みもできない。(教科書だけは書き込みしていたが)
高校時代、他のクラスのほんわかした女の子がわざわざ私のクラスに来て、私に「教科書にビニールつけている人がいるって聞いてきた!」と私の前で物珍しそうに見ていた。特にいじっている感じでもなかったので、「うん、なんだかつけてるの。」と返して解散したが、何だか面白い場面だった。
本を大事にしすぎるあまり、人に貸せない。私の本を保存する基準が結構高めだから、友人に読んで欲しい時はAmazonのリンクを送るまたは、もうあげてしまうしか選択肢はない。
先日母に薄い文庫本を貸していたが、正直折れたり汚れたりしたら忘れたふりをしてそのまま実家に保管してもらおうかと思った(引き取ることができない)。
まだある。バッグの中で傷がつくのが怖くて、財布を巾着で保護して持ち歩いている。最近はキャッシュレスで財布を出さなくていいことが多いのでそうそう困らないが、いざ現金支払いやクレジットカード支払いでカードを出す必要がある時もたついてしまう。ガチャガチャをする時もそうだ。この1アクション増えるのを夫がよく面白そうに横で見ている。
それでもダメだ。もう財布を裸でバッグの中で転がすことなんてできない。
神経質かもしれない。いや、この点に置いては神経質だろう。認めよう。自分でも俯瞰して、なんでこんなに気にするのか考えることがある。
裏にある感情はいつも「恐怖」だ。
エコバッグがつってしまって完成形が崩れる瞬間。本が折れて完成形が崩れる瞬間。財布の革が傷ついて朽ちていく瞬間。
ああ、無理だ。
きっと私はこの自分の選んだもの(財布は夫からのプレゼント)たちが歳をとることを拒否しているんだと思った。なるべく若く、完成形のままで。いつまでも買った時の気持ちを保存しておきたい。
経年変化を楽しもう!みたいな美学も実はあんまりそそられない。今がベスト!これを保存して!みたいな方が「任せろ!」みたいな気持ちになる。
これは執着かもしれない。「ものを大切にする」美徳の裏側に隠れていた自分の本性に気がつき、なんかとても切なくなった。
30代も半ばになった。これからは、ものを買う生活から、買ったものを消化していく生活へをシフトしていきたいと思っている。
段々と、少しずつ大切に「使いこなして」行けたらいいなと、プラスチック袋に入った保存用エコバッグを眺めながら今これを書いている。
