「AI」と「自己顕示欲」と「違和感」
芸能人が気象予報士か何かの資格を取ったという記事がYahoo!ニュースに掲載されていた。それに対して、「今さら気象予報士の資格を取っても、AIに取って代わられるから意味ない」というようなコメントがついていた。何週間か前の曖昧な記憶なので、細部の正確性はご容赦を。
AI、AI、AI。
「AIに仕事を奪われる」
「まだAI使ってないの?」
「それってAIにやってもらえば良いんじゃない?」
僕にはどうにも、このところ「AI」という単語が、自己顕示欲の強い人々が欲求を満たすための記号として使われているように感じる。AIあるいは生成AIといった一般名詞しかり、Claudeやチャッピーといった特定のAIサービスを指した固有名詞しかり。
仕事で使っているXやFacebookにも、「フォロー」している人や「友達」によるこの手の投稿で溢れている。
エンジニアの投稿は、たいがい面白い。「個人開発でClaude Code使ってみたけど、肌感作業時間が半分になった」「〇〇とXXを組み合わせて使ったら、全部自動化できるのでは」といった当事者目線での言葉に溢れているから。僕はエンジニアではないので、その細部は理解できないけれど。
他方、セールスやマーケターの投稿になると、一気に当事者意識が欠落する、ように感じる。「まさか未だに手作業でスライド作ってないですよね?」「ビジネスサイドもAIでアプリの1つでも作れないと生き残れない」といったような感じで。それは体験の共有でも、あるいは助言でもなく、単なる自己顕示欲の発露に見える。ホラーストーリーを語りつつ、「私はすでに一歩先に行っているから、お前たちとは違う」的な気配を感じてしまう。まるで、終末論を語って自らを、あるいは自らが信じる存在を救世主だと宣っている宗教家のような。とはいえ、ビジネスサイドの人間であれば、その先に、自社サービス、あるいは自分自身のPRという着地点が見え隠れしているから仕方がないのかもしれないけれど。
自らの仕事もAIに奪われるという可能性は考えないのだろうか?AIによって「仕事」というものがある意味で「終末」を迎えた時、自分だけは、あるいは自分と同じ「位」にいる人々だけは生存できると本当に思っているのだろうか。そもそも、今僕らが「仕事」としていることの大半がAIに代替される時、それは抗うべきことなのだろうか。あるいは個人単位で抗ったとして、どうしようもない時代の流れに逆らうことなどできるのだろうか。
こんなことを思ってしまうというのは、やはり僕の認知と思考が歪んでいるからなのだろうか。
ねぇチャッピー、どう思う?
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