泣く子も黙る丹生都比売神社
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
見出しにそない書いといて、知らんけど。
あと見出し写真は丹生都比売神社以外ではあまり見た覚えがない、生花を浮かべた水盤。
2025年10月15日
(文字数:約2400文字)
片詣り、という言い方は好かんが
江戸時代において高野山に参詣する際は、まず丹生都比売神社に参拝するのが習わしだったんだ。
それが無いのは片詣り、という言い方は好かんが。
なぜかと言えばそこはヒト側の都合や感じ方であって、神仏側はそんなもん、一切なんとも思ってへんで、と私個人は考えているから。
とは言え配偶者と出会って以来、特にここ十年近くは足繁く、高野山に通い続けてきたからには、
丹生都比売神社にも赴かなくてはならないだろう。
とりわけ私はあの土地の女神様をイメージした、私としてはリスペクトがバリバリなんだが、人によってはわりと不敬に感じられるかもしれない、
一連の小説群まで書いてしまっている。↓
町石道は断念したが
丹生都比売神社に参拝する事をイメージして、町石道にも挑もうとしたのだが、
貧血で断念する以前に、丹生都比売神社は町石道の正規ルートに含まれていなかった。
(天野で一泊して翌日登山を続けるスケジュールを推奨されていた。)
じゃあ来週のスポーツの日三連休辺りに行っとく?
(・ω・)(・∀・)おお
持つべきものは話の分かる配偶者。
月一回はお墓参りしたいから、お墓がある高野山、のふもとの九度山までは毎月行くんだし。
(・ω・)(・∀・)おお
逆に言えばなぜこの状況で今まで行っていなかった私。
ついでに紙遊苑
朝の八時頃から家を出て、お墓に直行するには折悪しく雨が降り出したので、先に神社に行こうという話になったが、
私がちょっと欲を出し、慈尊院そばにある紙遊苑に、ちょっと行ってみたいと頼む。
九度山町役場の近くにある、レコードカフェ龍王(ここも良い場所だが独自に記事を書く)で見つけた、
町石道のマニアックな知識がふんだんの本を書いた人が、紙遊苑の苑長さんなので、あわよくば紙遊苑に置いてあって手に入るのなら買いたい。
しかし紙遊苑は、車で行こうとしたなら絶対に気軽にちょいとは行かないぜ? と思うような入り組んだ道の先にあり、
実は慈尊院から、町石道を歩けばすぐ裏の、丹生官省符神社のさらに裏、勝利寺境内にあったのだが、
寺なだけあって山門前はゴツゴツした自然石の石段だな。
(・ω・)(;;∀;;)
雨で石段滑って怖いよ←足のサイズがでかくて段をはみ出すので私以上に怖いはずだ。
(;・ω・)(;;∀;;)ごめん
ちょいと気軽に行く場所では無かった
そして紙遊苑は石庭もあって良い場所で、私は紙漉きの歴史も好きなので見応えは十分にあったのだが、
1940年代までは古沢や椎出にも93件あったって。
紙漉き集落は 細川や河根辺りだと思ってた。
(・ω・)(・∀・)
紙漉きの里という知識ならあったので書いてみた短編。↓
目当ての本は非売品、というより町石道の語り部たちが講習を受ける際の教科書として作られた模様。
じゃあ次は役場とかに問い合わせてみる。
山道をグイングイン
慈尊院に戻って4号線を、途中から大型車両は通れない109号線に左折。
そこからは山道をグイングインだ。
左右の山から雲が降りてくるねぇ
(・ω・)(・∀・)
左右に見える森が神秘的だねぇ
雲が降りるからそりゃあ霧に包まれるねぇ
(・ω・;)(∀・;)
ごめんね運転するの怖いよねぇ
霧を抜けた先の盆地、天野集落に出ると、なんという事でしょう。
うわぁ良い感じの所だねぇ
(*・ω・)(・∀・)……
ごめん何とも思わへん
えっ?
( ;ω)(・×・;)ちゃうねん
言い方間違えた
九州の農村の、その中でも限界集落から来た私にとっては、物心ついた頃からごく当たり前にあった景色やねん。身に馴染みまくってんねん。
高野山がなんぼのもんじゃい(失礼)
丹生都比売神社は紀伊国の一ノ宮だ。
村の鎮守の神様、どころじゃない。鳥居から四脚門で明らかに格式が高い神社が、檜皮葺の屋根に春日造りの神殿で、堂々と並びそびえている。
ちなみに丹生は水銀、と訳される事が多いが、要は朱の塗料だ。古代から魔除けの色として珍重されてきた。
その丹生都比売大神が第一宮。
空海に高野山の場所を案内した高野御子大神が第二宮。
個人的に大好き食物を司る大食都比売大神が第三宮。
あと要するには弁天様だ市杵島比売大神が第四宮。
市杵島比売大神は、先日の住吉大社では気付かず拝み損ねたが、ここにいる事は分かっていたし、日頃から菩提寺横の厳島神社も拝んでいるので問題無い。
ひと通り拝んで神域も巡り倒した上でベンチにひと休みしている間も大変に居心地が良い。
(ーωー)(ー∀ー)なんじゃここは
居心地が良すぎてこれだけ堂々たる神社であるのに何ら特別な存在に感じられない。
ある意味めちゃくちゃパワーに当てられているぞ。
(ーωー)(ー∀ー)
すっごく悪く聞こえそうな言い方をしてしまうが高野山などは、丹生都比売から土地を分けて頂けた程度の存在だった。
土地を分けて頂けるほどの存在だったと言ってもいいが、まず拝まなければならない存在は確かに丹生都比売だった、という事を、江戸の庶民は存分に把握していたんだな。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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