GW、四十年を振り返る
借り暮らしとはいえ、巣に籠もっているといろいろと見えてくる。見たくはないものも含めて。
酒もタバコもシンナーもやらずに、非行に走ることもなく、高校を卒業した。現役で大学に入り、ちゃんと4年間で卒業した。新卒で中堅企業に入った。すぐ辞めたけれど。実家を出て一人暮らしを始めた。結婚をした。数年で離婚をしたけれど。とにかく、傍から見ればわりと「一般的」で「真っ当」な人生を歩んできた。それは、他ならぬ僕自身が、「一般的」で「真っ当」な人生を望んだから。あるいは、同世代という集団のなかで遅れを取りたくないと思ったから。
けれど、生来なのか後天的なのかはさておき、僕の性質と照らし合わせるとだいぶ無理な生き方であったのだと今は思う。それは表層的には「適応障害」という診断名で顕在化したわけではあるのだけれど、「一般的」「真っ当」「常識」その他諸々の規範的な枠組みに自分の身体を、いや精神を無理矢理にねじ込んで生きているのだということに気づかず、あるいは気づいていながらも見てみぬ振りをしてきたこの40年弱の反動なのだと今は思う。
時にそれは僕なりの生存戦略で、幼少期には特に親の期待に応えたいがためであり、青年期には同世代や職場の上司に評価されたいがためであったと思う。「真面目」「優等生」「誠実」といった看板が、居場所を与えてくれると思っていた。そして実際に、そうだった。
しかしそれは、どこまでも他者依存な生き方だ。自分自身の存在価値を、他者からの評価に丸ごと委ねてしまっているのだから。四六時中、重たい看板を背負っているのだから。世間の規範的な枠組みに、身も心も縛り付けられているのだから。
だから、狭苦しい枠組みからはみ出そうとしてみた。スタートアップに勤めてみたり、離婚後は独身ライフを満喫しているように見せるために夜な夜な飲みに出かけたり、金髪にしてみたり。まるで、遅れてきた反抗期の如く。そして、相変わらずその中心に僕はいなかった。「自由に生きている」「今風な働き方だ」といった他者目線が常に介在していた。結局は、元々いた狭苦しい枠組みから、別の狭苦しい枠組みに身を移しただけだった。
同僚に「太ったね」と言われれば、ジム通いに精を出す。元カノに「なんか部屋が寂しいね」と言われれば、観葉植物を買ってみる。飲み仲間に「黒髪のほうが似合っているよ」と言われれば、金髪を黒染めする。
昔も今も、僕は誰かからの声に対する終わりのない「適応」に心を砕いてきただけだった。結果、何が好きなのかも、何がやりたいのかも、何のために生きているのかもわからなくなった。
だからせめて、少しでも自分を取り戻すために、あるいは誰かからの目線なんてどうでも良いと思い込むために、今は、今この瞬間は、白髪交じりの頭で、安い焼酎を水割りにしながら、古臭いPCに向かっている。狭い、本当に狭い枠組みから、今度こそ抜け出すため。たとえ身体半分でも、束の間でも。
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